三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「長崎の原爆で韓国人最大1万人が犠牲に…76年経て「韓国人慰霊碑」建立」

2021年11月12日 | 国民国家日本の侵略犯罪
http://japan.hani.co.kr/arti/international/41621.html
「The Hankyoreh」 2021-11-08 06:57
■長崎の原爆で韓国人最大1万人が犠牲に…76年経て「韓国人慰霊碑」建立
 ルポ|長崎で韓国人原爆犠牲者慰霊碑の除幕式 
 良心的な日本人が1979年に朝鮮人追悼碑を建てたが 
 総連の追悼行事への参加に民団側は距離感、南北分断の悲劇

【写真】6日午前10時40分、長崎の平和公園で雨が降る悪天候にもかかわらず韓国人原爆犠牲者を悼む慰霊碑の除幕式が行われた。右の写真は慰霊碑=長崎/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 「この雨は、原爆による受難の歴史を記憶し、犠牲となった同胞に深い哀悼の意を捧げようとする私たちの小さな印です」。
 6日午前10時40分、長崎の平和公園で、韓国人原爆犠牲者を悼む慰霊碑の除幕式が行われた。雨が降る悪天候にもかかわらず、カン・チャンイル駐日韓国大使、在日本大韓民国民団のヨ・ゴニ団長、平和活動支援センターの平野伸人所長ら、長崎だけでなく東京などから来た100人あまりの人々が参加した。韓国政府と民団が慰霊碑の建立を推進してから27年を経て成し遂げた成果に、皆が感激に浸っていた。広島には1970年に韓国人慰霊碑が建てられたが、長崎にはなかった。
 慰霊碑建立委員長の民団長崎本部のカン・ソンチュン団長は、「韓国人同胞の手で、念願の慰霊碑を建立できることになった」と述べ、「被爆の歴史を次世代に伝えるきっかけになることを望む」と語った。 原爆投下当時の長崎にいたクォン・スングムさん(95)も5日に韓国特派員団に会い、「嬉しくて感激している」と述べた。クォンさんは韓国人慰霊碑がない1960年代から、長崎市が主催する原爆犠牲者慰霊祭に韓服を着て参加していた。
 碑石を建てるまでの過程も険しかった。長崎市と碑石の大きさや文言の一つひとつについて、数年間にわたり対立した。結局、強制動員の韓国人原爆犠牲者を説明しつつ、「強制」という表現の代わりに「本人の意思に反して」という文言を入れることで妥協しなければならなかった。日本政府は違法な強制動員を認めていない。

【写真】長崎の韓国人原爆犠牲者慰霊碑の建立委員長を務める民団長崎本部のカン・ソンチュン団長が6日午前、慰霊祭でこれまでの経緯を説明している=長崎/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 今回建てられた韓国人慰霊碑は、悲劇的な歴史をそのまま記録している。太平洋戦争末期の1945年8月9日午前11時2分、長崎に投下された原爆により、そこに住んでいた約24万人のうち約7万4000人が亡くなった。日本人の次に被害が多かったのは朝鮮人だった。慰霊碑の案内文には「長崎市とその周辺地域に(朝鮮人)約3万5千人が居住し、数千人から1万人と推定されるわが同胞たちも亡くなった」と記述されている。
 日本による植民地時代、朝鮮人は長崎に集まっていた軍需工場や炭鉱などに大挙動員された。2001年に亡くなったソ・ジョンウさんも代表的な人物だ。1928年生まれのソンさんは、15歳の時に「軍艦島」と呼ばれた長崎の沖合にある島の端島炭鉱に連れていかれ、過酷な労働に苦しんだ。体調が急激に悪くなり島の外に出ることなり、三菱造船所で働いていたところ、被爆にあった。強制動員から被爆、朝鮮人差別までの“三重苦”に苦しんだソンさんは、自ら軍艦島で経験したことを世に伝えることに一生を捧げた。
 実は長崎には、韓国に関係するもう一つの原爆犠牲者追悼碑がある。長崎での朝鮮人原爆死亡者が1万人であることを、1981年から資料や実地調査を通じて世に初めて知らしめた故・岡正治牧師と日本の市民たちが、1979年に「長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑」を建てた。彼らは毎年8月9日午前7時30分に追悼行事を行う。すでに42年目だ。今回建てられた韓国人慰霊碑から歩いて2~3分の距離にある。追悼碑には「強制連行および徴用で重労働に従事中被爆死した朝鮮人とその家族のために」という碑文が記されている。岡まさはる記念長崎平和資料館の新海智広副理事長は5日、本紙とのインタビューで「岡牧師を中心とする良心的な日本人たちが、贖罪の気持ちで募金運動を通じて追悼碑を建てた」と述べた。

【写真】長崎での朝鮮人原爆死亡者が1万人であることを世に初めて知らしめた故・岡正治牧師と日本の良心的な市民たちが1979年に「長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑」を建てた。今回の韓国人慰霊碑から歩いて2~3分の距離にある=長崎/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 しかし、追悼碑には「朝鮮人」と記され、在日朝鮮人総連合会に所属する人々が追悼行事に参加しており、民団中心の韓国人はこの追悼碑からは距離をとっていた。南北分断の対立は、“原爆による犠牲”という共通の痛みさえ、共に分かちあうことをできなくした。カン・ソンチュン団長は「戦争が終わり、すでに二つ(南北朝鮮)の国になっていたが、韓国人という表現がないなど、追悼行事に同胞が参加しにくい雰囲気だった」と述べた。これについて新海副理事長は「追悼碑に書かれた朝鮮人は、(日本による植民地時代)当時の表現を使ったものであり、北朝鮮を指すものではない」と説明した。ただし彼は「植民地も分断も、すべての原因は日本にある。私たちと時間が重ならなければ、来年から民団の追悼行事にも参加する考え」だと述べた。
長崎/キム・ソヨン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/1018242.html
韓国語原文入力:2021-11-08 02:35


https://s.japanese.joins.com/JArticle/284556
「中央日報日本語版」2021.11.07 09:16
■長崎で韓国人原爆犠牲者慰霊碑除幕…「同胞の願いかなう」
 「この碑は原爆による受難の歴史を決して忘れることなく、犠牲同胞に哀悼の誠を捧げようとするせめてもの証です。英霊よ、心安らかにお眠りください」。
 6日午前、長崎市の平和公園に高さ3メートルの慰霊碑が姿を表わした。慰霊碑には太平洋戦争末期である1945年8月9日に長崎に投下された原子爆弾により死亡した韓半島(朝鮮半島)出身犠牲者の魂を称える文言が刻まれた。
 長崎への原爆投下で約7万4000人が死亡した。このうち数千人~1万人は日帝により日本に強制動員された韓半島出身労働者だった。原爆投下から76年、90年代に現地の韓国人を中心に設置が推進されてから三十数年ぶりに彼らを追悼する慰霊碑が立てられたのだ。

◇「平和の象徴」折り鶴を奉献
 この日開かれた「韓国人原子爆弾犠牲者慰霊碑除幕式」には、良くない天気の中にも姜昌一(カン・チャンイル)駐日本韓国大使と呂健二(ヨ・ゴンイ)在日本大韓民国民団団長、向山宗子長崎市議会公明党代表ら韓日の関係者をはじめ日本の高校生平和使節団など100人ほどが参加した。
 慰霊碑の基壇は亀の形で作られ、碑石の裏には韓国語と日本語で追悼文が刻まれた。下部には当時の被害状況を説明する案内文が書かれた。除幕式参加者の献花と黙祷に続き日本の高校生平和大使らが「平和の象徴」である折り鶴を慰霊碑に奉献した。

◇「強制」の代わりに「本人の意志に反して」と表現
 除幕式に続き長崎平和公園内の原爆資料館で慰霊祭が開かれた。慰霊碑建立委員会の姜成春(カン・ソンチュン)委員長はあいさつで「1990年代初めから慰霊碑建立構想が出てきたが、さまざまな問題で挫折した」と回想した。当時進められた平和公園再整備工事で場所が決めることができず議論が中断され、2013年7月に慰霊碑建立委員会が発足して長崎市との本格的な協議が始まったと説明した。
 過程は順調でなかった。姜委員長は「慰霊碑の形、碑文の内容などに対し(長崎市と)見解の違いがありなかなか進展を見られなかった。粘り強く協議した末に同胞が念願した慰霊碑を立てられることになった」と話した。最後まで問題になった碑文の内容は日本が反対した「強制動員」という表現の代わりに「本人の意志に反して」という一節を入れることで折り合いを付けた。

◇95歳の原爆被害者「なんとも言えないほどうれしい」
 姜大使はこの日追悼辞を通じ「ある者は韓国人に向けた慰霊碑がややもすると韓日間の政治的問題に飛び火しないだろうかと懸念する」としながらも、長崎平和公園内には中国人など他の国の犠牲者を追悼する慰霊碑があるという事実に言及して「これまで韓国人慰霊碑がなかったことに対し日本は考えてみなければならない」と指摘した。
 日本の連立与党である公明党の長崎市議会代表を務める向山議員は、原爆で亡くなった韓国人犠牲者、祖国を思いながら家族を心配して亡くなった魂に謹んで追悼の意を表わしたいとの考えを述べるとともに、平和の高貴さと戦争の悲惨さを次世代に着実に伝えていかなければならないと慰霊碑建立に意味を付与した。
 新型コロナウイルスのためこの日の現場には現地の原爆被害者遺族らは多く参加できなかった。1926年生まれで当時原爆を直接経験した長崎在日同胞のクォン・スングムさんは5日、韓国特派員とのインタビューで「まだ真っ黒な雲に覆われたあの日の風景が生々しい。(慰霊碑建立され)なんとも言えないほどうれしい」と感激した。


https://jp.yna.co.kr/view/AJP20211013004000882?section=news
「聯合ニュース」 2021.10.21 12:45
■長崎に韓国人原爆犠牲者の慰霊碑 来月6日除幕式
【東京聯合ニュース】長崎への原爆投下で犠牲になった韓国人を追悼する慰霊碑が長崎市の平和公園に建立され、来月6日に除幕式が開かれる。長崎韓国人原爆犠牲者慰霊碑建設委員会と在福岡韓国総領事館が伝えた。

【写真】慰霊碑のイメージ(在福岡韓国総領事館提供)=(聯合ニュース)

 1945年8月9日の長崎市への原爆投下では、約7万4000人が死亡。このうち朝鮮半島出身者が数千人から1万人程度含まれていたと推定される。
 日本の植民地だった朝鮮半島から長崎に強制動員された労働者などが巻き込まれた。
 同じく原爆が投下され多くの犠牲者が出た広島市には、韓国人原爆犠牲者慰霊碑が建立されており、毎年、広島に原爆が投下された前日の8月5日に犠牲者を追悼する慰霊祭が開かれているが、長崎にはまだ韓国人犠牲者の慰霊碑がない。 
 そのため2013年に在日本大韓民国民団(民団)の長崎県本部を中心に建設委員会が構成され、慰霊碑の建立が推進された。
 ただ韓国人原爆犠牲者が発生した歴史的背景を説明する強制徴用に関連した碑文の内容や慰霊碑のデザインなどを巡り市側が難色を示し、建設許可がなかなか得られなかった。
 市当局のこのような態度はインターネット上での署名活動などを通じて慰霊碑の建設を阻止しようとした団体があったことと無関係ではないとみられる。
 また同市の端島(通称・軍艦島)などで構成される産業革命遺産の世界文化遺産への登録を巡り、韓日の間であつれきが生じたこともあり、市が政府の顔色をうかがったものとみられる。
 慰霊碑建設委と総領事館による交渉の末、今夏に建設許可が出された。
 碑文の内容については、市が反対した「強制徴用」という表現の代わりに「本人の意志に反し」という文言が使われることになった。
 ただ慰霊碑の説明は韓国語、日本語、英語で記述され、英文では「強制的に労役させられた(forced to work)」という表現が使われた。 
 現在、長崎市の平和公園には1979年に在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の主導で建設された小さい「朝鮮人犠牲者追悼碑」があるものの、韓国政府の支援を受けて民団の主導で建立される慰霊碑は初めてとなる。
 建設委は除幕式に姜昌一(カン・チャンイル)駐日大使など韓国側の関係者だけでなく、長崎県知事や長崎市長などを招いた。


https://japanese.joins.com/JArticle/284031?servcode=A00&sectcode=A10
「中央日報日本語版」 2021.10.20 11:51
■長崎市に「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」建立へ
 長崎市に「韓国人原子爆弾犠牲者慰霊碑」が建てられる。
 韓国の聯合ニュースは20日、長崎韓国人原爆犠牲者慰霊碑建立委員会と福岡総領事館を引用し、11月6日に長崎市平和公園で慰霊碑の除幕式が行われると報じた。
 長崎では1946年8月9日に原子爆弾が投下され、約7万4000人が死亡した。このうち数千人-1万人は当時日本の植民地だった韓半島(朝鮮半島)出身者と推定される。
 広島では韓国人原爆犠牲者慰霊碑が平和記念公園に建立され、毎年、広島原爆投下の前日の8月5日に犠牲者を追悼する慰霊祭が開かれているが、長崎には韓国人犠牲者慰霊碑がなかった。
 このため2013年に在日本大韓民国民団長崎本部を中心に建立委員会が結成され、長崎市平和公園内の慰霊碑設置が推進されてきた。しかし長崎市側は韓国人原爆犠牲者が発生した歴史的背景である徴用関連の碑文内容と慰霊碑のデザインに問題を提起し、建立許可が出なかった。慰霊碑建立委と福岡総領事館が粘り強く市当局と議会を対象に説得作業をした結果、今年の夏についに許可が出たという。


http://japan.hani.co.kr/arti/international/41454.html
「The Hankyoreh」  2021-10-21 07:34
■長崎に「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」建設
 来月6日に除幕式 
 建設推進から30年で成果

【写真】広島平和公園にある韓国人原爆犠牲者慰霊碑/ 聯合ニュース

 来月6日、日本の長崎に「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」が建てられる。在日コリアンが中心となって建設を推進してから30年目の実現となる。
 長崎韓国人原爆犠牲者慰霊碑建立委員会と駐福岡大韓民国総領事館などは20日、来月6日に長崎市平和公園で慰霊碑の除幕式を行うと発表した。今回建てられる慰霊碑の案内文には「太平洋戦争末期には本人の意思に反して労働者や軍人・軍属として徴用・動員される事例が増えた。長崎市とその周辺地域に(朝鮮人)約3万5千人が居住していた」とし、「1945年8月9日、長崎市上空で爆発した原子爆弾は約7万4千人の尊い命を奪った。数千人から1万人と推定されるわが同胞たちも亡くなった」と記述される。
 長崎の韓国人慰霊碑の建設は1990年代から進められた。もう一つの原爆投下地域である広島市には、1970年に韓国人原爆犠牲者慰霊碑が現地の平和記念公園に建てられたが、長崎には慰霊碑がなかったためだ。慰霊碑の建設に向けた議論が始まったが、方式をめぐる在日コリアン社会内の意見の相違と敷地確保問題が重なり、当時は進展がみられなかった。2011~2012年に韓国原爆被害者協会と福岡総領事館が長崎市に平和公園内の建設場所の提供を要請し、建設事業が本格的に進められた。
 しかし、今度は長崎市側が、韓国人被爆者が発生した歴史的背景である強制動員被害者に対する碑文の内容などを問題視し、建設許可を出さず、論議を呼んだ。慰霊碑建立委を中心に市当局と議会に対して再び説得作業に乗り出し、今年3月、敷地提供の承認が出たのに続き、先月には碑文の文言などに対する細部協議も終わった。碑文には市当局が反対した「強制徴用」という表現の代わりに「本人の意思に反して」という表現を入れることで折衷した。
 建立委と福岡総領事館側は「戦争と被爆の歴史を後世に伝えられる大切な証になる」と述べた。

東京/キム・ソヨン特派員(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/1015933.html
韓国語原文入力:2021-10-21 02:32
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