三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「朝鮮報国隊」の軌跡 1

2011年08月28日 | 「朝鮮報国隊」
■「朝鮮報国隊」、「朝鮮村虐殺」にかんする事実は、日本で隠されつづけている
 海南島三亜市郊外の南丁村には、朝鮮の刑務所から連行されて働かされ、殺された朝鮮人が埋められている。この村の名は、一時期、「朝鮮村」であった。
 「朝鮮村」における朝鮮人虐殺の事実は、当然であるが南丁村やその周辺の住民、虐殺を実行した日本人(日本海軍海南警備府第16警備隊の将兵、朝鮮総督府の法務官僚や刑務官ら)は知っていた。しかし、日本では隠されつづけている。
 三亜に住む羊杰臣さんが1992年に、陳作平さんが1995年に、「朝鮮村」での虐殺にふれた文章を、海南島で発表した。
 1998年3月2日の『朝鮮日報』に、朴雅蘭記者の「中国ハイナン島で韓国人虐殺 1945年」掲載された。これが韓国で発表された「朝鮮村」虐殺にかんするはじめての文章である。
 紀州鉱山の真実を明らかにする会は、「朝鮮村虐殺」のことを、1998年春にはじめて、羊杰臣さんと陳作平さんの記述で知り、6月に海南島に行った。この年8月8日~9日に石川県金沢市で開催された第9回朝鮮人・中国人強制連行・強制労働を考える交流集会で、紀州鉱山の真実を明らかにする会が「日本の海南島侵略と強制連行・強制労働」と題する報告のなかで「朝鮮村」虐殺にかんして述べ、10月に同会が「海南島 1998年夏――田独万人坑・石碌万人坑・八所万人坑・朝鮮村――」を発表した。これが日本で発表された「朝鮮村虐殺」にかんするはじめての文章である。
 韓国KBS取材班が、同年7月に海南島で、8月に日本で取材し、「朝鮮村」虐殺にかんするドキュメンタリー『海南島に埋められた朝鮮の魂』を制作し、8月31日に放映した。このドキュメンタリー制作に紀州鉱山の真実を明らかにする会が協力した。
 紀州鉱山の真実を明らかにする会は、南丁村に「駐屯」していた日本軍部隊にかんする文書を、防衛研究所図書館で見つけたが、「朝鮮村虐殺」に直接的に触れている文書は、発見していない。
 「朝鮮村」で虐殺がおこなわれていたとき「朝鮮村」で刑務官をしていた衣笠一氏は『海南島派遣の朝鮮報国隊始末記』を1990年代末に発表し、2001年に書いた「わが足跡 上」の「陵水時代」の章などで、「朝鮮報国隊」や「台湾報国隊」について記述しているが、「朝鮮村虐殺」については沈黙している。
 かれ以外の日本軍関係者、日本政府関係者、朝鮮総督府関係者は、まったく沈黙しつづけたままである。当時海南警備府第16警備隊司令官であった能美実(1948年10月に「横浜アメリカ合州国軍裁判所」で終身刑宣告)は、1945年の三亜におけるアメリカ合州国軍兵士殺害以外は海南島での犯罪を語ることなく、10年あまり前に死んだ。
 紀州鉱山の真実を明らかにする会は日本政府に「朝鮮報国隊」の名簿の公表を要求しているが、日本政府は、いまなお、探索・公表しようとしていない。
 隠されつづけている「朝鮮報国隊」、「朝鮮村虐殺」にかかわる諸事実を明らかにするためには、聞きとりと「朝鮮村発掘」をおこなうしかない。
 日本政府・日本軍・日本企業の国家犯罪・侵略犯罪にかかわる証拠文書は多くは焼却・廃棄されたか隠されたままである。したがって、その歴史的事実を解明するためには、犠牲者、加害者、目撃者からの聞きとりが重要である。
                                          キム チョンミ
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