三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「消えた字、塀や車道の真ん中…全羅南道内5・18碑「放置」」

2019年11月18日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/34986.html
「The Hankyoreh」 2019-11-18 04:10
■消えた字、塀や車道の真ん中…全羅南道内5・18碑「放置」
 元高校生市民軍の写真家 
 76カ所の案内板ずさんな管理指摘 
 全羅南道、ようやく「史跡として徹底管理」

【写真】全羅南道海南は1980年5月21日の夜、武装デモまで起こったところだが、大興寺の入り口にある5・18碑の字はぼやけて読めない//ハンギョレ新聞社

 (光州に代表される)5・18民主化運動にまつわる歴史的な意味を持つ場所に設置された全羅南道地域の碑と案内板の管理がずさんなことが分かった。全羅南道がこれらの空間を5・18史跡に指定して体系的に管理すべきという意見は多い。

【写真】戒厳軍による旧全羅南道庁前での集団発砲後、市民たちが銃で武装するために訪れた和順のある警察施設。碑は袋小路に設置されている//ハンギョレ新聞社

 5・18当時、高校生市民軍だった写真家のキム・ヒャンドゥクさんは「木浦(モクポ)、羅州(ナジュ)、務安(ムアン)・咸平(ハムピョン)など8つの市や郡の5・18碑(55カ所)と案内板(21カ所)計76カ所を9月から最近まで点検した結果、ほとんどが無関心の中で管理されないまま放置されていた。一部は碑や案内板の文字が読み取りにくかったり、奥まってひっそりしたところにぽつんと立っている碑も相当数あった」と17日明かした。

【写真】全羅南道務安郡の務安バスターミナル前に設置された5・18碑。歩道ではなく車道を向いているため、碑の内容が確認できない。さらに周りに各種のゴミが積もり放置されている//ハンギョレ新聞社

 海南(へナム)は1980年5月21日の夜に武装デモまで起こった場所であるが、郡庁前と大興寺の入り口にある5・18碑の字は消え、読むことさえ難しい状態だ。同じく5月21日夜に武装した市民と軍人の間で銃撃戦まで繰り広げられた木浦(モクポ)でも、5・18碑の管理がずさんなのは同様だった。木浦石ヒョン洞(ソッキョンドン)三叉路の碑は人が近づけない車道の真ん中に立っていた。5月21日の戒厳軍による全羅南道庁前での集団発砲後、市民たちが銃で武装しようと訪れた和順(ファスン)のある警察施設には、5・18碑が施設の入り口に背を向けて袋小路に設置されている。

【写真】全羅南道海南は1980年5月21日午後から光州のニュースを聞いてデモが行われたところだが、郡庁前の5・18碑の字はぼやけて読みにくい状態だ。//ハンギョレ新聞社

 これは全羅南道が5・18の歴史的空間を史跡に指定せず、事実上放置しているためという指摘が出ている。全羅南道とは違い光州(クァンジュ)市は2005年6月に「5・18史跡保存・管理および復元管理に関する条例」を制定して市内の5・18関連の場所30カ所を史跡に指定し、体系的に管理している。全羅南道は2017年8月になってようやく「5・18史跡管理に関する条例」を制定した。

【写真】1980年5月21日に1万人あまりが結集して新軍部を糾弾するデモが起きた木浦石ヒョン洞三叉路に設置された5・18碑。車道の真ん中にぽつんと設置されており、市民は内容を確認できない//ハンギョレ新聞社

 道内の5・18民主化運動に関連する場所は、従来の8市郡76カ所から増え、現在は12市郡87カ所が把握されている。全羅南道は「近いうちに5・18史跡を指定し発表する予定。関連する場所を整備して徹底的に管理する」と明らかにした。

チョン・デハ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/area/honam/917368.html
韓国語原文入力:2019-11-17 19:19


http://japan.hani.co.kr/arti/politics/34930.html
「The Hankyoreh」 2019-11-12 12:11
■ゴルフはできるのに、なぜ裁判には出席できないのか…全斗煥氏への出席要求強まる
 11日、光州地裁で、死者名誉毀損の疑いで第8回公判 
 初めて証言台に立つ航空部隊指揮官ら、射撃事実を否定

【写真】今月11日、光州地裁前で5・18団体のメンバーらが全斗煥元大統領がゴルフをしていたことを糾弾し、裁判への出席を求めるデモを行っている/聯合ニュース

 全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領(88)の死者名誉毀損容疑の裁判が開かれたが、全元大統領は姿を現さなかった。アルツハイマーを患っていると主張する全氏は今年3月に1回出席した後、裁判所に欠席許可を受けたが、最近、江原道のあるゴルフ場でゴルフをしていることが明らかになり、批判が高まっている。
 11日午後2時、光州(クァンジュ)地裁で刑事8単独チャン・ドンヒョク部長判事の審理で死者名誉毀損第8回公判が開かれた。同日の裁判開始に先立ち、光州市民は抗議集会を開き、「全元大統領はこれ以上国民を愚弄せず、裁判に出席して歴史の審判を受けよ」と求めた。5・18記念財団のチョ・ジンテ常任理事は「国民の皆様がご覧になったように、今月7日に公開された映像を見る限り、全氏はとても健康で、意識もはっきりしている」として、「刑事裁判に欠席するのは全くもって妥当ではない」と指摘した。5・18歴史歪曲処罰の座り込み団は12日、ソウル市延禧洞(ヨンヒドン)にある全氏の自宅前で抗議集会をする計画だ。被害者の法廷代理人であるキム・ジョンホ弁護士は、「全氏の行為は、裁判所を欺いた行為だ。検察は欠席承認を取り消すよう要請し、全氏を裁判に出席させるべきだ」と主張した。
 一方、同日の裁判にはソン・ジンウォン陸軍1航空旅団長(准将)、キム・ドングン1航空旅団31航空団506航空隊隊長(中佐)など、当時陸軍航空部隊の指揮官たちが初めて証人として出席したが、1995年の検察の調査と同じ供述を繰り返し、ヘリコプターからの射撃を否定した。最初に証言台に立ったソン旅団長は「陸軍本部状況室から指示を受けて1980年5月22日、コブラ2機と500MD 4機を光州に出動させた覚えがある。兵力や患者の輸送、偵察用のUH-1Hは非武装状態での戦闘兵科教育司令部に配属した」と述べた。また、「1980年5月27日、旧全南道庁の鎮圧作戦の際もUH-1Hが上空で偵察飛行を行ったことはあるが、武装はしておらず、全日ビルで弾痕が見つかることはあり得ない」と証言した。彼らの供述は、国防部の調査と国立科学捜査研究院の調査結果と真っ向から対立しており、今後の裁判過程で論争になるものとみえる。さらに、31航空団本部の下士だったチェ・ジョンホ氏は今年9月2日に開かれた公判で、1980年5月、光州に出撃したものと推定されるヘリに弾薬を支給し、復帰したヘリコプターの弾薬の一部がなくなっていたと、相反する陳述をした。
 全氏は回顧録で、戒厳軍のヘリコプター射撃を証言した故チョ・ビオ神父に対し、「破廉恥な嘘つき」と表現し、死者名誉棄損の容疑で裁判を受けている。

キム・ヨンヒ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
http://www.hani.co.kr/arti/area/honam/916590.html
韓国語原文入力:2019-11-12 02:12
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