三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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朝鮮時代に日本に渡った「仏像」の所有権裁判で「倭寇の略奪ではない証拠あるか」

2022年06月17日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/43775.html
「The Hankyoreh」 2022-06-16 11:00
■朝鮮時代に日本に渡った「仏像」の所有権裁判で「倭寇の略奪ではない証拠あるか」
 仏教美術の秀作「高麗仏像」、窃盗団の手で韓国に持ち込まれる 
 日本の観音寺、返還要求に元所有主と見られる浮石寺「韓国の物」 
 1審裁判所「日本の略奪品、返還する理由はない」…控訴審開かれる

【写真】長崎県対馬の観音寺の田中節竜住職が今月15日午後、大田市西区屯山洞の大田高裁で開かれた高麗時代の観世音菩薩坐像の所有権をめぐる関連裁判に出席した後、取材陣の質問に答えている/聯合ニュース

 仏教美術の秀作と評価される高麗時代の仏像「観世音菩薩坐像」の所有権をめぐり、韓国側と日本側が控訴審の法廷で再び対立した。朝鮮時代に日本に渡ったこの仏像は、2012年頃、韓国人窃盗団の手で再び国内に持ち込まれた。5年前、1審裁判所は日本にこの仏像が渡った過程を略奪的行為とみなし「返還する理由はない」という判断を示した。
 長崎県対馬観音寺の田中節竜住職は15日、大田(テジョン)高裁民事1部(パク・ソンジュン裁判長)の審理で開かれた弁論期日に補助参考人として出席し、「観音寺を建てた僧侶が1527年に朝鮮から日本に戻る際、仏像を正当に譲り受けて持ち込んだ」と述べ、1審裁判の時と同じ主張を繰り返した。観音寺側が返還を求める仏像は、高さ50.5センチメートル、重さ38.6キログラムの観世音菩薩坐像で、14世紀の高麗時代に制作された。国内の学界は古代・中世仏教美術の秀作と評価する。
浮石寺が保管している観世音菩薩坐像=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社
 この仏像は朝鮮時代に日本に渡り、観音寺が所蔵していたが、2012年10月に韓国人窃盗団の手を経て現在は忠清南道瑞山(ソサン)の浮石寺(プソクサ)が保管している。観音寺側は盗品という点を強調し、返還を要求している一方、浮石寺側は当初朝鮮時代に倭寇(日本の海賊)が略奪していった仏像だとし、所有権は浮石寺にあると対抗している。仏像の中には「天暦3年(1330年)高麗瑞州(瑞山の旧名称)浮石寺」と書かれた結縁文(仏像が製作された目的を書き付けて像の中に保管した文書)が発見された。
 ひとまず2017年1月に、1審裁判所は所有権が浮石寺にあると判断した。略奪文化財という浮石寺の主張が説得力があるとみたためだ。当時、裁判所は「この仏像は瑞山浮石寺の所有であったことを十分推定でき、過去に贈与や売買など正常な方法ではなく盗難や略奪などの方法で日本の観音寺に運ばれ、奉安されたとみなければならない」と判示した。特に仏像の中に腹蔵物がそのまま入っていた点と、仏像の移動経緯を説明する移安文(仏像などを移した経緯を記した文書)がない点などを判断の根拠とした。「1330年に制作された高麗仏像が(観音寺に)存在するのは、倭寇による一方的請求があったと推測される」という日本の専門家が1978年に書いた文も略奪証拠として裁判所は採択した。
 同日、控訴審裁判所は仏像を適法に日本に持ち込んだという観音寺側の主張に対して「朝鮮時代に仏像を日本に持ち帰った経緯と関連した書類や記録があるか」と尋ね、田中住職は「帰って探してみる」と答えた。次回の弁論は2カ月後の8月17日に開かれる。

チェ・イェリン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/area/chungcheong/1047149.html
韓国語原文入力:2022-06-1601:03
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