三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「40年間沖縄で戦死者の遺骨を掘り出している理由」

2021年09月11日 | 国民国家日本の侵略犯罪
http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/41074.html
「The Hankyoreh」 2021-09-10 10:07
■[特派員コラム]40年間沖縄で戦死者の遺骨を掘り出している理由

【写真】沖縄県国頭郡宜野座村惣慶で、具志堅隆松代表が沖縄戦の犠牲者と推定される人の頭蓋骨の一部を見せている=宜野座/チョ・ギウォン記者//ハンギョレ新聞社

 菅義偉首相が3日、突然自民党総裁選に出馬しないことを明らかにし、日本列島が騒然となった。東京のあちこちで新聞の号外がまかれた。せわしくニュースを見ていた中、日本の活動家からあるメッセージが届いた。今月14日、衆議院議員会館で日帝の侵略戦争当時の戦死者遺骨問題について話し合うという内容だった。厚生労働省、外務省、防衛省など日本政府との対話も予定されているという。
 遺骨問題は、日本だけでなく韓国でも重要な懸案だ。植民地時代に行われた強制動員で犠牲になった多くの朝鮮人の遺骨は、解放から76年がたった今も、日本、東南アジア、太平洋諸島などに放置されたままだ。この問題に向き合うたびに、深いため息が出る。時間がたつにつれ骨のひとかけらも見つけられない遺族たちの切迫感は高まるのに、作業は遅く、韓日政府の対処は不十分だ。
 社会的関心も高くはなく、韓日の市民活動家と遺族が孤独に戦っている。沖縄で戦死者の遺骨を収集してきたボランティア団体「ガマフヤー」の具志堅隆松代表(67)もその一人だ。具志堅代表は28歳の時から遺骨を収集し、遺族に返す仕事をしてきた。彼がこの仕事を始めたのは、故郷である沖縄の悲劇と関係がある。
 沖縄では1945年4月から6月にかけて激しい戦闘があった。日本は敗北直前に、本土を守るために沖縄を盾にして米軍を相手に無謀な戦いをした。当時20万人以上が亡くなり、朝鮮半島から連行されて犠牲になった朝鮮人の数も1万人にのぼると推定されている。具志堅さんは、幼い頃から家の近くの山に行けば遺骨がたくさんあり、この遺骨が捨てられているということを知った。遺骨の家族を探してあげようという「善良な思い」で始まったことが、40年近く続いてきたのだ。
 遺骨発掘と返還にも難関が多いが、今年、新たな問題まで起こった。日本政府は沖縄南部にある米軍普天間飛行場を、中部の辺野古に移転する作業を進めている。この過程で辺野古沿岸の埋め立てに使う土砂の一部を、沖縄戦闘激戦地だった糸満市と八重瀬町から採取する計画を立てた。遺骨の混じった土砂が使われるかもしれないということだ。具志堅さんは「どうしてこんなことができるのか。戦死者に対する冒涜だ」と強く反発し、今年3月に続き、6月、8月に3回のハンガーストライキを行った。
 彼の戦いは人々の心を動かした。沖縄から遠く離れた大阪府の茨木市議会では今年6月、辺野古埋め立て工事に糸満市などの土砂を使用しないよう求める意見書を全会一致で可決した。他地域の市議会で出された決議ということで、大きく注目を集めた。議会に意見書を提出したのは、同地域出身の20代の大学生である西尾慧吾さんだった。具志堅さんの闘争の知らせを聞き、微力ながら力添えをしようと行動に出たのだ。西尾さんは「これは辺野古埋め立てに対する賛否ではない。人道主義的問題だ」と説得し、自民党議員の同意も得た。
 これだけでなく、日本全国から約3万3千人が反対署名に参加した。韓国の太平洋戦争被害者補償推進協議会のイ・ヒジャ代表も「遺骨が埋まっている土砂を軍事基地に利用しようとする非人道的な行為は許せない」とし、具志堅さんに励ましの連帯メッセージを送った。
 「無念の死を遂げた方たちの身元をを明らかにして、遺族に返さなければならない。そうしなければ彼らの無念を晴らすことはできない」。具志堅さんがよく言う言葉だ。14日に予定された日本政府との交渉では、辺野古の土砂問題だけでなく、韓国人を含め遺骨返還に対する幅広い論議が行われる。関心と連帯が必要な時だ。
キム・ソヨン|東京特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1011143.html
韓国語原文入力:2021-09-10 02:34


http://japan.hani.co.kr/arti/international/40357.html
「The Hankyoreh」 2021-06-23 07:11
■「犠牲者の遺骨の混じる土で沖縄米軍基地建設、反人道的行為」
 韓米日の市民団体、遺族がオンライン記者会見 
 辺野古移転工事に沖縄戦激戦地の土砂を使用する可能性に批判

【写真】日本の市民団体「ガマフヤー」の具志堅隆松代表が22日、オンライン記者会見を行っている=記者会見の画像をキャプチャー//ハンギョレ新聞社

 太平洋戦争の犠牲者の遺骨が混じった土砂が沖縄の米軍基地建設工事に使われる可能性があるとして、韓米日の市民社会団体と遺族が強く反発している。
 日本の市民団体「ガマフヤー」の具志堅隆松代表は22日、オンライン記者会見を開き、「遺骨の混じった土砂を軍事基地建設のために使用してはならない」と訴えた。ガマフヤーは40年間にわたり、第2次世界大戦末期に起こった沖縄戦で犠牲になった人々の遺骨を収拾し、遺族に返す運動を行っている団体だ。具志堅代表はこの日「沖縄南部には日本人だけでなく米兵や朝鮮半島から連れてこられた人々の遺骨もある」とし「この事案は国際的な問題として共に声をあげていくべき」と強調した。具志堅代表は3月に続き、今月19日に2度目のハンストを開始している。
 この問題は、日本政府が進める沖縄南部の米軍普天間飛行場の辺野古沿岸への移設工事の計画を一部変更することを、同政府が最近明らかにしたことが発端となった。沖縄戦の戦場となった南部の糸満市と八重瀬町が埋め立て用土砂などを採取する場所として記載されていたのだ。ここは戦争犠牲者の遺骨が多く埋まっているところで、今も遺骨収拾が行われている。沖縄戦では米軍と日本軍の間で激しい地上戦が行われ、この過程で住民、日本軍、米軍、朝鮮人など約20万人が犠牲になったと推定されている。

【写真】韓国からオンライン記者会見に参加した太平洋戦争被害者補償推進協議会のイ・ヒジャ代表=記者会見の画像をキャプチャー//ハンギョレ新聞社

 韓国からオンライン記者会見に参加した太平洋戦争被害者補償推進協議会のイ・ヒジャ代表も「日本が起こした戦争で犠牲になった人々」とし「遺骨の埋まっている土砂を軍事基地に利用しようとする反人道的な行為は許せない」と反発した。イ代表は「家族は、遺骨でなくても両親や兄弟の骨のかけら、遺品でもよいから探し出したいという気持ちを捨てられないはず」と訴えた。
 同日の記者会見には、沖縄戦で兄弟を失った日本人の遺族や米国の退役軍人も出席した。彼らは、沖縄南部地域の土砂を使用する計画を中止するよう日本政府に求めると同時に、沖縄県の玉城デニー知事に対しては工事計画変更届を承認しないよう求めた。
 これに対して日本政府は、土砂などをどこから採取するかはまだ最終的な決定ではないとの立場だという。
キム・ソヨン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/1000408.html
韓国語原文入力:2021-06-22 16:19


http://japan.hani.co.kr/arti/international/35691.html
「The Hankyoreh」 2020-02-10 07:59
■[ルポ]沖縄の土地の下から「強制動員された朝鮮人」の遺骨発掘か
 本部町の朝鮮人軍属の遺骨発掘現場 
 韓国・日本・台湾の市民による共同遺骨発掘作業 
 75年前、米国の雑誌の写真が端緒となり場所を特定 
 予備発掘時に人間の背骨などが出てきたが 
 当時亡くなった人の遺骨か否かは確認できず 
 「魂だけでも故郷へ帰れるように」

【写真】9日午前、沖縄県国頭郡本部町健堅の駐車場で始まった遺骨発掘作業現場で4・9統一平和財団のアン・ギョンホ事務局長が、アルミホイルに包まれた人の背骨を岩の上にひろげている。遺骨は7日の予備発掘で見つかったが、太平洋戦争当時の犠牲者の遺骨であるかは確実でない//ハンギョレ新聞社

 9日午前、沖縄県国頭郡本部町健堅の駐車場で、4・9統一平和財団のアン・ギョンホ事務局長がアルミホイルに包まれていた人間の背骨を岩の上にひろげた。そして再びたたんで岩の上に載せた。背骨だけでなく米軍が使った弾頭、服やカバンを結ぶのに使われたと見られるバックルや昔の日本の硬貨もアルミホイルの上に広げ、再びたたんだ。
 閑静な海辺の村にある健堅の駐車場は、太平洋戦争当時に動員された朝鮮人軍属(軍務員)2人の遺骨が埋められていると推定される場所だ。この日、韓国、沖縄、日本本土、および台湾の市民が集まって共同遺骨発掘作業を始めた。アン事務局長も発掘作業に参加した。骨や弾頭は、共同発掘作業以前の7日に行われた予備発掘の時に見つかった。背骨が出てきた場所を中心に土地を掘り起こして遺骨発掘作業を始めた。
 沖縄は、太平洋戦争で日本で唯一本格的な地上戦が繰り広げられた場所で、日本軍と沖縄住民、動員された朝鮮人・台湾人など20万人余りが亡くなったと推定される。朝鮮人遺骨発掘作業の進行は珍しい例だ。

【写真】1945年5月、米国の雑誌「ライフ」に掲載された写真。写真の中の墓標に金山萬斗(右から2番目)、明村長模(右から4番目)と書かれた漢字が見える。彼らは強制動員された朝鮮人軍属だった=資料写真//ハンギョレ新聞社

 発掘作業は1945年5月に米国の雑誌「ライフ」に掲載された一枚の写真から始まった。木製の墓碑の横で米軍兵士が海を見ている写真だ。14本の墓碑のうち、2本に漢字で音読した時「クムサンマントゥ」と「ミョンチョンジャンモ」という名前が見えた。創氏改名された朝鮮人の名前と推定された。沖縄の市民運動家は、朝鮮人強制動員者の名簿に照らし合わせ、この2人が日本軍の軍属として動員されたキム・マントゥさんとミョン・ジャンモさんであることを確認した。死亡当時2人は23歳と26歳だった。日本軍の記録によれば、2人は日本軍の輸送船として徴発された船舶「彦山丸」に乗ったが、1945年1月22日、米軍機の攻撃により彦山丸で多数が死亡した。墓標の名前から確認された犠牲者14人は、彦山丸の船長と軍人、軍属だ。
 7日に発掘された背骨が、当時の墓標の中の14人のものであるかは定かでない。朝鮮人の遺骨であるかも不明だ。遺骨発掘の専門家であるパク・ソンジュ忠北大学名誉教授(考古美術史学)は「骨の成熟度から見て、18~19歳未満の人の遺骨と見える」と話した。彼は「4メートルの深さから遺骨が出てきたが、ここは戦後にに土を積み上げたところだ。発掘の深さから見て、14人の遺骨ではないかもしれない」と話した。
 村の人々が犠牲者を火葬して埋めたとし、具体的な位置まで特定できたことも発掘作業を実現する動力になった。ただし、出てきた骨に火葬の跡はない。発掘作業をリードしたひとりである沖本富貴子さんは「火葬したという村の住民の証言もあるが、そのまま埋めたという証言もある」として、まだ発掘された遺骨が誰の骨なのかは分かっていないと話した。身元を特定するには、鑑定可能な程度のDNAが残っていなければならない。沖本さんは「遺骨が放置されてはならない。歳月が流れ遺族のもとに帰ることが難しくとも、ひとりの人間として生きてきた尊厳が回復されなければならない」と強調した。
 この日の発掘作業の開始前に慰霊式が開かれた。参加者たちは「遺骨の魂が故郷へ帰ることを願う」と話した。海の向こうには75年前の写真と同じように瀬底島が見えた。韓国の市民団体「平和の踏み石」と日本の団体である「本部町健堅の遺骨を故郷に帰す会」などで構成された「健堅遺骨発掘共同実行委員会」は、11日まで共同発掘作業を実施する。

【写真】9日午前、沖縄県国頭郡本部町健堅の駐車場で始まった遺骨発掘作業現場で、東アジア各国の市民が発掘作業をしている=本部町/チョ・ギウォン特派員//ハンギョレ新聞社

本部町/チョ・ギウォン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/927537.html
韓国語原文入力:2020-02-09 18:22


http://japan.hani.co.kr/arti/international/32820.html
「The Hankyoreh」 2019-02-18 13:23
■[ルポ]沖縄の朝鮮人軍属だった「萬斗、長模」は駐車場の地の下に捨てられたのか
 沖縄県本部の駐車場、朝鮮人軍属2人の埋葬地と推定 
 1945年、米雑誌「LIFE」の写真を手がかりに犠牲者の名前を確認 
 住民「母が『日本軍が朝鮮人をいつも殴っていた』と話した」 
 早ければ来年1月、韓国と日本の市民たちが共同で遺骨を発掘

【写真】沖縄県国頭郡本部町健堅の駐車場で、16日開かれた「朝鮮人軍属犠牲者追悼式」で僧侶が冥福を祈っている。男性たちが持っている写真は1945年に米雑誌「LIFE」に掲載された写真で、犠牲者の埋葬場所を探す手がかりとなった//ハンギョレ新聞社

 「犠牲者の名前を一人ずつ呼びながら追悼します。金山萬斗・朝鮮名金萬斗(キム・マンドゥ)。明村長模・朝鮮名明長模(ミョン・ジャンモ)…」
 16日、沖縄県国頭郡本部町健堅(けんけん)にある海辺の駐車場で、太平洋戦争で犠牲になった朝鮮人2人の追悼式が行われた。駐車場の土地の下には、日本軍軍属として動員された2人の遺骨が埋まっているものと推定される。本部は韓国人も多く訪れる美ら海水族館がある有名な観光地だ。追悼式は、韓国の市民団体「平和の踏み石」と日本の市民団体「東アジア市民ネットワーク」などが主催した行事「東アジア共同ワークショップ」のプログラムの一つだった。
 ここに朝鮮人が埋められたと推定するようになったのは、1945年5月に米国の雑誌「LIFE」に掲載された1枚の写真のためだ。木で作った墓標の隣で、米軍兵士が海を眺めている写真だった。14の墓標のうち2つに、日本人としては見慣れない名前があった。金山萬斗と明村長模は、創氏改名した朝鮮人の名前ではないか。沖縄の市民運動家たちは、朝鮮人強制動員者名簿と照らし合わせ、彼らが日本陸軍軍属として動員された朝鮮人であることを確認した。地元紙「琉球新報」が2017年にこのエピソードを紹介した後、韓日の市民団体が遺骨の発掘を推進している。早ければ来年1月に発掘を始める予定だ。

【写真】1945年5月、米国の雑誌「LIFE」に載った写真。写真の中の墓標に金山萬斗(右から2番目)、明村長模(右から4番目)と書かれた漢字が見える。彼らは強制動員された朝鮮人軍属だった//ハンギョレ新聞社

 駐車場の土地の所有者である我部政信さん(77)は、発掘に賛成した。追悼式で会った我部さんは「母が、戦争当時日本兵が朝鮮人をいつも殴っていたと話した。朝鮮人が乱暴に殴られる場面を見たと言っていた」と話した。彼は「飢えた朝鮮人たちが家に来て食べ物をくれと乞うて、母がサツマイモをあげたりしたと言っていた。とうがらしはあるが辛くて食べられないと母が言ったが、朝鮮人たちはそれもくれと言ったそうだ」と語った。我部さんの父は「遺骨が埋められた土地だからその土地には家を建てられない」と生前に話したという。今も住民たちは、遺骨が埋葬されていると推定される駐車場の内側には車をあまり停めないという。舗装されていない駐車場の内側には、駐車する人が少なかったのを示すように草が生えていた。
 金氏と明氏の最後は、日本軍の記録に出ている。二人は1945年1月22日、補給船に乗り、米軍の空襲で死亡した。当時、米軍は上陸直前に島の随所を空襲した。今も駐車場の向かい側に住む住民の中村英雄さんは、市民団体に日本軍が遺体を燃やした後に埋葬した場所を証言した。遺骨が発掘されれば、DNA検査を通じて朝鮮人の遺骨かどうかが確認される可能性がある。
 太平洋戦争の時、沖縄では日本軍と沖縄住民、動員された朝鮮人や台湾人など約20万人が死亡したと推定される。犠牲になった朝鮮人の行方はほとんど推定することさえできない。金氏と明氏は特殊な例だ。沖縄の朝鮮人遺骨問題を長年研究してきた沖本富貴子氏は「私たちが立っている土地の下には、朝鮮人2人と日本人軍属の遺骨が埋まっているはずだ。あの海と山にもまだ多くの遺体が埋まっているかも知れない。沖縄全体が巨大な墓場だ」と語った。

本部/文・写真 チョ・ギウォン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/882443.html
韓国語原文入力:2019-02-17 21:32
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