三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「北朝鮮に9億ドル超有償支援 返済は240万ドルだけ=韓国輸出入銀行」

2019年10月15日 | 北部朝鮮
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20191014001100882?section=news
「聯合ニュース」 2019.10.14 11:07
■北朝鮮に9億ドル超有償支援 返済は240万ドルだけ=韓国輸出入銀行
【ソウル聯合ニュース】韓国輸出入銀行が統一部から委託を受け、1991年から運用している南北協力基金で、北朝鮮に有償支援した約9億3000万ドル(約1010億円)のうち、返済は240万ドルにとどまっていることが14日、分かった。韓国国会の企画財政委員会所属の沈在哲(シム・ジェチョル)議員(自由韓国党)が同行から提出を受けた資料の分析結果を明らかにした。

【イラスト】韓国輸出入銀行が統一部から委託を受けて行った北朝鮮への有償支援の返済が滞っていることが分かった=(聯合ニュース)

 同行が北朝鮮に有償支援したのは食糧が2000~07年に計6件の7億2000万ドル、資材・装備(装置や設備)が02年(1件)に1億3300万ドル、軽工業原材料が07年(1件)に8000万ドルだった。
 このうち、07年と08年に2回にわたって亜鉛と現物で240万ドルが返済された。
 今年9月末時点で未返済残高と利子の総額は9億8100万ドルという。
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「廃虚になった朝鮮半島の中心…弓裔とソテジは何を夢見たのだろうか」

2019年10月15日 | 北部朝鮮
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/34641.html
「The Hankyoreh」 2019-10-14 22:04
■[ルポ]廃虚になった朝鮮半島の中心…弓裔とソテジは何を夢見たのだろうか
 京畿道-ハンギョレ共同企画 
 [DMZ現場報告書](4)歴史文化遺産 

 国境の川 臨津江は三国時代・朝鮮戦争の遺跡の宝庫 
 泰封国宮闕などの遺跡、南北共同調査推進できず 
 京畿道・江原道・文化財庁「世界遺産南北共同登載」推進

【写真】江原道の鉄原郡鉄原邑官田里にある朝鮮労働党の旧鉄原(チョルウォン)党舎。骨組だけが残る3階建ての建物のあちこちに銃砲弾の痕が鮮明に残っている=パク・ギョンマン記者//ハンギョレ新聞社

 南北を分ける臨津江(イムジンガン)は、1500年前の三国時代にも100年を超えて高句麗、百済、新羅が対峙した国境の川だった。川辺に並ぶ瓠蘆古壘城(ホルゴルソン)、關彌城(クァンミソン)などの城郭は、当時の戦場の痕跡を大切に保管している。川に沿って高浪浦口(コラン入り江)、壬辰船着場などかつて栄えた入り江と高麗王建に国を渡した新羅敬順王陵などの歴史・文化資源が並んでいる。柱状節理、赤壁など、秀逸な景観も見逃がせない。京畿道漣川(ヨンチョン)の臨津江と江原道の非武装地帯(DMZ)一円は、今年6月ユネスコ生物圏保存地域に指定された程に貴重な動植物も多い。非武装地帯一帯をユネスコ世界遺産に登載しようとする動きが活発な理由だ。

【写真】京畿道漣川郡長南面の臨津江川岸に建つ三国時代の聖地「瓠蘆古壘城」から眺めた臨津江=パク・ギョンマン記者//ハンギョレ新聞社

◆臨津江をめぐる戦争の序幕
 今月8日、臨津江と漢灘江(ハンタンガン)が出会う漣川の瓠蘆古壘城は、低い平地城だが、玄武岩の天然絶壁の上に位置するため川が一望できた。この城は、漣川の隱垈里城(ウンデリソン)、堂浦城(タンポソン)と共に高句麗の3大城と言われる。
 臨津江流域は、紀元後(西暦)4世紀まで百済の領地だった。だが、390年に南下政策を展開した高句麗広開土王が、4万の軍勢を率いて關彌城(現在の坡州(パジュ)の烏頭山城(オドゥサンソン)と推定)など臨津江流域の百済城を攻撃し、臨津江をめぐる長い戦争の序幕を開けた。
 393年、百済の眞武将軍が1万の軍勢を率いて關彌城を奪還しようとしたが、敗退して広開土王は396年に百済の58個の城を奪い、阿シン王の降服させた。長寿王(チャンスワン)は父の広開土王が確保した臨津江一帯をベースに南側を攻略し、475年に百済の首都だった漢城(ハンソン)を占領し、牙山湾(忠清南道牙山)から迎日湾(慶尚北道浦項)まで領土を拡張した。

【写真】京畿道漣川郡長南面の高浪浦里にある新羅最後の王である敬順王の陵墓=パク・ギョンマン記者//ハンギョレ新聞社

 その後、臨津江が要衝の地として登場したのは551年だ。当時、新羅・百済連合軍の攻撃で漢江(ハンガン)の峨嵯山(アチャサン)防御線が崩壊すると、高句麗は臨津江まで後退し川の北側に防御線を構築した。北上する新羅を防ぐためだった。漢江流域を占めた新羅軍は、臨津江まで進出したが堅固に構築された高句麗の城を突き抜けることはできず川の南側に城を築き高句麗軍と対峙した。以後、高句麗と新羅は高句麗が滅亡する668年までここを中心に局地戦を行ったが、どちらも臨津江を完全に獲得することはできず、100年を超えて軍事的緊張を継続した。
 以後668年に高句麗の首都である平壌城を占領した唐が、新羅との約束を破り南に進軍し、高句麗の兵士たちは臨津江の瓠蘆古壘城に集結し背水の陣で唐軍に抗戦した。7年後の675年、唐軍は漢城の関門である臨津江南側の新羅七重城(チルチュンソン)を攻撃したが不如意に終わり、迂回して買肖城(メチョソン・現在の漣川大田里山城と推定)に20万の大軍を駐留させ、臨津江の入り口の祖江(チョガン)側に補給線を敷いた。気配を察した新羅軍が泉城(チョンソン・關彌城の新羅名)で補給線を破壊し、買肖城の唐軍は混乱に陥った。新羅軍はこの機を逃さず唐軍を撃破した。買肖城戦闘の敗北で唐軍は2年後の677年、平壌に設置した安東都護府を遼寧省撫順に移し、朝鮮半島に統一新羅時代が開かれた。
 最近、ユネスコ生物圏保存地域に指定された漣川の臨津江周辺は、国家指定文化財保護区域だ。ここには瓠蘆古壘城をはじめ隱垈里水クモ棲息地、全谷里(チョンゴクリ)遺跡、敬順王陵、崇義殿址、堂浦城、隱垈里城、漣川駅給水塔、漣川国連軍火葬場の9カ所の文化財がある。漣川駅給水塔と国連軍火葬場を除く文化財は、すべて臨津江沿いに分布し、生物圏保存地域の核心区域に含まれている。

【写真】京畿道坡州市文山邑の臨津閣広場の望拝壇の後方にある臨津江トッケ橋(右)。臨津江の南北をつなぐ唯一の通路だったが朝鮮戦争で破壊された=パク・ギョンマン記者//ハンギョレ新聞社

◆失われた王国、鉄原
 非武装地帯の中央にある江原道鉄原(チョルウォン)は、朝鮮戦争以前には四通八達の道路を備えた朝鮮半島の中心都市として栄えた。だが戦争で都市(旧鉄原)の歴史は根こそぎ消えた。旧鉄原は、ほとんどが民間人統制区域に含まれ村が消え廃虚と化した。
 鉄原平野の中心に位置した旧鉄原は、戦争前は京元線と金剛山電鉄が運行される交通の要所だ。1938年に日帝が出した『鉄原邑誌』を見れば、鉄原の人口は4269世帯、1万9693人だった。学校5校、金融機関4カ所、行政機関34カ所、旅館34ヶ所、食堂61カ所を擁していた。農産物の集散地で交易が活発だったここは、1945年の解放当時には3万7855人に人口が増えた。
 イデオロギーの葛藤が尖鋭に衝突した旧鉄原は、解放以後に支配体制が何度も変わり、あちこちに多様な遺跡を残した。露日戦争後、軍事物資を輸送する目的で日帝が開通させた京元線の中間寄着地だった鉄原駅は、今は古い立て札と鉄路だけが残されている。鉄原から金剛山(クムガンサン)までの116.6キロメートル区間を4時間半かけて一日8運行した金剛山電鉄も日帝の地下資源収奪と修学旅行の生徒や観光客で混みあったが、今は橋梁だけが残る廃虚になった。
 残っている施設のうち、それなりに保存がうまくいったところは労働党舎だ。解放直後、旧市街地から最も高いところに建てられたこの建物は、ソ連軍の治下で住民の寄付と労役で建設された。旧鉄原の象徴イメージになった労働党舎は、銃砲弾の痕で戦争の傷痕を生々しく伝えている。

【写真】イ・ジェミョン京畿道知事(左から)とチョン・ジェスク文化財庁長、チェ・ムンスン江原道知事が7月、非武装地帯世界遺産南北共同登載のための協約書に署名し記念写真を撮っている=京畿道提供//ハンギョレ新聞社

 この労働党舎は、1994年当時最高人気を博した歌手のソテジが、「渤海を夢見て」という歌のミュージックビデオの素材に使い、注目された。チョン・グンシク・ソウル大教授(社会学科)は「廃虚に関して:鉄原で想像する平和」という論文で、鉄原で最も意味ある“廃虚興し”の事例としてこのミュージックビデオを挙げた。彼は「鉄原労働党舎は、ソテジの音楽を通じて廃虚から近代文化遺産に生まれ変わった」と書いた。
 全世界の半分の丹頂鶴が訪れる“丹頂鶴王国”の鉄原は、たとえ18年に終わった短い王朝だったとはいえ、新しい世の中を夢見た弓裔の国、泰封国(901~918)の首都だった。901年、平壌から忠州以南まで朝鮮半島の中央部を掌握した弓裔が、渤海の東京城をまねて905年に建てたという鉄原城は、外城の周囲が12キロメートル、内城の周囲が7.7キロメートルの堂々たる規模を備えていたが、軍事境界線内に位置したために発掘調査ができなかった。
 昨年の9・19南北首脳会談で非武装地帯歴史遺跡共同調査に対する軍事分野合意で、鉄原城の発掘が関心事に浮上したが、朝米首脳会談の決裂で議論さえできなくなっている。2008年11月、3時間という限られた時間で鉄原城を調査したイ・ジェ国防文化財研究院長は、「朝米関係が改善されない限り、来年も城跡の発掘を楽観できないだろう」と話した。

【写真】京畿道坡州市の非武装地帯軍事境界線上にある板門店で、南側の兵士が北側の動きを注視している=パク・ギョンマン記者//ハンギョレ新聞社

◆平和・和解の空間として再誕生を夢見るDMZ
 11日、文化財庁の資料によれば、非武装地帯内の歴史遺跡は、現在知られているものだけで鉄原城を含め36カ所がある。丙子胡乱の時、青軍を壊滅した後に戦死者の遺骨を集めて墓を作った戦骨塚(鉄原)と、1359年の金化 五聖山に攻め込み討伐された紅巾賊の石墓である埋頭墳(鉄原)が代表的だ。坡州の旧長湍面事務所と京義線の旧長端駅跡、京義線長端駅のチュグメ橋など3件は登録文化財に指定された。
 この他、丙子胡乱の金化戦闘戰跡地(鉄原)と白馬(ペンマ)高地(鉄原)、狙撃稜線(鉄原)、Betty高地(漣川)など、朝鮮戦争戦跡地4カ所と都羅山(トラサン)烽燧地(坡州)、小伊山烽燧地(鉄原)、城齋山城(鉄原)、承陽山城(北朝鮮平康)、中御城(鉄原)、古莊里山城(漣川)、昌化寺址(坡州)、基谷里寺址(漣川)、忠莊祠址(鉄原)などの文化遺産も散在している。非武装地帯は、特に停戦協定によりできた監視警戒所、軍事境界線、南北の限界線鉄条網、板門店など朝鮮戦争の遺産がそのまま残っている。
 非武装地帯を平和・和解の空間として生まれ変わらせようという努力は多様に進行している。京畿道、江原道、文化財庁が7月に非武装地帯のユネスコ世界遺産南北共同登載のための業務協約を結んだのもそのようした努力の一つだ。イ・ジェミョン京畿道知事は「6月の南北米首脳による板門店出会いで、非武装地帯が平和と共存の空間であることを再確認した。今が南北共同登載を進める絶好の機会」と話した。文在寅大統領も先月、国連総会に参加して非武装地帯のユネスコ世界遺産登載を南北が共同で推進しようと提案した。

パク・ギョンマン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/area/capital/912932.html
韓国語原文入力:2019-10-14 15:09
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