三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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沖縄で 3

2012年06月25日 | 個人史・地域史・世界史

■上里さんの証言 1
 6月20日に、浦島悦子さんに案内されて、キム チョンミさんとともに、名護市に住む上里さんの自宅を訪ね、話を聞かせてもらうことができました。浦島さんは、2008年3月に名護市役所からだされた名護市史編さん委員会編『名護市史本編5 出稼ぎと移民Ⅰ』に「久志村からの〈出稼ぎ・移民〉」を、『名護市史本編5 出稼ぎと移民Ⅲ』に「三灶島(中国)」を書いており、海南島近現代史研究会の会誌『海南島近現代史研究』第2号・第3号(2011年2月)に「「鍬の戦士」たちの胸の内 沖縄からの三竈島移民・断章」を寄稿してもらっています。
 上里さんは、1919年生まれで、93歳の誕生日を迎えたばかりとのことでした。
 しっかりした口調で、昔のことをくわしく話してくれました。
 わたしたちは、上里さんが海南島に行ったころのことを中心にして、話を聞かせてもらいました。
 上里さんは、1940年4月に、日本海軍佐世保鎮守府設営隊の軍属として海南島に行ったとのことでした。
 『琉球新報』1940年4月10日号の広告欄に、つぎのような案内が掲載されています(原文「元号」使用)。
  「南支○○島行労務者大募集
   左記ニ依リ南支○○島行労務者ヲ募集ス
          一九四〇年四月十日
             沖縄県
             国営 那覇 名護 宮古 職業紹介所
      記
  一、就業地 南支○○島
  一、業務  土木工事
  一、勤務期間 工事終了迄トス
  一、応募資格 (イ)満二十二歳以上五十歳迄ノ男子
           (ロ)身体強健、意志鞏固、思想善良ナル者
           (ハ)可成兵役関係薄キ者又ハ応召解除者
           (ニ)尋卒程度ノ学歴アル者
   一、賃金  日収三円前後
   一、支度金  三十円支給ス
   一、宿舎   官給ス
   一、食事   官給ス
   一、渡航旅費 不要
   一、提出書類 (イ)応募者ハ身元証明書一通持参ノコト
            (ロ)採用決定ノ上ハ戸籍謄本一通提出スベシ
   一、募集締切期日並身体検査日時及検査場
     都市別   募集締切期日  身体検査日時         身体検査場
    國頭郡    四月十九日   四月二十日午前九時ヨリ  名護職業紹介所
    首里市島尻郡中頭郡 四月二十日 四月廿一日午前九時ヨリ 那覇市開洋会館
    那覇市      四月二十一日   四月二十二日午前九時ヨリ 右同
    宮古市      四月二十日      右同              右同
   一、申込所   最寄職業紹介所  町村役場」。

 上里さんは、この「南支○○島行労務者大募集」に応募したのではないかと思います。
 具志川市史編さん委員会編『具志川市史 第四巻 移民・出稼ぎ 論考編』(2002年3月、具志川市教育委員会発行)巻末年表の1940年4月の項に、「佐世保海南建築部が南支那方面行きの軍需労務員若干名を名護と那覇で募集〔琉新〕」と書かれています。
                                             佐藤正人

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