三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県および熊野市が地方税を課税することの不正義 2

2011年03月08日 | 紀州鉱山
■熊野市が追悼碑の建立地に固定資産税を課税することの不正義
 追悼碑の土地に固定資産税を課そうとする熊野市の姿勢はそれ以上に悪質です。わたしたちは、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人の追悼碑を建立する土地が公共性を有するがゆえに固定資産税を減免してほしい、という申請を熊野市長に行いました。これに対して熊野市長は「公共性は認められない」と回答してきました。
 しかし熊野市は公共性の認定について、民族差別にもとづくダブルスタンダードの態度をとっているのです。紀州鉱山では、敗戦の末期にマレー半島から移送されてきたイギリス軍捕虜300名を鉱山労働に使役していました。そしてこれらの捕虜からも、病気や事故で16名の犠牲者が出ました。石原産業は極東裁判で捕虜の虐待を告発されることを恐れて、敗戦直後にイギリス軍捕虜の犠牲者の碑を建立しましたが、その後、地元の老人会がこの碑を整備し追悼の行事をおこなってきました。そして1987年には当時の行政主体であった紀和町がこの碑の土地を石原産業から譲り受け、新たな墓地を作り直して、「外人墓地」と命名し、そこを紀和町教育委員会の名で「紀和町指定文化財」と定めました。また紀州鉱山の閉山後に紀州鉱山に関する資料を展示した熊野市が管理する「鉱山資料館」には、イギリス軍捕虜に関する写真や資料の展示が行われています。これに対して1300人を超える大規模な朝鮮人の強制連行については、熊野市、そして旧紀和町は、鉱山資料館の展示をまったく行っていません。それどころか、朝鮮人の強制連行について、その就労実態の調査も、犠牲者の追悼も、まったくおこなわずにきました。
 わたしたちは会を発足させたときから、旧紀和町、そして熊野市に強制労働の犠牲となった朝鮮人について実態を調査し、犠牲者を追悼する活動に取り組むよう要求してきました。しかし行政当局はこの要求に応える姿勢をまったく見せませんでした。わたしたちはやむなく自力で基金を募り、土地を確保して、碑を建立することにしたわけです。「英国人墓地」に対しては公共の土地を提供し、文化財指定として公認しておきながら、朝鮮人の追悼に対して公共性を認めず、私有地と断定して固定資産税を課する、これはあきらかに民族差別に基づく公共性のダブルスタンダードの判断以外のなにものでもありません。
 熊野市が公共の行政としてかつてアジアの民衆の強制労働に加担したという歴史的な事実に思いをはせるならば、自らの歴史的責任においてともに追悼の活動の取り組みに参画することは当然の義務ではないでしょうか。

 三重県、熊野市の地方税の課税を容認することは、地方行政の強制連行の歴史的責任を不問にすることであり、私たちの訴訟は日本の植民地支配の歴史的責任を今日において問い直す作業である、このことを、訴訟を通して明らかにしていきたいと考えます。
                                   斉藤日出治
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする