三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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アボヂの魂を自由にするたたかい 3

2010年07月01日 | 個人史・地域史・世界史
■これほど詳細だとは……
 2003年には、アボヂの死にかんする真実にもう一歩ちかづく資料を、さらに発見した。
 『兵籍戦時名簿』がそれであるが、当時の2級文書として韓国国家記録院に保管されていた。大韓民国にアボヂについての行跡を詳しく知ることができる資料があったのである。
 何回も日本を訪問し、日本人の協力で多くの資料を探したが、このような資料が国内にすでに入り、保管されているとは夢にも考えなかった。
 この資料は、1993年、すでに戦死者名簿とともに国内に入手されていたが、2級に分類され、公開されていなかった。家族にさえリストのみ提示され、文書の閲覧と公開が許可されなかった。粘り強く公開要求と抗議をした結果、2003年3月31日付けで本人と家族に閲覧が許可された。
 こうして、わたしは2003年4月8日付けで、アボヂの行跡についての詳細な内容を知ることができた。わたしが被害者運動を始めてから13年ぶりに、この資料を探したのである。
 資料を探しだした嬉しい気持ちの一方で、この国が強制動員被害者をどれほどおろそかに扱っているのか、あらためて絶望感を感じた。
 『兵籍戦時名簿』には、江華島の家を離れ死亡する日まで、アボヂについての記録がすべて記されていた。
 こうして、アボヂは、それまで行ったこともなく、行く理由もなかった所で、太ももの銃傷で死んだ事実がわかった。
 このように詳細な記録が残っていたが、わたしが探しだすことができなかったら、誰も知らせてくれなかっただろうし、ついには死蔵されただろう。しかし、個人がこのような資料をいちいち探すのは、あまりにも大変なことだった。もしかしたら、被害当事者はもちろん、後世の人たちも強制動員の真相を知らないまま、忘却のかなたに消えてしまっただろう。

■「日帝強占下強制動員被害真相糾明等にかんする特別法」制定
 被害者ひとりひとりでは困難な強制動員被害真相糾明を国家がしなければならないと主張して、「日帝強占下強制動員被害真相糾明等にかんする特別法」制定運動に立ち上がった。
 2001年10月12日、キム・ウォンウン議員外69人の国会議員が「日帝強占下強制動員被害真相糾明等にかんする特別法」を提案した。
 この法案は、日帝によって強制動員された被害者が熱望している真相糾明を国家次元ですみやかに展開することを促す内容であったが、与・野国会議員が政争にあけくれ、この法案の至急性と重要性を無視した。
 国内被害者団体、民族問題研究所など学術団体、市民社会団体が力を合わせて特別法制定運動を展開した結果、困難な審議過程をへて、この法案はようやく、2004年2月13日国会本会議を通過した。
 この法案は国務総理所属下に、‘日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会’を置き、被害真相調査、国内外資料の収集と分析および真相報告書作成、遺骸発掘および収集、史料館・慰霊空間造成などを骨子としている。
                                              イ ヒジャ
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