三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「朝鮮人追悼碑建立へ準備」

2009年11月26日 | 紀州鉱山
 今日付け(2009年11月26日付け)で発行された『紀南新聞』の一面トップに掲載された記事です。  
  http://www.kinan-newspaper.co.jp/history/0911/26/01.html

 『紀南新聞』は、紀南新聞社(新宮市緑ヶ丘2丁目1番)から発行されている夕刊紙(日刊)で、主として、新宮市(熊野川町を含む)・熊野市(紀和町を含む)、御浜町、紀宝町、北山村、本宮町、那智勝浦町、大地町、古座川町などで配達されています。
 昨年の三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允さんと相度さん)を追悼する集会にかんする2008年11月29日付け『紀南新聞』の記事は、2008年11月30日に、このブログに掲載してあります。
       

 
    朝鮮人追悼碑建立へ準備
    紀州鉱山で強制労働の末死亡
    関係者「英国人との扱いの差は差別」

 熊野市紀和町で戦前、強制連行の末、同町で亡くなった朝鮮人の存在を知ってもらおうと、市民団体「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会」(竹本昇世話人、会員約300人)は、来年3月28日に除幕式を行う予定で同町板屋に石碑の建立を計画している。竹本世話人は「市の鉱山資料館の展示にも朝鮮人への言及はなく、英国人との扱いの差は差別」などと市の対応に不信感を示し、同等の扱いを求めている。
 同会によると、紀和町にあった紀州鉱山には1000人以上が強制連行され労働に従事。少なくとも32人が同所で亡くなっている。氏名が明らかになっていない人も存在する可能性が高いという。
 会では、募金を集めて7月にB&G海洋センター前に214・5平方メートルの土地を購入。
 メンバー12人が22日、建立予定地で、碑の周辺に置く大きな石を運び込む準備作業を行った。
 石碑の周りに、死亡が判明した朝鮮人の名前を彫った石を並べる計画で、石は当時飯場のあった地区から運んできた。石碑と説明板の文面は現在検討中。
 建立予定地から約1キロの場所には同鉱山で亡くなった英国人の追悼施設「英国人墓地」があり、同市の史跡になっている。
 このことから、同会では市や鉱山を所有する企業に対して土地の提供を求めてきたが、断られたため自費での建立に踏み切った。
 竹本世話人は「追悼碑建立は、日本が植民地支配を認めていないことを知ってもらう第一歩になる。熊野市も歴史を明らかにし、反省すべき」と話している。

   【写真】追悼碑周辺に置く石を建立現場に運ぶ会員
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする