三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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海南島からの朝鮮人帰還について 21

2007年05月17日 | 海南島からの朝鮮人帰還
■3、海南島からの朝鮮人帰還 13
Ⅱ、朝鮮人「居留民」、「軍人」・「軍属」の帰還 5
 日本敗戦後、1950年4月まで、海南島は、中国国民党に支配された。国民党政府・国民党軍は、技術をもつ朝鮮人と台湾人を、日本敗戦後すぐには帰国させず、1946年夏ころまで、機械工場などで働かせたようである。
 日本敗戦後ただちに、海口、八所、三亜などで、朝鮮人の組織がつくられた。その組織の実体はまだほとんど明らかになっていない。組織名も証言者によって異なり、はっきりしていない。統一した組織名はなく、地域によってそれぞれ異なっていたとも考えられる。
 1945年12月1日、海口で、朝鮮人へのコメ配給要求を拒否した日本海軍特務部政務局長溝口征大佐を、金元植氏(30歳)が射殺した。国民党官憲に逮捕された金元植氏は、翌年2月に脱走したが、再び逮捕され、3月に海口の裁判所で、中国刑法によって、「有期徒刑12年」を宣告された。このときの判決文に、金元植氏は、「海南島韓国人民聯合会会長」と記載されている(48)。

註48 『令達綴(前進指揮所及四六軍)』(第二復員局残務処理部資料課『海南海軍警備府引
  渡目録』。日本防衛研究所図書館所蔵)に、金元植氏への判決文が含まれている。
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