高尾に移り住んで早1ヶ月半が過ぎ、
最近は駅までの山道でさ迷うこともなくなってきた。
車を持っていないので歩くか自転車を使って駅まで行くのだけれど、
これが想像以上にいい刺激になる。
電車の発車30分前に家を出て山道を登りくだりするのだが、
着く頃には身体がいい具合に温かくなり、リラックスした状態になるので
駅近くで相方と笑茸を食ったかのように笑い合っている。
私が幼い頃、小学校に行くまでの道で遊び場はあったが、もうすでにアスファルトに覆われていた。
だけれど時々、帰り道の空き地に土を積んであったり、大きな岩がおかれている時があって、その時は必ずといっていいほどよじ上り、
景色や風の流れがいつもと違うことを感じていた。
おしとやかとはお世辞にもいえない、猿のような子供だった。
ただ、人前ではおとなしく振舞っていたように思う。
そんなことを思いながら駅までの山道を登っていると、
山の様子が昨日とまるで違うことが分かる。
まっすぐな樹に絡まりながら天への道案内をしてくれる蔦の色や、
緑色の景色の中で赤々と荘厳な姿で輝く紅葉。
その木々の緑色もまた濃淡が美しく、朝の光の中で緑色とも銀色ともいえる輝きを現している。
そして枯葉は枝から離れ、虫たちの身体をひっそりと隠し、暖めてくれている。
森にはリズムがあることをここで初めて知った。
あまりに全ての配色が美しく移り変わるので、
神様が町のみんなが眠りについた頃を見計らって絵筆を持って色を足してくれているような気になってくる。
日々は決して単なる繰り返しではない。
これまで、同じような色の服をまとい、目にして、何に対しても違いが見えなくなって無感情な部分があったように思う。
細かい心の襞を見ずに、人を無意識に画一化して捉えていたのではないだろうか。樹も人も単調ではないのに。
山は、私たちが生まれ持ってきた感性のすばらしさや輝きを見つめさせてくれる。そして日々、私たちが変化していることを改めて感じさせてくれる、そんな気がしている。