詩の散歩道


日々思うことや静かになれる詩、本を紹介していきます。

好きな詩の紹介

2007年06月30日 | 詩紹介



最後の授業

最後の授業は
黒板をていねいに拭くことから始めたい
深みます宇宙の闇のような黒板
ぼくは黒板の下方に端から端へ直線を引きたい

―この月面の地表の上に
諸君 ひとつの楕円を目に浮かべたまえ
粉をふいた葡萄のような
さっくりと割れた
粉ふき芋みたいな鮮やかな球形を

ぼくは黒板の隅から隅へ一本の対角線を引きたい
それは宇宙の船から眺めた地球の弧だ
薄い大気の層が闇にとけているのがみえる

―諸君はこの地表に生まれて二十年にみたず
ぼくがここに滞在を許されるのはわずか二十年余りに過ぎない
ぼくは深みます黒板に黄色のチョークで斜線を引きたい
流星のようにサッと
宇宙の永遠の闇から闇へ消え去る閃光
諸君 最後の日にも
この閃光の前に
ぼくがただ呆然と立ちつくすことを黙過せよ

―われらが人生の時間はかくのごとく束の間である
何ごとにも心をつくすこと
人間にできることは
心づくしの他に何もない
別れに臨んでぼくは願う

―深みます天の黒板に
各自の生活が
かがやいてあるように

以倉紘平「地球の水辺」



そうだったのね!

2007年06月29日 | 日々の詩


昨日、久しぶりに美容院に行きました。
その後、本を読んだり、自分の感情をまとめたりして
電車に乗って帰ろうとしたとき
旅から帰ってきた友人から電話がかかってきました。
改めて電話の内容を聞くと「ありがとうと言いたかった」と
いいます。
先日ブログにアップしたマザーテレサの言葉が
友人のそのときの気持ちにとても合っていて、
心が軽くなったといってくれました。

そして電話を切った後、
「あれ?これに似た感情を今日感じていなかったかな」と気づきました。

それは今日美容院に行った時のことです。
理由あって半年間美容院にいけず、ずっと髪を切りたいと思っていました。
その気持ちもあって、帰りに戸口まで見送ってくれた美容師さんに
「髪を切ってとても気持ちが軽くなりました。本当にありがとうございました」
と心からお礼を言っていたのです。

気がつくと、自分の言っていた言葉が友人からもらった言葉と
重なっていて、言った言葉は返ってくるんだなーと改めて感じました。

そして、この間感じたことを思い出したのです。
(長い!と思われる方はここでお休みください)

大学時代、夏休みを使って沖縄にダイビングスタッフをしに行ったときの
ことですが(ちなみにあまりダイビングはできません)
あまりに契約を守らない管理者に怒って、その地で出会った人とストを起こして帰ったことがありました。

そのことは長い間、“タダ働きさせられて、利用された”と
思い込んでいたのですが、そういえば私自身、タダでダイビングをして
その場を利用しようとしていた、ということに気づいたのです。

相手から悪く思われるとき、自分がどこかでその人を悪く思っていることがあります。
相手が話を聞いてくれない!と思うとき、自分が相手の話を聞いていないことがあります。
それに気がついてよく「またやってしまった~!」と思っているのですが…。

Kちゃん、大切なことを思い出させてくれてありがとう。




言葉紹介

2007年06月27日 | 詩紹介


人は不合理、非論理、利己的です。
気にすることなく、人を愛しなさい。

あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく、善を行いなさい。

目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい。

善い行ないをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。
気にすることなく、し続けなさい。

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。
気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい。

あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう。
気にすることなく、作り続けなさい。

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく、助け続けなさい。

あなたの中の最良のものを、世に与えなさい。けり返されるかもしれません。
でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。

マザーテレサ



先日マザーテレサの言葉を友人からいただいたので、
早速よく見える場所に書かれた紙を貼りました。

自分が迷ったとき、落ち込んだとき、先が見えなくなったとき
きっと心を落ち着かせてくれると思います。

Nさん、尊い言葉をありがとうございます☆




不思議な日 その2

2007年06月04日 | 日々の詩


昨日も不思議なことがあった。

昨日は朝からマイクマクマナス著の「ソースsorse」という本を読んで、
その中に書かれている質問の回答をパソコンで打っていた。
その本は自分のわくわくの源泉を探る手引書のようなもので、途中で27項目の質問がある。
例えば、どんな場所にいるのが楽しいですか、
好きな室内の遊びは?屋外の遊びは?など。

朝、質問の回答を見直して再び記憶を探っているところで、
その時なぜか小さい頃の遊びや、よく遊んでいた友達についての
質問のところを、他の質問に行っては戻りして、
何度も記憶を手繰り寄せているところだった。

そしてようやくほっと息をついた昼の12時50分頃、携帯にメールが来た。
宛名を見ると、さっきまで記憶の映像の中で出てきていた、
小学校の時の一番の友人だった。
彼女とは7年前の成人式以来連絡をとっておらず、こんなタイミングで
連絡をくれるなんて!と驚きつつ、メールを見てみると
私が普段連絡をとっている友人を近くで見かけたものだから、という
一見私に直接関係のなさそうな内容である。
(ただ、その後メールで彼女の心境を垣間見て、なぜこのタイミングで
このメールが来たかを気付くことができるのだが)

このタイミングは不思議なものだと思いつつお皿を洗っている時、
さっきとはまったく関係のない友人に対する考えがよぎった
「あれ?彼女もしかして…」
そしてその予感が本当であったことを数時間後、本人のメールで知らされる。
(内容は彼女自身のプライバシーのため伏せておくのですが。)

今日は不思議なことが二回も続いたので、もしかしてこんなこと
できちゃったりして~、と台所のスプーンを持ち出して
それらしく気を送ってみる。曲がらない。部屋には私一人しかいない。
はは、と軽く笑ってスプーンをテーブルに置いてソファに座りなおす。

集中力が足らないのだろうか。もしくは神様が私には必要のない能力だと思って
そんな力をつけてくれないのだろうか。
ただ、何かの力があるにしろ、ないにしろ心穏やかに暮らせればいいなと
思うのだけれど。