産業革命がはじまった頃の明治27年に,通信規則に代わって農商務統計報告規則が定められ,生産統計の体系は改められた。その基本は生産構造をとらえる静態統計と生産量をとらえる動態統計とが峻別され,生産統計を後者に純化し,前者は別途に調査するとされた。農業統計のほうは既に生産量統計として位置づけられていた。しかし,工業統計は生産量統計に純化せず,明治27年から工場を単位に生産品目,職工人員,原動機台数などを他形式で調査するようになる。静態統計は,工業では明治42年の工場統計報告規則の制定で実現する。農業では明治36年分から始まる(明治35年,府県農会に農事統計作成を要請)。農業統計はこれにより,明治36年から昭和15年まで,政府の生産量統計と農家・耕地を中心とした農会農事統計の二本立てとなる。
明治も後半になると,生産統計は社会経済の大きな変化に対応し,その性格を徐々に変える。急速な上からの資本主義化は,明治30年代から労働問題を激化させ,明治44年には不完全なものであるが,工場法が公布された。工業統計調査はその施行のための資料という性格をもたされた。またこの頃,中小地主層は生産力も担い手から後退し,寄生地主制に転化していった。これとともに地主と小作の矛盾が露呈する。農業統計は生産構造をとらえる統計になる。
第一次大戦から第二次大戦まで,その前半は恐慌期,後半は戦時経済期として特徴づけられる。恐慌期にとられた国家独占資本主義的諸政策と戦時経済期における経済の国家管理は,そのための資料として生産統計の拡充を必要とした。労働争議激化のなかで家計調査,労働統計の充実化が志向され,資源調査令(昭和4年)のもとで工場統計調査が実施され,これが軍事工業調査令によって軍需工業調査と統合された。この間,調査対象が拡大した。工業調査規則制定による改正(昭和14年)によって,調査対象がさらに拡大され,調査項目も増えた。軍需品の別枠化の措置もとられた(名称は工業統計調査に改称)。農業統計はこの時期に,表式調査による生産量統計中心から,構造把握を目的とする統計へ移行する兆しが見えた。(続く)
明治も後半になると,生産統計は社会経済の大きな変化に対応し,その性格を徐々に変える。急速な上からの資本主義化は,明治30年代から労働問題を激化させ,明治44年には不完全なものであるが,工場法が公布された。工業統計調査はその施行のための資料という性格をもたされた。またこの頃,中小地主層は生産力も担い手から後退し,寄生地主制に転化していった。これとともに地主と小作の矛盾が露呈する。農業統計は生産構造をとらえる統計になる。
第一次大戦から第二次大戦まで,その前半は恐慌期,後半は戦時経済期として特徴づけられる。恐慌期にとられた国家独占資本主義的諸政策と戦時経済期における経済の国家管理は,そのための資料として生産統計の拡充を必要とした。労働争議激化のなかで家計調査,労働統計の充実化が志向され,資源調査令(昭和4年)のもとで工場統計調査が実施され,これが軍事工業調査令によって軍需工業調査と統合された。この間,調査対象が拡大した。工業調査規則制定による改正(昭和14年)によって,調査対象がさらに拡大され,調査項目も増えた。軍需品の別枠化の措置もとられた(名称は工業統計調査に改称)。農業統計はこの時期に,表式調査による生産量統計中心から,構造把握を目的とする統計へ移行する兆しが見えた。(続く)







