【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

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斎藤治子『令嬢たちのロシア革命』岩波書店、2011年

2011-10-10 00:08:30 | 歴史

       
 本書はロシア革命に前後する政治の季節に革命運動に身を投じた5人の女性(いずれも特権階級に生まれ高い教養を有していた)の評伝を核に、当時の社会事情に焦点を絞って書かれた力作です。

 意義として指摘できるのは、ソ連崩壊後、以前は陽の目をみなかった歴史的資料が発掘され、それらが使われていることです。最初に取り上げられたアリアドゥナ・ティルコーワの評伝ではそうしたものが活用されていますし、レーニンとイネッサ・アルマンドの関係も公表された往復書簡にもとづいて叙述されています。
 第二の意義は、女性革命家の活動に重きがあるので、ロシア革命のこれまでにあまり知られなった側面が照射されていることです。
 アリアドゥナ・ティルコーワもそうですが、アレクサンドラ・コロンターイ、エレーナ・スターソワ、イネッサ・アルマンド、マリーヤ・スピリドーノワなど有能な女性が歴史の変革に大きな役割を果たしていたことがわかります。

 ロシア革命の歴史を扱った従前の書物には、その部分の展開が弱く、ともすると革命は男たちが遂行したかのように認識されがちでしたが、事実は全くそうでないことがわかりました。
 
 関連して女性革命家の肖像を描いたがゆえにクローズアップされた女性に固有の問題、すなわち愛、出産、子育てへの彼女たちの意識にも光があてられ、その叙述がなかなか興味深いです。

 レーニンとこれらの女性たちとの関わりも新鮮でした。レーニンと全く対等に論争したエスエル左派のコロンターイ、そのフランス語の能力にレーニンが頼りきっていたイネッサ・アルマンド、秘書的役割で片腕として活躍したスターソワ、等々。

 革命がスローガンに掲げていた「講和」「土地」「パン」で、「講和」に関してはコロンターイが、「土地」に関してはスピリドーノワが、「パン」に関しては一般の女性たちが牽引していたという指摘は、炯眼です(p.249)。
 また、ロシアにとって全く不利だったブレスト=リトフスク講和条約の締結を急務としたレーニンに対しイネッサ、コローンターイ、スターソワは締結に反対した(p.261)という記述は貴重です。
 当時、非常に規模の大きな女性会議(集会)が何度も開催されていた(1908年12月の全ロシア女性大会、1910年8月、1915年3月の国際社会主義女性会議、1934年8月の全世界反戦・反ファシズム女性会議など)ことは初めて知り、驚きました。

 レーニンがネップ(新経済政策)に舵をきったことを、これに反対したコロンターイとの対比で著者は「プラグマティズム」と書いていますが(p.275)、ここは「現実主義的対応」と書くべきだったのではないでしょうか。
 
 また、1936-37年あたりのスターリンの粛清、恐怖政治には改めて戦慄を覚えました。

 最後に、本書は構成が工夫されていることを強調しておきます。話の筋はまず二月革命直前までの5人の出生から娘時代まで、それから1917年の2つの革命(2月革命、10月革命)とそれ以後の彼女たちの人生、というように二段構えで劇的な効果をもつようになっています。


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