【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

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塩野七生『ルネサンスとは何であったのか』新潮文庫、2008年

2012-09-05 00:21:51 | 歴史
塩野七生『ルネサンスとは何であったのか』新潮文庫、2008年

           ルネサンスとは何であったのか (新潮文庫 し 12-31)

 「ローマ人の物語」で有名な著者がルネサンスについて書いた本を集めたシリーズ『ルネサンス著作集』の第一巻です。対話形式で叙述されているので読みやすいことこの上なし。

 ルネサンスとはそもそも何だったのか。そのスタート地点にたつ人は誰? 話はそこから始まる。この問いに対する著者の回答は明快で、要するに、ルネサンスという精神運動の本質は「見たい、知りたい、わかりたいという欲望の爆発」ということ(p.15)。「コンスタンチヌスの寄進状」(後に15世紀に生きたロレンツォ・ヴァッツラにより偽作とされる)に象徴されるキリスト支配の世界へのアンチ・テーゼである(p.21)。

 そのルネサンスのスタートを,著者は聖フランチェスカとフリードリッヒ2世としている。この点がユニーク(通説は詩人のダンテや画家のジョット)[p.18]。通説の100年前ほどまえにルネサンスの起点を設定している。

 フィレンツェでのルネサンスの盛隆は、古代遺跡・彫刻を精力的に収集し、「アカデミア・プラトニア」を創設したメディチ家のコシモ(p.116-)、出版業で名を成したアルド・マヌッツィオなどに焦点を絞って考察されている(p.79-)。

 その後、ルネサンスの中心はフィレンツェからローマへ。ここでのミケランジェロ、ダ・ビンチ、ラファエッロの活躍は人々の知るとおり。そして、フィレンツェ・ルネサンスの牽引車は大商人、ローマルネサンスのそれはローマ法王(p.149)だった。

 さらに著者は、キアンティ地方(ワインで有名)のグレ-ヴェを経てヴェネツィアへ。

 柔軟な外交と自由の空気のヴェネティア。同時代のボルテールは旧態依然の寡頭政下のヴェネツィアになぜ自由が保証されていたのかと疑問を呈していたほどだった(p.220)。ティツィアーノらのヴェネツィア絵画の[色彩に」に関する叙述が印象的である(pp.232-233)。

 それにしても、著者のイタリアそしてルネサンスについての知識は凄い。出発は学習院大学の学生時代の卒業論文にあったようです。疑問が一杯あって、まとまりに欠けていた論文だったが、その疑問が大きな仕事の切っ掛けであったそうだ。

 末尾に三浦雅士氏と著者の対談がある。虫瞰的な視点と鳥瞰的な視点とが適度に組み合わされているところ、歴史を総合的に描いているところ、人間の感情に関心をよせているところが塩野七生さんの魅力とのこと。

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