【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

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保坂正康『昭和史の深層-15の争点から読み解く-』平凡社新書、2010年

2012-03-15 00:00:10 | 歴史

            

 「昭和」という時代が問い直されています。歴史の上では近い過去ですが、意外とよくわかっていないことが多いのです(資料が限られている)。くわえて過去と言っても、現在も生存している人が実際に関わったり、記憶にのこっていることが多いので、評価が難しく、それゆえ歴史的評価、位置づけ、具体的対応をめぐってしばしば論争のテーマとなり、今なお係争中であるものが少なくありません。


 本書では、15のテーマがとりあげられ、著者のコメント、見解が表明されています。
 順に示すと、満州事変前後の国家改造運動、2・26事件、日中戦争、南京事件、太平洋戦争とその歴史的本質、毒ガス・原爆殺戮兵器、北方領土問題と北海道占領、敗戦、東京裁判、占領期の宰相、占領の位置づけ、強制連行、沖縄戦、慰安婦問題、昭和天皇の歴史的役割、となります。
 
 どの問題にも異なる見解があり、一部は論争になってるほどのデリケートなテーマですが、著者は論争のどちらかに肩入れするのではなく、歴史的事象の本質を見極めようとしています。

 例えば、最初の「満州事変前後の国家改造運動」では、昭和5・6・7年の国家改造運動とは何だったのかと問い、この問いに対し、「当事者たちの意思がどのようにして培養されたのか」を示すことが答えになると指摘しています(p.31)。
 著者は個々の問題を考察するにあたって、議論がブレることのないよう複数の視点を提示しています。この点も本書の特徴です。

 いくつか例を示すと、日中戦争に関して重要なのは、(1)戦争終末点を考えていなかった、(2)国際社会の勢力を無視していた、(3)国民に向けての戦争説明がなさあれなかったこと、を挙げている。
 また東京裁判を歴史的に考察するさいの指針を7点列挙しています。(1)東京裁判を貫く一本の芯としての倫理、理念、(2)戦争犯罪人を裁くという法的行為の是非についての考察、(3)戦争責任とは具体的にどのような枠組みでどこまでの範囲で裁けるのか、(4)裁くという側の判事たちの普遍的価値観をどこにもとめるのか、(5)裁いた歯輪の責任はどのような形で問われるのか、(6)人類社会がひとつの地球的共同体に移行するときのバネになりうるのか、(7)思想や理念を裁くということはその全面的な否定を意味するのか(p.159)。問題の視角を定めることは、重要です。

 本書ではまた、そういうことだったのか、という記述にいくつか遭遇した。太平洋戦争の呼称が多様であること(大東亜戦争、アジア太平洋戦争、第二次世界大戦など、このような現象は他国では見られない)[p.86]、戦後、北海道の運命は朝鮮のように分割統治される可能性があり、その帰趨は紙一重だったこと、本土決戦は沖縄戦ですでに始まっていて、北海道出身の兵士が多く戦死し(一万余)、アイヌの人たちも数多く編入されていたこと(pp.220-223)、昭和天皇はA級戦犯が靖国神社に合祀されることに強い不満をもっていたこと(むしろその措置がとられたことを激怒し、以後参拝はやめた)[pp.258-260]などです。