桐生トランピング情報

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新潟上越・長岡

2017-04-23 09:09:32 | ブラ歩き情報
2017年4月18日・19日、新潟県の上越市から新潟市
までの日本海沿いの各所をブラ歩きしてきました。今回は、
初日の18日についてです。


最初に訪れたのは、上越市の海近くの五智という所の
五智国分寺。越後に配流された親鸞の配所があった
所です。ただ、現在の国分寺は上杉謙信が再興した
ものみたいです。五智如来の旗が立っていました。


古びた山門がありました。


ずうっと奥へ行った所から撮った境内の様子。右が本堂。


その撮った脇にあった親鸞聖人御配所草庵。竹之内草庵
と呼ばれているみたいです。


その傍にあった親鸞聖人腰掛石。


さらに親鸞聖人像も立っていました。


さらに行った先にあった三重塔。


その三重塔には、十二支の彫刻が施されていました。
右から亥、子、丑で、四面に三つずつ干支が刻まれて
いました。最初右のは象と思ったのですが、よく考えた
らイノシシだったのですね。


五智国分寺の後、近くの国分寺別院へ行きました。
こちらは、竹ヶ前草庵といわれ、一年後に国分寺
からここへ移ったとのことでした。


境内にあった銅像。糸魚川から船でこの地に来た親鸞が
最初に降り立った居多ケ浜の情景を再現したものです。
同じ境内には、親鸞袈裟懸けの松跡もありました。


本堂内陣の格子天井。


襖絵もきれいでした。
この後、上杉謙信ゆかりの春日山へ向かいました。


最初に、春日山麓の林泉寺に寄りました。越後国守護代
長尾氏その後を継いだ上杉氏菩提寺ですね。写真の総門
は、最近修復されたばかりの処みたいでした。


立派な山門が立っていました。


その山門には、天井に龍の図(双龍図)が…


本堂脇に歴代の墓所へ延びる道がありました。


その道を登って行くと、川中島戦死者供養塔がありました。


その右方には上杉謙信の墓がありました。


さらに奥の方へ上がって行くと、何やら石をくり抜いた仏像
らしきものがありました。後で調べたら、江戸期の藩主一族
の松平綱賢の墓みたいでした。


この墓所の道端にはスミレが咲いていました。マルバスミレ
のように見えました。この他に、もう終わっていましたが
カタクリも咲いていたようでした。


林泉寺からぐるっと道を回り込んで春日山城趾にきました。
謙信像が立っていました。今回のブラ歩きの主目的の一つ
です。


そこから右へ歩いて行き、春日山神社へきました。
上杉謙信を祀った神社ですね。


拝殿です。


お参りした後、横へ回ったら、心柱あるいは棟持柱で
しょうか外に出ている柱を目にしました。反対側も
同様に外に出ていました。


この春日山神社の脇から春日山本丸趾まで登れる道が
あったので、そこを上って行きました。初めは写真の
ような旧階段が続きました。


道の端にカタクリが咲いていました。こちらのカタクリの葉
には斑(まだら模様)がなく、葉の表面が緑一色できれいで
した。カタクリの隣のとんがり帽子はマムシグサですね。


上る途中で出てきた空堀。二本とも普通の山道に見えます
が空堀との説明がされていました。


エンレイソウが咲いていました。それも数多くです。何だか
通常の山登りの様相を示すようになってきました。


本丸(頂上部)が近づいてきた所に直江山城守趾がありま
した。直江兼続の屋敷ですね。


さらに上って行くと、こんどはイカリソウソの群落が…


こちらは毘沙門堂。TVなどでは上杉謙信が洞窟に籠る
シーンが多いですが、実際はお堂だったのでしょうか?
現在立っているのは復元されたお堂です。


さらに先にいくと、謙信が戦勝祈願した護摩堂趾があり
ました。


その右をちょっと上ると諏訪堂趾、さらに奥に毘沙門堂趾の
碑が立っていました。


また少し上って、本丸趾へ着きました。


本丸と続いた先に天守趾がありました。その先はもう
ありません。


本丸からの景観。内陸側でしょうか?


こちらは天守からの景観。目の前の雪が残る山は妙高と
思うのですが…


本丸から下り始めたとき、横手から天守趾を撮りました。
自然の地形をうまく活用した山城であったことが、納得
できました。


ここは直江邸近くの二ノ丸趾辺りですが、崩落していま
した。そういえば虎口から二ノ丸へ行く道は閉鎖されて
いました。


春日山城趾の次に、浄興寺へ行きました。親鸞開山の
お寺です。写真はその本堂(重文)。


こちらは聖徳太子堂。このお寺では、当初は親鸞聖人
が自作した聖徳太子像を本尊とし、後に釈迦如来に
代えたといわれています。


境内の様子。右にちょこっと見えているのが太子堂、
同様左が本堂です。


本堂続きの先にあった聖人御本廟拝堂。


その裏に回った所の御本廟。親鸞聖人の御頂骨が安置
されています。


唐門の彫刻。柏崎の名匠・篠田宗吉作みたいです。


同様に、門扉とその脇の彫刻。


山門が最後になってしまいました。


山門を出た所の道路端に立っていた説明板。この一帯は
寺が密集していて、越後高田の寺町界隈といわれてる
みたいです。
この後、高田公園に行くのですが途中で旧今井染物屋
を見ていくことにしました。


旧今井染物屋は、江戸時代に建てられた町屋で、古い
形式の雁木を備えています。


高田公園にきました。徳川家康の六男、松平忠輝の居城
として築城された高田城の跡に造られた公園です。写真
はその西堀と西堀橋。


公園内にはいくつものブロンズ像がありました。写真は
地元彫刻家岩野勇三作(作品名不明)。


内堀越しに三重櫓が見えました。


本丸にはこの極楽橋を渡って入りました。


極楽橋の袂で咲いていたヤエベニシダレザクラ。高田公園
では、この日の前日17日までさくらまつりをしていました。


本丸跡です。


三重櫓を近くによって撮りました。


外堀と内堀の間にあった小林古径邸の本邸。登録文化財
です。


これは門柱を残すのみですが、旧陸軍第十三師団の跡。
ここまでで上越市を終え、この後長岡市へ向かいました。


長岡市では最初に火焔土器を見に馬高縄文館(火焔土器
ミュージアム)に行きました。館内を見学し、火焔土器が
こんなにも数多く出土していることを知って驚きました!


一緒に展示されていた土偶。ミス馬高だそうです。


次に、悠久山公園に行きました。ちょうど桜まつり開催中
でした。


駐車場から蒼紫神社へ向かう道脇にミズバショウが咲いて
いました。こんな町中なのに、です!


蒼紫神社です。長岡藩主牧野氏所縁の神社みたいです。


その神社の高明門。こちらから登ってくるのが本道。


ここではサクラがいっぱい咲いていました。


公園最上部にあった長岡市郷土資料館。長岡城を模して
作られたみたいですね。ただ石垣は本物を使用している
ようです。


戻る途中、河井継之助の碑があるのに気が付きました。


これは、蒼紫神社社殿に併設される形であった牧野家歴代
御霊所、悠久山招魂社河井継之助・山本帯刀墓碑です。

以上で、まだまだ見たい所がいっぱいあったのですが、
この日は時間がなくなったので終わりにしました。それ
にしても、たくさん見て廻ったものだと思いました(ここに
掲載していないものもたくさんあります)。

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