森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

つれづれゲゲゲ

2010-12-13 02:13:39 | 思いつくまま

もう「ゲゲゲ」のお話は終わり~と思ったけれど、やっぱりここで語らなくては話す事も無くなってしまうかなと思うので、あとひとつだけ書かせてくださいね。なにげに同じテーマと言うのは、飽きっぽい私なのでそろそろ限界なのですが、続けてお読みくださった皆様にも感謝です。
でもだいたい最後に話すことが、一番言いたかったことなんじゃないかなとか思ってみたり。

 

【ゲゲゲと妖怪】

私はかなり妖怪好き。でも好きと言うよりは、結構なお年まで妖怪の存在を信じていたのです。でもそれは、別に水木作品の影響と言うわけではありません。不思議な気配のする家に住んでいたから、そういう人に育ったのです。

だから妖怪を描く水木作品を受け入れる気持ちも大きかったのかもしれませんね。そしてまた妖怪を見たと語る水木先生にも好感を抱いたのも当たり前のことだと思いました。

この話は有名ですよね。戦場で敗走していた時に、ジャングルの中でヌリカベを見たという話。

その話を読んだ時、私は思いました。人はいったいどんな時に妖怪を見るのか。

水木先生の体験を思うと、物凄い非日常の中に陥っている時のようにも感じますが、私はそうではないと思っています。眠れない夜に小豆研ぎの音を聞いたことはないですか。ウトウトとすると、窓辺で聞こえる「ジャリッ」と言う音。雑然としたままの部屋で目覚めると、部屋が妙に騒がしかったりするのに、片付いた部屋の中で目覚めると静まり返っているように感じる。

まあ、この先はまたいつか書くテーマとして保留にしておきますね。時間がいくらあっても足りないような師走に手を出すテーマではないかなと思いますゆえ。

だけど人はその存在を信じたいのだと思います。

ドラマの「ゲゲゲの女房」の中でも、スランプに陥ったしげるが森の中で小豆研ぎと出会い、自分の壁を破るシーンはそのドラマのファンだった人たちには、かなり嬉しいシーンでした。

 

ヌリカベを見たと言うインタビューを読んだのは、中学生ぐらいの事だったと思いますが、その時、初めて水木しげるが片腕の漫画家であることを知りました。普通の反応として、驚きました。耳が悪くなってしまった音楽家や視力を失ってしまった画家、それでもそれを補いながら才能の道を閉ざさなかった人たち、その人たちに通じるものをなぜか感じてしまったのかもしれませんが、その存在自体に勇気付けられました。

【記憶の整理】

実は、一つ前の子供達と見た映画のお話を書こうとした時に、記憶の混乱が起きました。我が家ではねずみ男の事を、時々ちゃん付けで呼びたくなってしまうと言う現象が起きました。それは、「ゲゲゲの鬼太郎、激突!!異次元の大反乱」のヒロイン、カロリーヌと言う可憐な少女の影響です。もちろん、映画のタイトルもリサーチして分かりました。

この少女が、ずるくてセコクテ汚らしいねずみ男と心通わし、とっても可愛らしく「ねずみ男ちゃん」と呼びかけるのですね。ありがちな展開かもしれませんが、人は多面的な存在であるのだとその物語はさりげなく言っているように感じました。ねずみ男の、普段は見えていない部分の善人である面を見つけ出し、信じきることによってその面を前面に引き釣り出したカロリーヌ。

そしてその面を信じる者がいると、その者の為に、その善人で生きようとし奮戦するねずみ男。なかなか奥深いのですよ。はっきり言って、面白いかったのですよ。でも、そのときの子供の反応を覚えていなく、可愛かったカロリーヌちゃんの事を書きたくても、何処に入れ込もうか分からなかったのです。

でも調べてみると、この映画は1986年の作品。先の記事で述べた「悪魔くん」の映画よりも4年も前なのです。どう言う事!?
この映画は、絶対に映画館で見たよねと自問自答。で、調べてみたのですよ。

そして分かったのです。

これは「東映漫画まつり」の1篇として公開され、同時上映は「ドラゴンボール神龍の伝説」「きんにくマン」。
思い出しましたよ、「ドラゴンボール」で。
年末早めに実家に帰っていたところに、おじが招待券をくれたのでした。まだ映画館は早いんじゃないかなと思いましたが、姉達も行くと言うので、ちょっと心強くもあり出掛けてみたのです。

ところが、「ドラゴンボール」ラストで、やはり2歳のラッタ君は飽きてしまい、椅子から立ったりしゃがんでみたり・・
覚悟してきたので、すぐに諦めて席を空け、ロビーでラッタ君の子守・・・あーあ。
映画ラスト、神龍登場シーンの音が聞こえます。ちょっぴり悔しかった映画体験なのでした。

でも、その事がインパクトが強くてすっかり記憶が薄くなっていたのですが、ラッタ君は鬼太郎の時は静かだったのですね。しっかり物語に感情移入していましたから。

この映画は、ちょっと今でも見返してみたいです。
なんと水木しげる夫妻がゲスト出演していたのですね。その時は何も思わなかったと思うのですが、今はもっとそんな部分も楽しめそうです。

そしてカロリーヌちゃんのこのセリフ・・・
「もし妖怪に生まれ変わったらねずみ男のお嫁さんになりたい。」
可憐でしょう。そして泣けるのですよ。

この「ゲゲゲの思い出」は子供達との思い出ばかりではなく、自分の涙とも再会した様に思います。

【恐怖、実はそこに】

思い出は結構尽きないのです。

高校生の頃、学校から帰ってきてテレビを点けると、「鬼太郎」の再放送を遣っていました。
でももう終わりのところで、看守が男に声をかけると、牢の奥にいた男は近づいてきて檻に触ろうとするのですが、その瞬間砂になって消え去ってしまうのです。後には恐れおののく看守が立っているだけ・・・

ああ、どんな話だったのだろうと気になりました。

翌日学校に行って、その話をしても誰もそのお話を知らなかったのですが、・・・

そう言えば、ドラマの中では次女の喜子が、妖怪の話をしようとすると気持ちがられて変人扱いにされるシーンがありますが運が悪い。友は友を呼ぶと言うか、私が高校生にもなって「鬼太郎が・・」といっても変人扱いなどされなかったのは幸せなことだったと思います。

そして盛り上がった「ゲゲゲ談義」。
一人の少女が言いました。
「鬼太郎は結構怖いよ。一人で見ていたりすると、なんとなく後ろを振り向くのが怖くなってしまったりするよ。」

そう、「ゲゲゲの鬼太郎」は怖かったのです。でもだからこそ、鬼太郎は頼りになるヒーローだったのかもしれません。

そしてその「恐怖」こそが、水木作品の骨格を成すものなのではないかしらなんて、ふと思ってみたりもするのですね。

 

実は短編集にも想い出作品があります。お話尽きないのでもうこの辺にしますが、人生を入れ替えてしまった若者の話で、ことある事に思い出す大切な作品です。かなり怖い内容です。

「恐怖」、人はそれを感じて、そこに自分への戒めを見出すこともある・・・

 

「ゲゲゲの鬼太郎」は怖かったと言うことの裏づけですが、今、なんとなくwlkipedaでリサーチ入れていましたら、ちゃんと解説が入っていましたね。怖かったんですよ、やっぱり。

鬼太郎がストーリーに介入する余地が少なく、「正義の鬼太郎が悪い妖怪をやっつける」という子供番組としての基幹コンセプトから外れて、鬼太郎が単なる傍 観者で終わってしまう話や、非常に怖く救いのない話も続出した。その反面、風刺色や怪奇色の強い大人向け作品を取り上げたことにより、水木作品の持つピュ アなエッセンスの忠実な映像化に成功した。原作の意図をよく理解したスタッフは当時の風俗や世相などを取り入れ、風刺やアイロニー、人間の業の深さなどを 描き切り、他のシリーズには見受けられない強いメッセージ性と独特の深い味わいを持ったシリーズとなった。wlkipedaより←リンクしています。

 

冒頭にも書きましたが、長々と同じテーマで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
深大寺蕎麦のレポなんかがあったらもっと楽しかったのですが、それは来年のお楽しみと言うことで♪

 

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ゲゲゲつれづれ ④ 【悪魔くんの映画で】

2010-12-12 03:29:12 | 家族スナップ

人は泣きながら生まれてくる・・・・

言葉を持たない幼子は、泣くという手段をそれの変わりに使ったりする。

涙は赤ん坊の頃から年寄りまで同じような成分には違いないが、その質や理由は違う。涙を流す感情には段階がある。意思伝達の動物的涙に怒りや、思い通りにならない悔しさの涙は近いようにも感じるし、悲しみ切なさ感動そして嬉し涙は、感情が育たないと得ることが出来ない、少し上の涙のように思われる。

その感情を育てランク上の涙を知る手助けをさせるのが、物語であったり映画だったりするのだと思う。

だけど自分の子育てを通して、そういう手助けの映画に、拘り過ぎて偏見を持っているような人たちが居る事を知ったのだった。要するに「ジブリ」や「ディズニー」、または自分が見ても良い様なセンスの良いものは上質で、例えば「ドラゴンボール」とか「ドラえもん」とか「何とか漫画祭り」的な子供向きな物はくだらないと思い込んでいる人たち。

こんな風に書くと、レゴブロックは質が良く、「妖怪城」はアレだと思った私の感覚にも近いような気もするが、・・・いや、ある意味同じなのかもしれない。何にこだわるのかの違い。

だけど映画に関しては、それは誤解ですよと言いたい。良作が良いのであって、ブランドでは決められない。それから大人の自分勝手な思い込みもどうだろうと思ってしまう、そんなエピソードを思い出す。

ある時ある人が夜、幼稚園児たちを映画に連れて行くと言う。何の映画に行くのかと聞いたら「シザーハンズ」だと言う。ちょっと驚いて、「それ、子供達に理解できるの?」と私が聞くと、「平気よ。」と平然と答える彼女。

そう、私も平気だった。映画好きの母に連れられて幼児だった昔でも映画は見た。でも、字幕を読むのは疲れた。幼稚園児だし、何も夜にそんな映画を見なくてもいいのじゃないかしらと思った。映画と聞いて、ラッタ君はなんとなく気になるようだったので、うちも来週映画には行くよと教えてあげた。その映画が絶対に定かと言う訳ではないが「悪魔くん」だったと思う。ところがそんなものは映画にあらず、そんな映画を選択するのかと言う雰囲気。事もあろうか姑までが、そんな感じ。何よ、この人たちの幅のなさは、と言う言葉を転換して「ばーか」と私は言った。もちろん、心の中で。いわゆる遠吠え。

よほどムカついたのか、私はこのささやかな話を忘れない。翌日、昨日どうだったのかと聞いたら、二人の幼稚園児は途中でぐっすりと寝てしまったのらしい。ちょっとほくそ笑む私。・・・・・ささやかな黒歴史。

※    ※     ※

ちなみに、「シザーハンズ」と言う映画は、ジョニー・デップ主演で手がはさみの青年のファンタジー映画。私はこの映画を見て、なんと言う美しい人だろうと、ジョニー・デップに嵌りました。お話も実は切ない恋のお話ではありますが、子供が見ても楽しめない事はなく、充分に伝わるものがあります。また幼稚園児にとってベストの映画ではないと思うのですが、見せ方によっては想い出に残り、記憶の中でいつしか解凍され、徐々に感動に至ると言う人間ならではの見方もあると思うのです。私にとっては「ローマの休日」がそんな映画でした。

だけど私は、映画館に子供を連れて行く場合は、子供に合わせて選択してきた様に思います。
だから映画館で見た「悪魔くん」も「ゲゲゲの鬼太郎」も楽しい想い出があるのです。

 

だからなのか、夏に行った「ゲゲゲ展」でも、その細密画のような原画に凄いなと感動しつつ、心に広がってくるような懐かしさと言うものは皆無だったので す。でも、メインを抜けた所に申し訳程度にあった、アニメコーナーを覗いた時、その懐かしさは一気に押し寄せてきました。そしてワクワクしました。またその 懐かしさもすべてにと言うより、ある時代の絵柄に特に感じたのです。

それは子供と一緒に見続けた「鬼太郎」の時代。

学生時代に旅の途中で見た悪夢の中で「助けて鬼太郎」と言ってたくせに、何時の間にやら鬼太郎は、子供達と見続けた鬼太郎に変わっていたのですね。

ところで私がラッタ君とその後行った映画は、「悪魔くん、ようこそ悪魔ランドへ!!」で、東映漫画まつりの中の1本でした。ラッタ君は5歳か6歳。シネコンがなかった昔、席取りが大変でした。かなり早めに行ったはずなのに、一番前で見たのです。でも、前の人の頭を気にしなくて良いからか、あるときまではラッタ君のお気に入りの席は、何時も一番前でした。

そのアニメはなかなか面白く、中盤以降はかなりの感動モードになっていました。
私は泣き虫。でも子供のものでは泣きたくないので、ちょっと我慢をしていました。

昔大切にしていたおもちゃが、悪魔くんの危機の時に、助けに来てくれるシーン・・・

「僕の大切な木馬!!」、悪魔くんが叫びます。

うううっ、涙が・・・

と、その時ラッタ君がボソッと呟いたのを、私は聞き逃しませんでした。

「うー、今日は暑いな、まったく。目から汗が出ちまったぜ。」

悪魔くん ようこそ悪魔ランドへ!! - goo 映画

 

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ゲゲゲつれづれ ③ 【ゲゲゲの鬼太郎妖怪城】

2010-12-09 12:47:27 | 家族スナップ

この「ゲゲゲつれづれ」は私の思い出話が中心ですが、今回のお話も私的にはキラキラな思い出です。

カテゴリーも「思いつくまま」から「家族スナップ」に変わったと言う事は、まあ、あれですわ。愛しき我が家のお坊ちゃま君の思い出ですのよねん。

ちなみにもうすぐクリスマス。もうすぐと言うのには早すぎますか 

クリスマスの時にこのお話をぶつければ良かったかしら。なぜなら、ある意味それはクリスマスのプレゼントのお話だからです。

ところで、子供が小さかった頃のクリスマスに「ゲゲゲの鬼太郎妖怪城」とか言うおもちゃを買ってしまったことのある人はいますかね~~

【ゲゲゲの鬼太郎妖怪城】

今でもお口の達者なラッタ青年は、生まれて1年は沈黙を守り、その1年を過ぎた頃、にゃんにゃん、ワンワン、または飛行機の「キ」だけを言うなんて幼児語一切なしで会話が始まりました。もちろん、「さしすせそ」が「たちつてと」になってしまうと言う、可愛さポイントは残したままですが。

彼の最初の言葉は、「まんま」とか「ママ」じゃなくて、
「イーな、いーな、にんげんていーな。」だったように思います。

この話をすると、ギッくっとする人がいるといけないので解説しますが、これは何もラッタ君の前世が森のクマさんで、人間に生まれてきて嬉しいなと言っている訳ではありません。友達などは本当にそう思ったのですよ。

これは、「日本昔話」のEDの歌なんです。

私はこの歌が大好きで、頻繁に歌っていましたし、来る日も来る日もその歌をテープかなにかで聴かせていましたから、覚えてしまったのですね。

まんが日本昔ばなし(1)
コロムビア・オーケストラ
コロムビアミュージックエンタテインメント

この先に飛んでいただけたら、視聴できますよ。

ついでですが、こんなものを見つけてしまいました。

よみきかせ 日本昔ばなし vol.1 [DVD]
藤原竜也,丘みつ子,武田真治,佐津川愛美,船越英一郎,石原さとみ,三村マサカズ,榊原郁恵
コロムビアミュージックエンタテインメント

なんと藤原竜也君の名前があるじゃないですか。クリスマスのプレゼントには最適ではありませんか?子供にはその時ばかり喜ぶものよりも、嬉しいが続くものをあげた方が、結局は良いのですよ。

と言うのが、このお話の趣旨なのです

そのラッタ君、1歳だったのか2歳だったのかのクリスマス近くに風邪を引き、なんとはなしに目は涙目。その彼がテレビでCMを見るたびに決まって言う言葉は
「ゲゲゲ、キタロウ、妖怪城、ホチイナ」

その頃、CMでやっていたのですよね。模型のようなお城の上から玉(岩のつもり)を下に転がすだけのおもちゃなのに、さながらインディー・ジョーンズのように岩が迫ってくるようなCMなのです。他にも少々の罠があり、鬼太郎たちはその城で天守を目指すと言うおもちゃだったのじゃないかしら。

テレビのCMを見るたびに面白いCMだとは思っていましたが、おもちゃには興味がありませんでした。キャラクターものって、あまり好きではないのですよ。

プラレールかレゴブロックのようにずっと使えて、しかも質の良いものを買ってあげようと思っていました。そして、予定通りにそういうものを買ったと思います。

が、彼の「ゲゲゲ、キタロウヨウカイジョウ、ホチイナ。」と言う、この言葉に惑わされない親は少ないと思います。
なぜ、その長いおもちゃ名を毎回フルの言うのだ。まだたどたどしい言葉しか話せない子供には、「ゲゲゲのキタロウヨウカイジョウ」は長い言葉です。毎回頑張っていっているのかと思うと、心が揺れます。私は甘い人なのです。

でもなんか、このおもちゃって・・・

と悩んでいたら、私以上に甘い夫から「買ってやれ!!」と命が下りました。

なんて言ったって、ラッタ君は涙目ですしそんな幼子に、あの長いセンテンスを聞かされちゃあ、初めての子供のパパちゃんには拒むことは出来ないと思います。かくしてラッタ君はクリスマスにプレゼントを二個ゲットしたのでした。

だけどですね、ここからが、涙ものですよ。そのおもちゃは、私の予想通りで・・・

結構大きいおもちゃだったのですよ。でもそれを入れている箱は薄いボール紙で、箱からすぐに壊れていきましたが、本体もパリンパリンと割れて、すぐにあっちこっちが壊れていきました。このおもちゃ、本来の遊び方はあっという間に出来なくなりました。

だけどこのブログと付き合いの長い方は、ご存知だと思いますが、私はすぐには何でも捨てません。

ガムテープで箱も本体も補修したり、修理したり・・・

妖怪城は妖怪にふさわしく大ボロ城になってしまいましたが、長い間おもちゃのコーナーに存在していました。私は見たことがありませんが、キン消しを使った冒険ごっこ遊びには使っていたかもしれません。

ちなみにキン消しと言うのは、キン肉マンの消しゴムの事ですが、少年達はこれで遊びましたよね~。

だけどはっきり言って、そのおもちゃは子供だましだったと思いますよ。そして脆過ぎる。岩が転がるのがポイントなのに、滑り台のところから飛び出してしまうのもどうかと・・・。

商品名のあるものを、ここまではっきり言って良いのかと思いましたか。良いのです。キッパリ!
関係者様がいらしたら、お客様の声欄の記入と思ってお聞きくださいませ。

だけど、おもちゃは夢を売るのですよね。幼子が努力して、親の心を動かし買わせると言う事もあるのですから。

アニメの人気に便乗して、安易なものを作って行ったならば、必ずしっぺ返しは来てしまうと思うのです。既に来てしまったというべきなのかもしれませんね。ドラマ「ゲゲゲの女房」の中にも、水木氏の人気に便乗してねずみ男のモデルのような浦木がそんなものを作っていたように思います。売る側の人間はドラマの中に存在していましたが、買った側の人間のドラマはここにあったと言えるかも知れませんね。

でも私が、その大ボロ城を捨てなかったのは、それを見るたびにラッタ君の可愛い声が蘇ってきたからです。ただ、それだけ。
おもちゃについてはたくさん文句を言っているようですが、その妖怪城を買った事は、私にとっては大切な思い出なのです。

 

ちなみに、やっぱりレゴブロック、プラレールはロングで遊べました。
意外と役に立ったのは、男の子の家でもいろいろな子が遊びに来るのでままごとトントンは、なかなかのお勧め物ですよ。

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ゲゲゲつれづれ ②

2010-12-08 17:18:54 | 思いつくまま

『ゲゲゲの思い出』その2。

①は、結局は夢の話ですみませんと言うところなんだけれど、そこから話さなくては想いは伝わりづらいかなと思って書きました。子供の頃から知っていた『ゲゲゲの鬼太郎』は自分の意識の中にしっかりと入り込んでいたのですね。

②はアジアの片隅ならぬ、貸本屋での片隅のお話です。

【貸本屋のその片隅に】

ドラマの「ゲゲゲの女房」の中にも、貸本屋業界の厳しい裏事情が描かれていましたが、私の子供の頃にはまだその貸本屋なる物が存在していました。私の母は漫画などには理解のある人で、子供の私がお小遣いを握り締めて、そういうところに出入りしても何も言わない人でした。姉妹社の「サザエさん」が5円。普通の本が10円で借りられる時代もあったのです。

だけど、貸本屋が潰れてしまっても無理はないなと、今だと思います。いつ行っても客は私一人しか居ませんでしたから。一人ずつがパラパラと来るようなお店だったのだと思います。もういつ止めても良いと思っていたのだと思います。本の裏には売る場合貸す場合の両方の値段があったように思います。もちろん定かな記憶ではありません。

時々は買って、時々は借りていたようにも思います。

でもそこに並んでいたのは、紛れもない貸本屋専門の本たちでした。既に世は雑誌の漫画の時代でした。

寂しげに並ぶあまりなじみのない人たちの漫画。ところが、その本の中には、なんとも言えない魅力を放っているものもあったのです。その漫画家さんたちは、次の時代にしっかりと生き残っていけたのでしょうか。

どうもあのドラマを見ていると、とっても難しかったように感じてしまいます。

貸本屋の本で私が借りるお話は、少女マンガやホラーなどが多かったように思います。

ちょっとお話は「ゲゲゲ」から外れますが、今でも面白かったなと思い出すお話があるのです。
時代劇でいなせな感じのちょいと小悪党の作家の若者が、風邪を引いて薬問屋を訪れますが、金はないが薬を出せと言うと、薬屋の亭主がどうにでもなれと、いつの時代にこしらえたのか分からない丸薬を持っていって良いと渡します。だけどそれを飲んだ若者は異世界の者達が見えるようになってしまうのです。しゃきしゃきの芸者に助けられ、また幽霊の娘と恋をしながら、起きた難事件を解決して行くと言う非常に面白かった物語です。

いったいどこの誰が描いたのやら。

名作かどうかは分かりませんが、秀作はたくさんあったのですよ。

私は今でもそんなお話を、藤原竜也主演で見てみたいと思うのですよ。時代劇・ちょっと不思議・ちょっといい加減・下町探偵帳。なんか良くないですか?

まあ、その話は置いておいて、お話元に戻しますね。

だけど貸本屋の想い出は一軒ではなく、もう一軒あります。そのときサザエさんは10円、その外の本は20円だったと思います。だけど本のほとんどは、貸本専門の漫画家さんたちによるものではなく、週刊誌に掲載された漫画のコミック本でした。少年誌を買うことのなかった私は、そこで手塚治虫などのさまざまな漫画を知ることが出来たのでした。ほんの数年でも貸本業界にもそのような変化があり、そして消えていってしまったのですね。

ドラマ「ゲゲゲの女房」の中にも、貸本屋さんの苦労なども描かれており、また貸本業界の苦節と変化には知らない世界の歴史を見たように思いました。子供の頃、あの本屋を埋め尽くしていた漫画家の人たちが、そのような苦労をしていたとは夢にも思いませんでした。なぜなら漫画といえども一冊の本をなし、自分の作品を発表している人たちなのですよ。子供の目から見たら、成功者の何者にも見えませんでしたよ。

だけど実際には、水木しげる氏さえ貧乏のどん底だったのですから驚きです。

 

だけど、私はそのどちらかの貸本屋さんで、水木しげる氏の「墓場鬼太郎」を見た事がありますよ。そのとき彼は既に有名人でした。でも本屋の一番下の片隅にあった、その本のタイトルは「ゲゲゲの」ではなかったので不思議な感じがしました。

その内容は、目玉の親父誕生のシーン。

子供を残して父は死に、だけど乳を求めてなく子に死んでも死に切れないのです。死んだ体から目がどろりと抜け落ちます・・・

とっても気持ちが悪いのです。

でも、今思うと肝心なことを忘れてしまいました。目玉になった親父は、どうやって鬼太郎を育てたのだったかしら。何か獣の乳を飲ませたのだったかしら・・・

このブームも手伝って、復刻版とか出ていたりすると思うので、「墓場鬼太郎」を読めばわかることかもしれませんね。

ただ、この漫画を借りる時に、お店のおじさんか常連だったおじさんかのどちらかに、「あんた、こんな本を借りるのか。」と変な顔をされたのでした。ドラマの中でも漫画を敵対視する人が、水木氏の漫画を見て「気持ち悪い」と嫌な顔をするシーンがあったのですが、なんとなく笑ってしまいました。しっかりと記憶の中にある場面と重なったからでした。ドラマの中でも、水木氏の漫画は最初は片隅にありました。私の記憶の中でも同じだった事が、微妙に嬉しかったりもしたのです。

既に消えてしまった世界のお話ですが、そこはもしかしたら意外なもの、意外なお宝を発見できる、宝島スペースだったかもしれませんね。

 

ちなみに母は、家に4人の姉妹がそれぞれにたくさん漫画を持っていたので、老後は小さな貸本屋などをやりたいなどと夢見ていたこともあったかな。「時代」ではないし、本の内容も偏っているので、ささやかな夢であってもすぐに潰れてしまったと思います。

 

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ゲゲゲつれづれ ①

2010-12-06 11:32:25 | 思いつくまま

今年の流行語大賞に「ゲゲゲの~」と言う言葉が選ばれました。

「ゲゲゲの女房」、流行りましたね。でも「ゲゲゲの~」と言う言葉って流行ったのかしら。流行語大賞って、今年だけじゃなく毎年ちょっと違和感があったりもするのですよね。

ちなみに昔から、何かまずいことがあると
「ゲゲゲ!!」とか言ったりしますよね。
えっ、言わない?
ふーん、そう・・・。

でも絶対に「げげげの~」なんて流行っていないと思うな。頑固!
だって、言わないじゃん。「ゲゲゲの美術館」「ゲゲゲの通り」
「の~」をつけるセンスが分からん。
「ゲゲゲ」じゃいけないのかな。・・・て、もうどうでも良いか、それは。

「ゲゲゲ」事、水木先生の再ブームがきたことは間違いないのですから。その火付け役になったのは、やはり奥様の書かれた「ゲゲゲの女房」と言う妻から視点の伝記だったと思います。ドラマになったり映画になったり、そして、デパートでも美術館でも「ゲゲゲ展」もしくは「水木しげる展」なる物が開催されました。

私も行きましたよ、「ゲゲゲ展」。その記事は→こちらです。

そして、ずっと見なかった朝ドラと言うものにも嵌ってしまいましたよ。「ゲゲゲの女房」は面白かったですねえ。(注;今の『てっぱん』も面白いですよ!)

だけど、「ゲゲゲの女房」が面白かったから、水木しげるを応援するようになった訳でも、その漫画に興味を持ったわけではありません。そのまったくの逆。彼が、また彼の漫画が好きだから、その伝記なるもののドラマを見始めたのですよ。

しかもこの作品、時間帯が変わったとかで、どうも低視聴率スタートだったらしいのです。それを風の噂で聞きつけて、「そりゃ、いかん。」と、応援の為に見始めたようなものです。

いわゆるファン心理と言うやつです。

12月はさりげなく1年のマトメ記事を書いています。今年半年間を楽しませてくれた「ゲゲゲの女房」にちなんで、水木しげる=ゲゲゲの想い出を少々お話させていただくことにしました。いわゆる『ゲゲゲの思い出』。ちょっと無理やり。・・・なんだか『小指の想い出』みたい・・・

【理想の男】

ある時、私は気がついてしまったのです。
ゲゲゲの鬼太郎って、私の理想の男なんじゃないかなって。

今年の夏はずっとチャレンジしたかったひとり旅を決行。その記事の中でも書いたか書かないか忘れましたが、若き日に私がひとり旅に躊躇していた理由のひとつには、旅先では金縛りにあったり夢でうなされる事が良くあったからなのです。

若き学生の時に山口の方に旅行に行ったことがあります。泊まった民宿の部屋は西日が当たるような、あまりいい部屋ではありませんでした。そんな部屋だったので夕方戻ってきても、ちっとも体が休まらず、例によって、またも金縛り&悪夢を見ました。だけどその夢の内容は、わけの分からない幼稚なものでした。ストーリーなし、セリフなし。万代と言う蛾の妖怪がぬんぬんぬんと、私の胸の上に居座っているのです。これは「どろろ」の中に出てくる妖怪です。

ただ、苦しいだけ。そしてなぜか口の中に苦い味が広がります。まるで芋虫を奥歯でうっかり噛んでしまったような味。
とは言っても、芋虫の味なんか知らないはずなんですけれどね。

その万代と言う妖怪は「どろろ」の中の登場人物なので、もし助けを求めるならば百鬼丸にと言うのが妥当です。でも、ワタクシ、夢の中で思わず、助けて鬼太郎と彼の名前を呼んでしまいました。相手が妖怪だから、もう彼しかいないと思ったのですね。百鬼丸はあまりにカッコ良くだけど現実味のない架空の人なのに、妖怪がいるなら鬼太郎のような人もいるだろうと夢の中の私は判断したのに違いありません。ちなみに鬼太郎は人ではなくて、人と妖怪との間に生まれた半妖怪でしたね。

助けてと言ったら、すぐに鬼太郎が現れましたよ。でもストーリーなしセリフなしの夢でしたので、その鬼太郎も黙って静かに万代を睨みつけているだけでした。だけど鬼太郎が来てくれたと思ったら安心し、そして思わず夢の中の鬼太郎が好きになってしまったのでした。それから程なく、その金縛りから解放された私は思わず体を起こし咳払いをしたくなりました。

だって、あまりにも幼稚じゃない、私って、と思ったからですよ。だけどその時、心の中では「カッコいい、鬼太郎」と苦笑いをしていたのでした。助けてと言ったらすぐに現れて、何も言わずに守ってくれているのですよ。彼の顔を見た途端、大丈夫、最強の男が助けに来てくれたのだとホッとする、これがヒーローじゃなくてなんとすると言うところでしょ。

このときの私は疲れと西日にテカテカやられた性で、それが胃に来てかなりムカムカしていたのが夢の原因だったと思います。こんなささやかな夢なのに、ずっと覚えているというのも不思議ですが、それだけ彼が頼りがいがあったのだと思います。

でもこの夢は、ある意味手塚治虫氏には失礼な夢だったと思います。なぜなら、
『ちなみに唐沢俊一が生前の手塚に執筆動機を尋ねた際に、手塚は執筆当時の白土三平カムイ伝)、水木しげるゲゲゲの鬼太郎)の作品人気を意識して描いたと答えた。』と、wikipediaの「どろろ」の中にそのような記述があったからです。但し、この話は要出典を求められており、100パーセント確かとは言い切れないことかもしれません。

ちなみに『どろろ』も『大』が三つつくくらい大好きな漫画です!


「ゲゲゲの思い出」なので、ちょっとだけ続きます。


 

 

 

 


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幽霊を模写した男

2010-12-05 02:21:53 | 同じ時代の船に乗る

11月27日TBSラジオで「「野沢那智さん、ラジオでお別れ会」」と言う番組があったのですが、夕食が遅すぎて、聞き逃してしまいました。とっても残念です。

野沢さんの訃報は、10月30日、奈良に家族で旅行に行く為に横浜に向っている時に、携帯のツイッターで知りました。
凄く吃驚しました。心の中のアラン・ドロンがあまり歳をとらないのと同様に、野沢さんもいつまでも若い人、そんなイメージがあったからです。71歳。もうそんなお年だったのですね。死因は肺がん。私の舅と同じ病気です。私はこの舅が70で亡くなった事が、まだ若いのに死んだと思えてなりませんでした。71歳は、やはりまだまだお若くて、残念な死だったと思います。ご冥福をお祈りします。

高校時代、隣の席の少女は野沢那智さんのファンでした。定期券入れなんかにも彼の写真が入っていました。それって、結構マニアックな趣味に思えましたよ。私も彼は好きでしたよ。なんと言っても「どろろ」の百鬼丸ですし、アラン・ドロンですし、イリヤ・クリヤキンなわけですから。でも定期券に写真を入れるなら、彼が声を勤めた俳優さんの方が多いのでは?

そんな彼女も、きっと悲しんだ事でしょうね。青春時代の淡い想いと共に別れを告げたかもしれません。

私にとっても、彼がやっていた深夜放送「パックインミュージック」は、青春時代の一駒、そんな感じがしますよ。

結構毎週聴いていたのです。でもどんなお話をしていたのかは、さすがに大昔、全部と言って良いくらい忘れてしまいました。そんな中で、唯一、覚えているのが、タイトルの「幽霊を模写した男」のお話です。

パックインミュージックはリスナーからの投稿で成り立っている訳です。だからそのお話も作者様が実は何処かにいらっしゃるのですね。
作者と言うのは変かしら。投稿者さま?

もちろん、覚えていると言っても詳しく内容を覚えていると言う訳ではなく、そんなお話があったという程度です。

ナチ・チャコパックでは、夏になると怖いお話特集をするのですが、皆さんの投稿も結構怖くて、それを読むナッチャンが凄く上手いのですよ。とても一人じゃ聞けませんよ。姉とか私とかが寝てしまっていたら、お互いに起こしあうくらいです。また、彼は上手い具合に間を取って沈黙するのですよね。ラジオで沈黙はまずいですよね。だから、相方のチャコちゃんが上手い具合に「キャ!」とか「うふふ」とか声を入れるのですが、そのタイミングが上手すぎて、余計にワクワクまたはドキドキしてしまうのですね。

そして、その中でダントツに怖かったのが、その「幽霊を模写した男」のお話だったのです。

「ナッチャン、チャコちゃんこんばんは。小生の友人の奇妙な話を聞いてください。」と言う普通の挨拶から始まったその話はの内容は・・・うーん、うーん、なんだっけな・・・・おい、こらっ、引っ張っておいてそれはやっぱりないよな。
と言うわけで、ちょっと創作が入ってしまうかもしれませんが、こんな内容だったと思います。

『小生(投稿者)の友人はちょっと一風代わった男でしたが、絵の才能に恵まれていました。日頃から付き合いが悪い男でもありましたが、最近あまりにも学校にも出てこないので、気になってその男の家を訪れて見ることにしました。

すると家から出てきた友人は、思っていた様子とは異なり、異常にハイテンションで骨董屋から偶然素晴らしい幽霊画の絵を買ってしまったいきさつを述べたのです。その絵は素人の小生など見ても見事な掛け軸画で、なんでそんなものが友人の所にやってきたのだろうとなんだか腑に落ちない思いが少々はあったのです。そしてそれは見れば見るほど吸い込まれるような何かがありました。訪ねて行った後も、やはり友人は家に引きこもったままでしたので、また訪れてみると、彼はその幽霊画の模写に取り付かれてしまっていたのです。しかもその模写は製図の道具を使って、せんをしっかり写し取ると言うやり方だったのです。

常軌を逸したような友人の姿に、もうそんなことは止めろと忠告をしたのですが、事もあろうか、その彼は、今度は・・
その幽霊画の拡大画に挑戦し始めてしまったのです。呆れ果てた私は、もう彼の事は気にかけないことにしました。

だけどある日の真夜中、いきなり彼から、『絵が完成した。絵が完成した。』と叫ぶような電話が掛かり、その後断末魔のような悲鳴が聞こえたのです。気になって警察に連絡を入れた私は、警官と一緒に彼の家を訪れました。でもそこには彼の姿はありませんでした。家の中は荒らされた様子もなく、事件性はないということで処理されてしまいました。

ただ、その時私は警察にも言わなかったことがあるのです。家の中はこれと言って変わった様子はなかったのですが、ただ壁に掛かっていた幽霊画の掛け軸の中に、その幽霊はいなかったのです。

今でも彼は家出扱いになっています。』

やっぱり、怖い!

えっ、何?!

この文章じゃ怖くないって・・・。
すみませんねぇ。
って、いじけるのもなんですが、その頃の私はイマジネーションだけが友達のような者でしたので、拡大する幽霊の絵。いなくなってしまった掛け軸の絵。幽霊を定規やコンパスで測って写し取っていく。みんな悲鳴ものですよ。加えて上記の如くナッチャンが上手いのですよ。

怖い、怖いと耳を塞いでいましたら、姉が、
「ちょっと、大丈夫だよ。これ創作らしいよ。」と教えてくれました。

なぜなら最後に
「小生のつたない真か嘘か、嘘か真かの文章にお付き合い下さりありがとうございました。」と言う挨拶が入っていたのでした。

なーんだ、と私は思いましたが、反面ホッとしました。こんな恐ろしいお話があったらたまりませんからね。

ちなみに完全な余談ですが、自分が書いては放置してある創作文の中に、このお話に影響されて思いついたシーンがあるのです。さりげなく過ぎていく一夜の事でも、なにげに影響を受けていくものなのですね。

お話を元に戻しまして、この投稿は創作、いわば作者様がいらっしゃる訳で、「インチキ書きやがって~!」と言う場合は、ぜひとも訂正にいらしてくださいませ。あくまでもこんなんじゃなかったかなと言うことで書かせていただいていますから。&愛をこめて。

たまたま、私はこのようなお話が想い出です。でも、パックインミュージックに投稿した想い出を持っている人はどれだけいらっしゃるのでしょうね。読まれた想い出を持っている人は?私のように、忘れられない内容や掛かった曲をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。

野沢那智さん、想い出をありがとう。
それから映画を日本語でたくさん楽しませてくれてありがとう。

 

コメント (2)
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妄想龍馬伝

2010-12-04 08:44:52 | 思いつくまま

すでに師走。一年の締めの時。
だからって、何か良い事を言う訳でもなく・・・・
私は私の締めをひとつずつ消化していこうかなと思います。
まずは、今年一年楽しませてもらった「龍馬伝」のお話を少々。

【龍馬の魅力とは?】

龍馬、終わってしまいましたね。感想内でも書きましたが、4部に入ってから、面白さが加速しました。もちろんそれまでも面白かったのですよ。半平太の重厚さ、生真面目さ、以蔵のはかなさ、猫のような可愛らしさ。そこにはあまり表面切って描かれていなかった幕末があったようにも思います。

でも、最終章の龍馬には迷いなく、自分の行く路を突き進みます。

実は私、龍馬と言う人を、このドラマを見るまではあまり知らない人でした。もちろん名前も一応のお仕事も知っていましたよ。でも、やっぱり分からない。なぜみんなが「龍馬、龍馬」と憧れるのだろうと思っていました。

そこの所は、武田鉄也さんに聞けと言うところだったかもしれませんが、以前に次回の大河は龍馬らしいよと耳にしたとき、何気にがっかりしたのですよ。だって興味がなくて。だけどだからこそ見続けたという部分もあったように思いました。

知りたい、龍馬を。

なぜ男達、もしくは歴女、または歴史小説好きの人たちは、ラブコールを送っているんだろう。幕末には気骨ある男達はたくさんいたと思われるのに・・・・
そんな気持ちが底辺にあったことは確かです。

【墓の前の誓い】

次にするのは、たぶん龍馬を強く想っているのだろうと言う男のお話です。

数年前の春の日、夜行日帰りと言うバスパック旅行で春の京都を訪れました。清水寺には信じられない時間に着き、すべてのお店が閉まっている三年坂を通り、早朝の観光をしていました。(ちょっと悲しいけれど、新鮮)あまりに早いと入れない場所もあり、とにかく行けるところは出来るだけ行こうと欲張りな気分で丸山公園方向を目指して歩いていきました。

龍馬のお墓は霊山護国神社と言うところにあります。かなりきつい坂道を登っていきました。まだ誰もいないのではと思って訪ねてみると、そこには一人の若者が、剣舞を舞っていることに気がつきました。かなり手前で気がついたので、私と姉は、自分達が悪い事でもしたようにこそこそ見つからないように違う道を行きました。そこには別の志士たちも眠っているのです。

いたく感心した記憶があるので、高杉さんのお墓や桂さんのお墓などを見てまわったのかも知れません。でもなんだかあまり記憶がないのです。若き日に松下村塾を訪ねた時の、あんな熱い想いを、私がもう持っていないからかもしれません。

もう良いかなとまた、龍馬のお墓目指して戻ってきてみると、先ほどの青年は、まだその前にいました。
私達は、また離れたところのベンチに座って待っていました。その場所からは京都の街が見渡せるのです。私はなにげに耳を澄ましていました。実は青年は剣舞を舞う位ですから、それなりの格好、つまり袴などを着ていました。私がなにげに耳を澄ましていたのは、早朝ですし、彼がそこで切腹とかしないだろうなと少々疑っていたからです。

でも風に乗って聞こえてきたのは
「先生、私は絶対に・・・・・。
先生・・・・・。」と言うなにやら誓いの言葉でした。

彼から離れていたのは、悪いなと言う気持ちでしたが、ちょっと怖いなと言う気持ちもあった事は否めません。思想的に強く傾いている人が、何かするわけでもないのですが。その辺が、いつの間にか私が歳を取ってしまったという部分なのかもしれないと思うのです。

若き日は、自分のあどけない容姿に自信があったのか、殊の外怖いもの知らずで、龍馬のように話せば分かり合えると言うのではなく、微笑めば分かり合えると言う迂闊者だったと思います。もちろん容色衰えると、そんな神通力が通じる訳もなく、徐々に臆病者に、または若干賢くなってしまったのでした。

だけど、遠くに離れていても彼の熱い想いは伝わってきました。私は京都の街を見下ろしながら、墓の前で誓いを立てたくなるような男、龍馬って凄いんだなと思っていました。

 

【妄想龍馬伝】

さて、先日の「龍馬伝」最終回の時、龍馬が見廻組に襲われたところで夫が言いました。

「即死じゃないのか。」

そして、その後龍馬の長いセリフが入ります。

夫の不満そうな顔。

「どうでもいいじゃん、ドラマなんだし。」って、こういうときの私のセリフ。

ドラマ好きの割りに、「どうでもいいじゃん、たかだかドラマ」と、愛のないことを、私は時々思います。突っ込みを入れたり、批判をしている人って、よほどそのドラマに愛があるのですよ。
そう言えば、私もめったに悪くは言わないけれど、「相棒」などはさりげなくぼやく事もありますね。

即死と言われた龍馬ですが、ドラマゆえに「ハイ、死にました。」と言うわけにいかないじゃないと、私は夫に言いました。

・・・・・、だけど、本当にそうかしら。

今回の大河は途中がどうだったかは忘れてしまいましたが、本当に面白くて毎週楽しみにしていました。ゆえに余韻あり。思わず即死バージョンを考えてしまいました。

※     ※      ※

深手を負った中岡は息も絶え絶えに龍馬に呼びかける。

中岡「龍馬・・・龍馬・・・」

シンとして声もなし。龍馬からは息の気配さえない。

中岡「まだまだだ、龍馬。まだまだだ・・・」

 

☆         ☆

―龍馬のラストドリーム―

やけに眩しい光に目が慣れると、そこには母が土下座していた。

母「どうかお許しください。どうかお許しください。」

母が自分の為に土下座して誤ってくれたあの日・・・
母はあの日の無理が祟って病の床に就き死んだのだった。

龍馬「母上」

母は気がつかず
母「お許しください。」と続けている。その肩にそって手を置き、龍馬が言う。

龍馬「母上、お立ちください。もう、下士だからと言って、そのように土下座などしなくて良い世が来たのですよ。みんなが同じ平な世の中がきたのです。」

母、振り返ってにっこり優しく微笑む。

母「龍馬、よう頑張りましたね。」

龍馬・誇らしげに「はい。」

☆         ☆

 

中岡、声にならないような声で「無念じゃ、無念じゃな、龍馬。」

そして最後の息のように「いや、命使い果たした・・・・のか・・」語尾曖昧....

シンとした部屋。
徐々に雨の音が強く・・・、そして雨の音だけしか聞こえなくなっていく。

 

で、弥太郎の走っているシーンに続く。

龍馬好きは、歴史好き。やっぱり長くはしゃべられせない方がちょっと良かったなと思ってしまったのでした。龍馬のラストドリームは、まあ私好みのオマケみたいなものなのですが、そこはざっくり抜いても、あの時龍馬が語った言葉は中岡慎太郎が言っても良かったと思いました。

そうすると上川さんの美味しいとこ取りのようですが、その前もずっと良かったのですからそうはなりませんよね。8時からの放送では選挙速報のテロップが入ってしまった、あのシーン、迫力がありました。アサシンは何も語らず、だけど眼力で弥太郎に言った言葉「すべてを無にした」とはっきり言っているように感じました。龍馬の無念はそんな彼らと話し合えなかった事なんじゃないかなと、また思ってしまったりで余韻は続くのでした。

【龍馬の魅力】

ところで私は、結局龍馬の魅力が分かったのかと言うことになる訳ですが、私が感じた彼の魅力は、弥太郎の言葉を借りると「人たらし」だったところなんじゃないかなと思いました。もちろん龍馬のやった「お仕事」には唸るものがあり、そこが龍馬に引きつけられる一番のポイントだと思います。だから私が言うのはその他にと言う意味なのかも知れません。

で、その「人たらし」と言うのは、
『ひとたらし【人誑し】人をだますこと。また、その人。』と言う、あまりよろしくないような意味なのですが、「秀吉は人たらしだった。」とはよく言われているように、言葉巧みに人の心を取り入れていってしまう人の事で、更に解釈を拡大していくと、話す事に魅力があって、人々が思わず耳を傾けていき取り込まれていく、そんな人のことを言うのじゃないかなと思ってしまいました。

だから問答無用パワーには弱かったと言うか・・・・

まあ、この「人たらし」と言うのは弥太郎視点の言葉なので良い意味ではなかったかも知れませんが、ストレートにぶつかり、相手がふと気がつくと既に懐に入っていたと言うような、そこに龍馬の魅力があったように思いました。だから私が言う「人たらし」は良い意味で使っています。

そしてその人たらしは亡き後も、墓の前では若者に剣の舞を舞わせ、熱き想いを語る人たちを作り続けているのですね。

私もあの春の日に龍馬のお墓に行った事は、今頃になって鮮やかに蘇ってきた良い想い出です。

 

 

 

 

 

 


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相棒season9-6「暴発」

2010-12-02 00:00:36 | ドラマ(相棒)

今日はまた、重いお話でしたね。

サブタイトルをつけるとしたら
【右京敗れる】と言うところでしょうか。

尊が言います。
「もうこの辺でいいのではないですか。」
右京は応えます。
「真実の追究に、もうこの辺でなんてことは絶対にありえないのです。」

私はふと、前に小野田が言った、
「杉下の正義は時には暴走する。」と言う言葉を思い出してしまいました。

 

今回の右京の正義は、警察内ではまさに一人暴走しているように見えました。
だけど、それはあまりに少数の思考だったゆえに、そう見えてしまっただけ。右京の言っていることのどこに間違いがあるというのでしょうか。私も思うのですよ。この場合、あの場合と、そこに現場の人間の考えが(時には小賢しい)入り込んでしまっては、法にのっとってと言う原則、法治国家の原則が崩れてしまうじゃないですか。決してやってはいけない部分だと思います。

でも、テレビのこちら側からみている人の中にも、右京以外の人たちに実は共鳴していた方はいたのではないですか。

「命を懸けた潜入操作」
「協力者の命に関わる」と言われたら、一人の人間の命をかけた仕事を想い、また一人の男の安全を想い、なかなか右京のように自分の正義を貫こうとは思えないのではないでしょうか。

その弱さが人間と言うもので、ある時には、優しさと言えるような気がしてしまう。だから尊は自分の意思で映像を消し、三浦さんは付け足した調書を受け入れた・・・・

ぽつんとひとり。
右京は孤独・・・。

いや、忘れてはいけませんね。

イタミンだけは、やっぱり右京と同じ刑事馬鹿だったのが嬉しかったです。

 

と、まずは一番強く思ったことを書き連ねさせていただきました。内容が内容でしたので、感想も堅めですね。

今回の「相棒」、しょっぱなからかなりの面白さでしたね。

映像が真黄色。
何だこれは、と思ったら、ファインダー越しだったからだと分かります。
麻薬の売人と買った人。右京と尊は別々に尾行。
右京さんの尾行の仕方は見事でしたね。
ありがちな、バレバレじゃんと言う尾行ではなかったことが、なにげに嬉しかったです。やっぱり右京さんはそうでなくっちゃね。

そして突入時も、強かったですね、右京さん。この時、尊はあまり目に入らなかったのですが、戦っていました~?

それからこの時、みんながわあっと雪崩れ込んだのに、真ん中辺の大きい人の所に人が行っていなくて、その人がなにげに暇で手持ちぶさたっぽかったので、笑ってしまいました。

忘れちゃいけないのは、いつもは覗き見コンビの大木・小松(でしたっけ?)にセリフが多数。

ゲストは尾美としのりさん。

尾美さん、大好き!
重厚な良い演技していましたよ~♪

でも今度は、犯人役でお願いしまーす。右京さんと再び対決して。今度はご住職役とかで・・・・、って、それじゃあまずいわな。

※     ※     ※

右京だって、人間。きっと心は寒く、傷ついていたはず。花の里に来て見れば、たまきさんがいつものように優しく微笑みかけます。でもそこには尊もいて、いけしゃあしゃあと「すみませんでした。」と言います。「でも、僕は間違ってはいないと思うことをやりました。」←例によって、不正確セリフ。

この時、何でだか、「龍馬伝」の「いろんな考えの人がいるのが良いんだ。」と言う言葉を思い出してしまったのでした。

あらすじは→こちら

 

シリーズ10周年記念「相棒展」開催決定(コピペでよろしく)→http://pia-eigaseikatsu.jp/news/154416/41475/

特命係の部屋も完全再現だそうですよ。

 

 

 

 

 

 


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