森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

約8年 その13

2022-08-09 12:36:40 | ランダム自分史

約8年 その12の続きです。

 

二か月前だったか、姑と話をしていた時に、彼女が舅との最後の日々の話をしていました。

これといって深い話の部分ではなく、昔は癌の人に告知などしなかったと言う話をしていたのです。

私の舅は、肺がんで亡くなりました。だけど若い時にやった肺結核に又かかったのだと最後まで信じていたのです。

病院には同じような人がたくさん入院していて、看病しながら秘密を抱えた妻たちが会話を交わし親しくなっていったのも、自然の流れだったと思います。だけど病室から離れた所で交わされた会話は、かなり恐ろしいもののような気がしました。

いわゆる情報交換と言うやつですが、それを聞いて私は言葉が怖いなと思いました。

つまり「私たち『それが頭に行っちゃったら、オシマイ。』って言い合っていたわね」と懐かしそうに語る姑。その時は仲良くなった人と語り合っていても辛かったと思いますが、遠い昔の事なので、今は想い出話なのです。

だけど「それ」と言うのは、癌細胞の事で、脳転移を指しているのですね。

「まあ、そうだったんですか。」などと普通の顔をしていた私ですが、心の中では震えました。

たとえ事実であったとしても、物事には言い方があると、やはり私は強く思います。

自慢ではありませんが、私の姑は96歳にしてピンシャンとしていて頭もはっきりとしている人なのです。だけどほんの数か月前に

「頭に行っちゃったから、オシマイ」になってしまった妹を亡くした私には、語って欲しくない話だと思いました。

「老い」と言うものは、容姿肉体の衰えばかりではなく、さりげなくその人の知性の中に培ってきた気配りや配慮、判断力なども奪って言ってしまうのだと思います。怖い事です。

 

因みに姑の話は、本当に遠い昔、30年も前の事ですから。

もしこれをお読みになって心がざわつく方がいらっしゃったとしても、今の最先端医学の方を信じて下さればと強く思います。

 

ただ私は、彼女の話を聞いて心の中では震えましたが、やはり「そうだったのか。」とも思ったのです。なんだかんだと言っても、私も実はその肺がんで逝ってしまった舅の病気の経験を通して、その経過などを基準にして思考のベースにしていることが多いのです。

父の時も、妹の時も。

 

2019年12月20日に脳腫瘍の手術をしたスノウさんでしたが、その後の経過も良くて家で療養していました。だけどその時、彼女は娘と大げんかをしたのです。

普段は、私はそんな事は我関せずです。でも内容など書きませんが時期などを思うと、初めて娘ちゃんに会いに出掛けて行きました。

「ハマスホイとデンマーク絵画」展に行きました。

の時の、お話ですね。

たくさんのいろいろなお話をしましたが、その時、ちょっと私がスノウさんの事で思っていることを言いました。つまり、病気が治る事を信じているし、願ってる。だけど心の中では、ほんの2パーセントぐらいは、ある種の覚悟はしておかなくちゃいけないんじゃないかなと。年が明ける前は決して言わなかった言葉だったと思います。

すると娘ちゃんは言いました。

「分かっています。だから私は自立するなら今から準備して供えなくちゃならないと思っているんです。」

大人だな。しっかりしているな。大丈夫だなと、私は思いました。その可能性を、縁起でもないとか言う理由で排除しない事は大事な事なのです。

そしてこの親子喧嘩の本質みたいなものが、私には分かりました。今まさに自分の手からスルスルと離れていく娘を、引き留めたいがために、かなりろくでもない事を言ったのでしょう。

今はこの話は、これ以上は踏み込んでは書かないつもりです。

いい感じで娘ちゃんともお別れしました。

 

二三日後に、二人もあっという間に仲直りをしました。なんだかスノウさんの口ぶりで、娘ちゃんは上手く丸め込まれたような感じがしたけれど、スノウさんも凄く反省していて、二度とあんな思いをしたくないと言っていました。

だけどそれを聞いていて、あまりメデタシメデタシではない感じがしました。何も話が前に進んでいなかったからです。

更にスノウさんは私に言いました。

「ハナコさん、なんだか娘がご馳走になったみたいで、今度私がお礼します。」

だけどその言い方にシニカルな雰囲気が漂っていて、「嫌な感じ。」と思いました。

大事な娘を取られたように感じていたのかも知れません。

 

あー、やだやだ。

と言いながら、2月15日に彼女がお正月には食べられなかったしゃぶしゃぶで、実家で彼女の退院祝いをしたのでした。

2パーセントぐらいの覚悟は必要とか言いながら、やっぱり私は能天気。

彼女の体力のなさは、肺がんの手術から来ているので、いつか体力が戻ったら、やっぱりいつも通りの日常が返って来るのだと思っていました。だから当たり前のように彼女に怒っていたりもしたのです。

 

またランダムに続きます。

 

あっ、そうだスノウさん。

今度お礼しますって言ったけど、1個貸しのまんまなんですけど。

と、ここで思わず、振り向いてみたりして・・・・。

 

 

 

 


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