このブログの事ですが、なんかいろいろと中途半端になっていることがありで、しばらくはその中途半端から抜け出すために、それらの事を続けて書いていきたいと思っています。最初はやはり3月に見たのに、まだ書ききれていない映画の話やドラマの話などになると思います。
ただ毎日の暮らしの記録などは、大切なブログの役割だと思うのです。もちろん手帳への書き込み、カレンダーのメモ、アナログの日記などでも賄えるものもあるのですが、アナログ日記は読み返したり、書いた場所を見つけるのも大変だったりする時もあるし、とにかく最後は皆ゴミです。捨てる時間を費やさないものに記録すると言うのは、また見返すときに簡単に探せると言うのは、私的には大事な事です。
それで通常の日記カテゴリーを、こちらではしばらく書けないような気がするので、いつも必要になったら開いている日記ブログを久しぶりに再開しています。
お気楽な主婦の日常日記ですが、4月1日の分から書いていますので、気が向いたらお立ち寄りください。
この記事は、その「果樹園のティータイム」の中の「三つの「新」」の続きになっていて、4月8日の日記です。
義母の家に居た私は、雷の音を聞いて、いそいそと帰る事にしたのですが、その途中の公園で、しみじみと桜を見てまいりました。
星子さんが先日言っていました。
「今年の桜をちゃんと見ていない。一番のピークの時を見逃してしまった。」と。
その時私は言いました。
「本当は見ていても、心に留まらなくて、見ていないような気になってしまう事もあるよね。」と。
日本全国が桜色に染まると言うのに、何処かの場所で視界に入らないという事はないのではないかと思えたからです。
だけど義母の家の近くの葉桜を見た時、また帰る道の公園の葉桜を見た時、私も同じように桜の花をちゃんと見ないで季節が通り過ぎてしまったような気がしたのです。
見慣れた同じ春の風景を、また見て感動する。それこそが、桜の花をちゃんと見るという事だったのかなと思えました。
全然見ないうちに終わっちゃったなと思いました。
それで今咲いている八重桜をしみじみと見て帰って来たのでした。
家に帰った途端に、雷が激しくなるようになりました。
ちょっとセーフ♪
その雷、もしかしたらうちのマンションに落ちたように思います。
ものすごい音と地響きがして、公園の烏たちが飛び立ちました。ちょっとドキドキしました。
その後の激しい雨。
だけど、その時、窓の外を見ると
これ、全く分かり辛いのですが、土砂降りの雨の向こうに出ていたのですよ。虹も土砂降りも分かり辛いかもですね。
だけどきっとこの雨の向こう側は、降っていなかったのですね。
そして雨は去りましたが、
虹は残りました。
そして雨が去った後、その虹は意外と短い時間で消えてしまいました。
土砂降りの雨の向こう側の虹。
なんだか哲学だなと思った私です。