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コジキジゲン

まいふぇぁれいでぃ・・・

2014-12-27 00:11:06 | 古事記字源

・・・オックスフォード白熱教室(予測不可能なカオス)・・・「やりすぎ・都市伝説」・・・???・・・笑えない・・・「狂犬病」・・・「恐水病(恐水症・hydrophobia)」・・・「ドラキュラ伯爵」・・・「喉が渇いていても水に恐怖を感じる」・・・「パスツールは狂犬病の予防ワクチンをウサギの感染脊髄から摘出してつくった」・・・ウサギ・兎・兔・有詐欺・・・「イルミナティ( Illuminati・1776年5月1日=MDCCLXXVI(1776)→MDCCLXX-VI」・・・?
ーーーーーー
  M=1000
  D=500
  C=100
  C=100
  L=50
  X=10
  X=10
  V=5
+ I=1
   1776÷111=16・・・4×4・2×8
   1+7+7+6=21・・・・3×7
ーーーーー
 「V=(ブィ・部位・武威)=ゴ」
  &
 「I=(あい・愛・eye→目)=イチ」
 ・・・「Minerva(ミネルバ)」・・・「イライザ(・以来座・依頼座・弄い座)」・・・
  ↓
 バーナード・ショーの戯曲
 「ピグマリオン (1913) 」の
 ヒロイン
  Eliza Doolittle がルーツ
 「マイ・フェア・レディ(1956)
  (My Fair Lady)」は
 田舎訛りの花売り娘が
 正統なコトバを
 ギャンブル好きの
 言語学者
 ヘンリー・ヒギンズ教授に
 学んで上流階級に登場する物語
 Why Can't the English?・・・ジャポンだから
 With A Little Bit Of Luck・・・
 ・・・「A」の無い「Little Bit Of Luck」だから
 で・・・ジュリー・アンドリュースにはホレタ・・・
  ↓
 イライザ (Eliza, Elisa)
 英語の女性名
 エリザベス (Elizabeth) の短縮形
 Elisa
 フランス語ではÉlisa
 フランス語・イタリア語では
 エリーザ・エリザ
 スペイン語では
 エリーサ・エリサ
 ドイツ語で
 エリーゼ・・・「エリーゼのタメに」?・・・
  ↓
 アメリカの独立宣言
 1776年7月4日=MDCCLXX-VI・・・で
 1+7+7+6+7+4=(21)+(11)=31
 1776年5月1日=MDCCLXX-VIではない 
  ↓
 1+7+7+6+5+1=(21)+(6)=27
      V≠(Ⅶ=7=漆)Ⅰ≠(Ⅳ=4=肆)
  ↓
 1+7+7+6+7+4=(21)+(11)=31
 21=弐拾壱→二重位地(位置・市・意知・異知)
 11=壱拾壱→一重位地(位置・市・意知・異知)
 31=参拾壱→三重位置(位地・市・意知・異知)
  ↓
 逆は「13=壱拾参」・・・
 1+7+7+6+5+1=(21)+(6)=27
 27=弐拾七→二重漆(志知・質・死地・史知・詞知)
    27室=27宿→宿曜経=28宿=弐拾八(捌)宿
            28宿=108の目盛区分=促=足
       文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経
       梵天火羅九曜
       七曜星辰別行法
  ↓
 ・・・人間個々人の「アル存在の対象認識」とは「構造分析の構造の部分の数」での「全部の説明」ではなく、「確率=分数=全体の部分=%」の部分である。「確率」とはスベテを「知る事はできない部分」がある。「説明できない部分」があると言うことだ・・・「不可知な部分」・・・「認識の可知な部分」は「近似値」で「∞に漸近する線」と同じ意味である・・・
 「0=ゼロ」とは、存在の「∀・すべて・全て」ということだ・・・云いカエレば、「認識論」的に「存在=有」は「0=∞」の「限定された知識=コトバ・概念・本質・範疇・カテゴリー」の「記憶」ということだ・・・「記憶の記録」は「文字」であり、「機器」による「録音」であり、「映像」である。
 だが、それは「完全な存在自体」ではなく、「存在そのモノ」の「媒介されたモノの存在」で、更に人間の個々人の「脳ミソを媒介」して「認識」されるモノである・・・
 人間個々人の「認識」は「存在そのモノ」の「スベテからは程遠いモノ」なのである・・・ましては「五感感覚」に障害があれば、尚更(猶更)である・・・
 「ヘレンケラー」は「認識、思考、思惟、判断」にエラかったが、「サリバン」先生はサラに偉かった・・・
 ・・・「ウォーター・ウォーラー・ワァー・ワァター」・・・「water」で・・・「ヴァッサー・ヴァッサァ・ドイツ語でVassar・Wasser」である・・・「コロン (colon) =(:)」は、「約物」記号であるが「水の雫(滴・しずく)」・・・「セミコロン=(;)」は「セミのオシッコ」か「瀬見の水」か・・・ドイツの都市名の「ケルン(Köln・Cologne)」・・・「ケルン(cairn)=石塚・遭難碑・山頂や登山路に、道標や記念として石を円錐形に積み上げたモノ」である・・・「オーデ・コロン=ケルン(eau de Cologne)の水(l'eau)」=「1709年にドイツ・ケルンでヨハン・マリア・ファリナによって世界で最初に製造販売=4711」・・・
 「オード・トワレ(フランス語表記は、Eau de Toilette)」の「トワレ(Toilette)」は英語で「Toilet」・・・
 Toilette(フランス)=化粧室
 Toilet(イギリス)=Rest Room・Bath Room(アメリカ)
 ・・・The Water of Toilet=「厠・便所・排便所」の水
 ・・・「問われ(トワレ・ト割れ・渡和例)の水」・・・「水野」?・・・「香水」・・・
 Toiletry(トイレタリー)=化粧品(英語・仏語)
 ・・・
 竹内 保徳
 文化四年(1807年)~慶応三年(1867年)
 幕臣
 官位は
 下野守
 通称
 清太郎・・・清水?・・・清水港は清水の次郎長
    ・・・清水寺・・・清水の舞台
    ・・・water trickling from rocks
    ・・・water trickling out of rocks
    泉=spring・・・湧き水・・・脇の瑞?
            ばね(発条・撥條・弾機
            英=spring・独=Feder
             springa
            fountain        
            spring=春
      泉→蘭学者→中津→豊前国下毛郡中津
            中津城←黒田孝高(如水)→細川忠興
  ↓↑        ↓↑
    寛永9年(1632年)
    第2代藩主
    忠利は肥後熊本藩に移封
    播磨国明石藩より
    小笠原忠真が小倉藩主
    支城の
    豊前中津城に
    小笠原忠真の甥の
    小笠原長次が
    播磨龍野藩より8万石で入封
    元禄十一年(1698年)
    第3代藩主
    小笠原長胤は
    藩領没収、
    本家の小倉藩・小笠原家へ預かり
    弟の
    小笠原高円が半減の4万石で跡継
    享保元年(1716年)
    第5代藩主
    小笠原長邕が7歳で夭逝
    弟の
    小笠原長興が
    播磨安志藩(1万石)に移封
    享保二年(1717年)
    奥平昌成が
    丹後宮津藩より10万石で入封
    丹後宮津藩
     ↓
    天和元年(1681年)
    阿部正邦が
    武蔵
    岩槻藩より入封
    元禄十年(1697年)
    下野
    宇都宮藩に転出
    入れ替わりに同地より
    奥平昌成が入封し、
    享保二年(1717年)に
    豊前中津藩に転出
       ↓
      福沢諭吉=三十一谷人=中村諭吉
  ↓↑
 竹内保徳=清太郎
 1854年(安政元年)
 箱館奉行就任
 1861年(文久元年)
 勘定奉行兼外国奉行
 12月に
 遣欧使節(文久遣欧使節)
 30余名を伴いイギリスへ横浜から出港
 攘夷運動に鑑み、
 江戸・大坂の開市、
 新潟・兵庫の開港延期の目的で欧州各国を訪問、
 五カ年延期に成功
 1862年(文久二年)5月
 イギリスとの間にロンドン覚書として協定
 プロシア、ロシア、フランス、ポルトガル
 との間に同じ協定を結んだ
 1863年(文久三年)
 フランス船で帰国
 翌年
 勘定奉行を辞任
 大坂町奉行に推薦されたが
 着任せず退隠
 1867年(慶応三年)死没
ーーーーー
 ・・・「文久三年(1863年)12月、江戸を出発した池田長発以下34名は、上海・香港・セイロンなどを経由して、ヨーロッパへ」・・・

 

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