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コジキジゲン

1984年・シリア、イラクは「慄=心+西+十+八」?

2018-10-22 12:44:23 | 古事記字源

 ・・・まさか、謀略事故?・・・「日本時間午後5時50分ごろ、台湾東部の宜蘭県で台湾鉄道の特急列車が脱線事故」?!・・・2018年10月21日(日)、今夜はここ蝦夷地ではハッキリ「十三夜の月」が観える二十一時・・・「十三夜」と「栗(くり)名(な)月(つき・ゲツ⇔月)」、「月=肉(にく・ジク)=舟(ふね・ふな・シュウ・シュ)」・・・「月=ゲツ=解通」?・・・「月=ガツ=臥通」・・・「月=つき・づき=尽・搗・突・撞・衝・着・点・築・槻・付・憑」?・・・「十三夜」が金曜日と重なる時はあるのか?・・・「栗(西+十+八)=リツ・リ・くり・おののく・きびしい・ブナ科の落葉高木・栗子・おそれる・おののく・きびしい・栗烈・異体字は「傈・𡨓・㮚・𣗴・𣡷・𣡼・凓・慄・𠘍・𢢙・𤠫」・繁体字は「凓・慄」・・・戦慄」・・・「名(夕+口)=メイ・ミョウ・な」、異体字は「命・䫤・詺・銘」・・・耶蘇教・基督教・吉利支丹・切支丹・・・

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 十三夜の月
  ・・・栗名月・豆名月⇔円ではない
             満月ではない
         歪んでいる形の
         満月の二日前の月
         楕円・勾玉形?
 十三夜とは
 十五夜の約一ヶ月後に巡ってくる月
 旧暦の9月13日頃の月
 新暦では10月の中旬から下旬ごろ
 「後の月(のちのつき)」
 「二夜の月(ふたよのつき)」・・・似よる之(の・シ)通記?
 などの異名・・・
ーーーーー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%88%E3%83%A9
 ↓↑


 イワーン=イーワーン・・・・・・・・磐武・意倭務・違和武?
      (ペルシア語 eyvān
       アラビア語 īwān
          英語 Iwan)
      イスラーム建築
      一方が完全に開き
      三方が壁で囲まれ
      柱がない大空間で・・・「柱=命」が無?
      天井がアーチ状・・・・「鴉蛙地(知)」?
               ・・・日月知・・・
      となっているホール・・・穴・孔・坑・阿那・阿奈
 ハトラ神殿
 ハトラ・・・鳩羅・斑鳩?・・・ハ虎・葉寅?・・・壬申の乱?
 (アラム 語 Ḥaṭrā
  アラビア語 al-Ḥaḍr)
 座標 北緯35度35分17秒
    東経42度43分06秒
 ハトラ(イラク)
 アルケサス朝・・・有る化指す?
 パルティア・・・・葉瑠出意蛙
 の領内にあった
 ハトラ
 イラク北部のモースル州の南西約100km
 サルサル・ワジ川・・・猿・申・沙流・和字選?
            猿ヶ森砂丘(別名、下北砂丘、青森県)
      「鳥取砂丘・猿ヶ森砂丘・庄内砂丘
            石狩砂丘・志多見砂丘」
 のほとりの
 砂漠地帯・・・・・・・鳥取or陸奥(猿ヶ森砂丘)
 都市遺跡
 ハトラの太陽神殿には
 イワーン形式の建物
 パルティア帝国の主要都市
 ↓↑
 パルティア(前247年~後224年)
 古代イランの王朝
 アルサケス朝(アルシャク朝)とも
 アルサケス朝パルティア
 と表記も
 前3世紀半ば
 中央アジアの遊牧民の族長
 アルサケス1世(アルシャク1世・・・有る差化州・有る釈)
 によって建国
 ミトラダテス1世(ミフルダート1世)・・・見虎-伊達-州?
 在位、前171年~前138年
 以降
 イラク、トルコ東部、イラン
 トルクメニスタン・・・・・取る句女似州譚?
 アフガニスタン西部
 パキスタン西部
 の西アジアの範囲を支配
 住民の多くは
 セム系の
 アラム人やアラブ人
 イラン系の人々も住んでいた
 前1世紀以降
 ローマと衝突
 アルメニア・・・有る女似蛙?
 や
 シリア・・・・・「知り・尻・臀・私利・後」を蛙(かえる)?
 メソポタミア
 バビロニア
 の支配を巡って争った 
 紀元116年~198年の間
 ローマ軍の攻撃
 117年
 トラヤヌス帝は・・・・・・・虎殺怒州綴?
 ハトラの近郊までやってき指揮・・・後、撤退
 ↓↑
 116年のトラヤヌス帝
 216年のカラカラ帝
 の襲撃をも退けた
 ハトラだったが
 末期には
 王位継承を巡る内乱の中で
 自立した
 ペルシスの支配者
 アルダシール1世(在位226年~240年)
 によって滅ぼされ
 サーサーン朝ペルシアによって征服・破壊
 ↓↑
 NHKTV
 1984年
 ↓↑
 パルミラの「女王」
 ゼノビア(ラテン語 Zenobia
      Iulia (or Julia) Aurelia Zenobia」
      公文書には「Bat-Zabbai=Al-Zabbaの娘の意味」
      「戦士女王(Warrior Queen)」
 3世紀の
 パルミラ王国の「女王」
 パルミラにある
 ギリシア語・パルミラ語合璧碑文では
 パルミラ語(アラム語パルミラ方言)で
 「最も傑出した敬虔なる女王
  セプティミア=バト=ザッバイ」
 273年・・・⇔卑弥呼(生年不明~242年~248年)
 ↓↑    景初二年(239年)12月
       卑弥呼、難升米らを魏に派遣
       正始元年(240年)
       帯方郡から魏の使者
       詔書、印綬を奉じて
       倭王に拝受
       正始四年(243年)12月
       大夫の伊聲耆、掖邪狗ら八人を
       復遣使として魏に派遣
       掖邪狗らは率善中郎将の印綬を受けた
       正始六年(245年)
       難升米に黄幢を授与
 ↓↑    正始八年(247年)
       倭は載斯、烏越らを帯方郡に派遣
       狗奴国との戦いを報告
       魏は張政を倭に派遣
       難升米に詔書、黄幢を授与
       卑弥呼死亡
       男王が立つが、国が混乱
       卑弥呼の宗女
      「壹與・臺與」を
       13歳で王に立て鎮定
 ↓↑    秦始二年(266年)・・・266年
       倭の女王の使者が朝貢(晋書)
       287年(三国史記)
       倭軍が新羅に攻め入り
 ↓↑    一礼部(地名)を襲撃して火攻め
 パルミラ王国瓦解
 ガリア帝国も
 ローマへ統合した
 アウレリアヌス
 の凱旋式でローマ市内を引き回された
 ゼノビアは黄金の鎖で自らを縛り
 その美貌と威厳をローマ市民に示した・・・
 凱旋式の後
 ローマ国内の
 ティブル(ティヴォリ)の
 ウィッラ・ハドリアナの近郊に
 高級な別荘(ヴィラ)を与えられ
 社交界で活躍し贅沢に暮らした
 ゼノビアは
 ローマの元老院議員
 と再婚し、数人の娘にも恵まれ
 娘達もローマの貴族と結婚した・・・
 ゼノビアに勝利した
 アウレリアヌス(275年暗殺)・・・秦始二年(266年)
      ・・・275年⇔266年=秦始二年・壹與=臺與
         275-266=9
 よりも長く生きた・・・
 アウレリアヌス・・・合う例理鴉(蛙)奴主?
 ↓↑
 パルミラ・・・・・・原見等・原観羅・葉留見等?
 ベル大神殿・・・・・部留
 ↓↑
 2018/10/21
 13:50
 あの日 あのとき あの番組
 失われた街をたずねて~
 シルクロード・シリアの旅
 人類共通の遺産・世界遺産が
 内戦やテロで危機にさらされている
 NHK特集のシリーズ
 「シルクロード」に
 記録された在りし日の
 遺跡や暮らしから、
 平和について考える
ーーーーー
 アッシュール(アッカド語 Aššūrāyu
        アッシリア語 ašsur)
 アッシリアの
 最初の首都となった
 チグリス川西岸の都市
 それを中心とする地域
 その主神
 現在のイラクの
 カラト・シャルカト
 サラーフッディーン県に位置
 ↓↑
 アッシュール
 「都市アッシュール」
 それを中心とした地域で「アッシュールの地」
 それらを守護する「アッシュール神」が
 同一の名前
 粘土板文書では
 発音されない限定符によって
 三者が区別
 ↓↑
 都市アッシュール
 𒌷(ウル)・𒀸𒋗𒁺 𐎹(アッシュール)と表記
 ↓↑
 アッシュールの地
 𒀸𒋗𒁺 𐎹(アッシュール)・𒆠(キ)と表記
 ↓↑
 アッシュール神
 アッシュール市そのものが神格化された神
 配偶神は
 ムリッス女神
 (バビロニアの
  エンリル神の
  配偶神
  ニンニル)・・・人似る?
 ↓↑
 サルゴン二世・・・・「沙流・猿・申」+「言」?
 (BC721~705)
 アッシュール神が世界創造時からの神
 エヌマ・エリシュにおいて
 アヌ (メソポタミア神話)の父とされる
 アンシャルと習合された
 アンシャルが選ばれた理由は
 名前の類似による・・・「名前の類似」デス・・・?
 ↓↑
 次代の
 センナケリブ(BC704~681)により行われた
 アッシュル至上主義的宗教改革により
 マルドゥク・・・丸(円)度得句=360度
 のものであった
 エヌマ・エリシュ
 新年祭などでの主神の座を奪い
 名実共に最高神の地位に就く
 ↓↑
 治世のほぼ20年間
 バビロンより奪われた
 マルドゥク神像は
 アッシュール市に留め置かれ
 バビロニアでは
 新年際が開催されることはなかった
 𒀭(ディンギル、en:Dingir)・・・出音義留?
 ・
 𒀸𒋗𒁺 𐎹(アッシュール)
 と表記
 ↓↑
 紀元前14世紀後半から
 アッシュール-ナシルパル2世・・・ナシルパル=名詞留葉流
 の世まで
 新アッシリア国王の都市
 アッシュールナシルパル2世によって
 紀元前883年に
 カルフ(ニムルド)・・・軽附(似武留土)
 へ首都が移された後は
 イシュタル(イシス)
 と
 アッシュールの神殿とともに
 アッシリアの宗教的な重要性を維持し続けた
 ↓↑
 アッシュールは
 シン・シャル・イシュクン
 の治世の紀元前614年に
 新バビロニアの
 ナボポラッサル
 と
 メディア王国の
 キュアクサレス2世
 の連合軍によって征服された
ーーーーー
 ・・・???・・・

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