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コジキジゲン

ハラカラ・・・ミズのハラ・・・

2016-09-04 21:46:18 | 古事記字源

 ・・・前回は「平・平氏・平家」に触れたが・・・桓武平家・・・清和源氏・・・清和天皇(水尾天皇・貞観帝)、嘉祥三年三月二十五日(850年5月10日)~元慶四年十二月四日(881年1月7日)は、第五十六代天皇。在位は天安二年十一月七日(858年12月15日)~貞観十八年十一月二十九日(876年12月18日)、諱は惟仁(これひと)、文徳天皇の第四子、九歳で天皇位・・・棲霞観で発病、「粟田の円覚寺」に移され、崩御・・・
 「源」・・・「源氏」は「源家」とは云わない・・・ナゼなんだか・・・「源=氵(水)+原」
  ↓↑
 ミズのハラ
 はらから=同胞(ドウホウ)
      胎児・・・源児(氏)
・・・源=氵(水)+原
           原=厂+白+亅+八
           沼地=葦原・湿原・泥炭地
           沼地=渟
             天-渟-中原瀛-真人
         (あまの-ぬ-なはらおきのまひと)
              渟=たたえる
                水がたまる
                水たまり
                たたえる
                湛える=溢れる
                讃える・称える
                多々える
                ↓↑
                湖沼
                とまる・とどまる・とどめる
                ジョウ・ヂャウ・テイ・イィ
             茅渟(ちぬ)=海鯽=黒鯛
             木国=(きのくに=紀国)
             茅渟=和泉と淡路の海峡の古名
                母木邑=神武即位前戌午年
               「初 孔舎衙之戦、
                有人隠於大樹而得免難、
                仍指其樹日、
                恩如母、
                時人因号
                其地、日、母木邑、
                今云、飫悶迺奇(おものき)
                訛也
               (日本書紀
                五月丙寅朔癸酉
                五瀬命)」
      ・・・「飫悶迺奇」とは哂っちゃう・・・
          西から廻ってきた奇、
          厭きるほどに煩悶、
          もだえる・・・?
          飫=飽きる・ヨウ・オ・ヨ
            厭きる
            阿伎留=あきる
            安芸(藝)留=蕪木留
            蕪木=かぶき=荒れ地の木
                   原野の草木
              「渟」
            豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)
              渟名底仲媛命
              渟名襲媛
              渟名城入姫命
              淳名城入姫命
              渟名城稚姫命
              沼名木之入日売命(古事記)
             泥渟=泥水のたまった所・ぬかるみ
                水の原野・沼地
      胎児・・・対峙・太地・退治
        ・・・ホン-タイジ?
      古くは「はらがら」
      同じ母から生まれた兄弟姉妹
      一般に兄弟姉妹
      同じ国民・どうほう
      更級日記
      初瀬「はらからなる人は言ひ腹立てど、
         ちごどもの親なるひとは」
      同胞=ドウボウ
         祖国を同じくする者同士
         同じ国民
         (fellow) countrymana compatriot
          brethren, brothers
          fellow countrymen
          fellowman
ーーーーー
 で、前々回、「南部藩の永根鉉」なる「書痴(筆写クレージー・crazy、or 読書マニア・mania)」を「司馬遼太郎」氏の著作「韃靼疾風録(下巻・1987年発行・中央公論社)」の部分を添付して書き込んだが・・・「永根鉉」とは何者かが不詳である・・・南部藩・・・
 で、検索で見つけたモノは・・・「陸奥国盛岡城に藩庁を置いた藩。盛岡南部藩。文化年間に、盛岡藩に改称(南部領分呼称替え)される前は単に南部藩」・・・「後に八戸藩と七戸藩が分かれる」・・・
 「甲斐源氏の流れを汲んだ南部氏の始祖・南部光行が、平泉の奥州藤原氏征討の功で現在の青森県八戸市に上陸し、現在の南部町 (青森県)相内地区に宿をとった。その後、奥州南部家の最初の城である平良崎城(現在の南部町立南部中学校旧校舎跡地)を築いた。後に現在の青森県三戸町に三戸城を築城し移転した」・・・「南部藩は江戸時代の250年間に76回もの飢饉があった」・・・関連して出てきたのが「寛永十年(1633年)3月、盛岡へ黒田騒動で筑前福岡藩家老・栗山利章(栗山大膳)が南部家御預り」、「安芸国の阿曽沼氏(あそぬまし)の断絶」であるが・・・
 早稲田大学図書館所蔵のブログ検索では・・・
 「康煕耕織図」を観れる・・・
 ↓↑
 「永根 氷斎 - 古典籍総合データベース - 早稲田大学」
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/search.php?cndbn=%89i%8D%
AA+%95X%8D%D6
 ↓↑
 永根鉉・・・「永根 氷斎」?
   鉉(つる・ケン)=金+玄・・・金の玄(モト)
   鼎(カナエ)を担ぐ道具
   鼎の両耳に掛け渡しかつぐモノ
   金属・玉などで造る
   耳づる・つり鍋・つる(弦)
   土瓶(どびん)、鉄瓶、鍋などの上に
   半円状にわたしてある取っ手
   枡(ます)の上に対角線状に渡してある
   鉄の細い棒
   ものを量るとき水平にならすモノ
   弦掛け枡
   土瓶、鉄瓶などの「handle」
   古代の舉鼎器具
   狀如 鉤、銅制、用以提鼎兩耳
   比喩として
   三公(三槐・三師)之類重臣=鼎自体の三脚で
             両(兩・㒳)耳に掛ける
             鉉では無い
   一般的には三大臣とは
   太師、太傅、太保
   前漢の
   平帝代、元始元年(1年)
   幼くして
   王莽らに擁立され即位した
   平帝の補佐と教育のため
   太師=教育師範、学問の先生
   太傅=尚書の統括者、言付け係り
      上奏を取り扱う役職・情報局
   太保=体育係り・武芸、技芸係り
   が置かれた
 ↓↑
 永根鉉  
 康煕耕織図(コウキ コウショクズ)
 焦 秉貞(ショウ, ヘイテイ)
 永根 氷斎(1765~1838・ナガネ ヒョウサイ)
 出版 地不明・出版者不明
 康煕耕織図. 織
 焦秉貞 画
 永根鉉 題
 文化四年(1807)跋
 古典籍・農林水産~農業総記
    織 第七圖 採桑
 文化丁卯之秋 南部 永根鉉 題
 ↓↑
 図七
 世宗憲皇帝御製
 清和天氣佳此(北?)戸採桑
 急瀼々零露繁冉冉緑陰濕(しめる・しめす)郄柯(えだ)
 學獠升落葚教兒拾昨摘満籠歸姑猶真(口真)不給
   皇帝御製添和
 聖祖仁皇帝原韻
 墻(かき)畔青絛著雨滋繁陰初覆葉齊時春深
 入繭蠶(かいこ)争邛(うえる)稚子携筐上緑枝
  ↓↑
 「採桑」・・・「桑の葉の採種」・・・?養蚕の餌
  ↓↑
 「実録
  封建時代の歴代の政府が
  編纂した編年体史料長編
  南朝-梁周興嗣編纂・・・・南朝-梁周
  の
  「梁皇帝実録」に遡る・・・梁・・・「梁塵秘抄」?
               「梁書」?
               高粱(コウリャン)
  一次史料が収録
  その殆どが乱世で消失
  現存しているのは、
  「明実録」、
  「清実録」のみ
    ↓↑
  「明実録」は、
   明太祖から
   熹宗までの
   13朝の実録
   及び後人が補足した・・・・後人の補足
   崇禎朝実録計2925巻を収録
   太祖(タイソ)実録257巻
   成祖(セイソ)実録130巻
   仁宗(ジンソウ)実録10巻
   宣宗(センソウ)実録115巻
   英宗(エイソウ)実録361巻
   憲宗(ケンソウ)実録293巻
   孝宗(コウソウ)実録224巻
   武宗(ブソウ)実録197巻
   世宗(セイソウ)実録566巻
   穆宗(ボクソウ)実録70巻
   神宗(シンソウ)実録594巻
   光宗(コウソウ)実録8巻
   熹宗(キソウ)実録87巻
   思宗(シソウ)実録17巻
   ・・・「祖(始・初)」と「宗(継・承)」の相違だが
      いずれも死亡後の祀られた建物の
      「廟号(ビョウゴウ)」で
      生前の事績への人物評価の贈り名の
      「諡号(シゴウ)」とは異なる
   ↓↑
  「清実録」は、
   清太祖から徳宗までの
   11朝の実録
   及び後人が補足した・・・・後人の補足
   宣統政紀計4433巻を収録
   ↓↑
   太祖実録10巻・・・・ヌルハチ(弩爾哈赤)
            「永根鉉」が「盗写本」を出版?
   太宗実録65巻・・・ホンタイジ(皇太極)
            愛新覚羅-皇太極
            応天興国弘徳彰武
            ?温仁聖睿孝敬敏
            昭定隆道顕功文皇帝(文皇帝)
            「永根鉉」が「盗写本」を出版?
   世祖実録144巻
   聖祖実録300巻・・・諱は玄菀(ゲンヨウ)
             聖祖=康熙帝
諡号は合天弘運文武睿哲
恭倹寛裕孝敬誠信
             功徳大成仁皇帝(仁皇帝)
元号康熙の「康熙帝」
   世宗実録159巻
   高宗実録1500巻・・・乾隆帝=太宗実録改竄者?
   ↓↑       (愛新覚羅-弘暦 位1735~1795年)
            「四庫全書」編纂、その中には
             アレクサンドリアの
             エウクレイデス(Euclid)
            「ユークリッド」の記載
             紀元前3世紀?の
             古代ギリシアの数学者・天文学者
            「原論(ユークリッド原論)」
             原論=「ストイケイア」
             の著者・・・ゲンロン=言論・原論
               ↓↑
         ・・・「欧骨栗姪=ユークリッド」の
            「原(はら)の論理」・・・?
            「栗(くり)」は日本語の訓である
            「栗」の音は「リツ・リ」である
         ・・・庫裏・庫裡→火中の栗を拾う、でアル 
         ・・・日本では
            1884年10月
            アイザック・トドハンターの
            『宥克立(ユークリッド)』が
            長澤龜之助訳、川北朝鄰閲で
            東京数理書院から出版(原著1862年)
            「宥克立(ユークリッド)」
               ↓↑
            「幾何学の父」
             プトレマイオス1世治世下
            (紀元前323年~283年)
             アレクサンドリアで活躍
             ユークリッド幾何学体系
             少数の公理系から構築
             他に光学、透視図法、
             円錐曲線論、球面天文学、
             誤謬推理論、図形分割論、
   ↓↑        天秤なども著述
   仁宗実録374巻
   宣宗実録476巻
   文宗実録356巻
   穆宗実録374巻・・・穆宗=同治帝(愛新覚羅-載淳)
   徳宗実録597巻
   宣統政紀70巻
  「明清実録(硬盤版)」は、
   明-実録
   清-実録
   の26の実録
   全文データー(4700万字)
   画像(31万頁)の
   2種類の形式で収録
ーーーーー
 ・・・「乾隆が、このホンタイジ記録の中の多くを削除し、入念に湮滅した」以前の(実録?)・・・その筆写本が、南部藩の「永根鉉」の手に入った。
 「鉉もまた奇特な人物だった。
  この人物の手で『実録』の採要が公刊された。
  このため、この本は日本にのみ残った」
 ・・・「永根鉉」はダレかによって「盗写された太祖の『実録』の一部、『太祖実録』、『世祖実録』」を出版した・・・
 ブログ検索で調べたが「永根鉉」は「永根 氷斎」の号らしいが、ボク的には資料不足で、先の「康煕耕織図」だけで、司馬遼太郎氏が調べた資料は見当たらなかった・・・きっと、彼の書斎の中に・・・
ーーーーー
 付録
 宣皇后(16世紀-1569年)
 姓喜塔臘氏,名額穆齊(穆麟紱=Emeci・太清=Emeqi)
 王杲(稻葉君山認為王杲就是阿古都督)長女
 塔克世 妻
 努爾哈赤 母
 額穆齊 為 塔克世 嫡妻
 1559年生 努爾哈赤
 1564年生 舒爾哈齊
   再生 雅爾哈齊
   另 有一女 下嫁 噶哈善哈斯虎
 順治五年(1648年)
 清廷追尊 塔克世 為 顯祖 宣皇帝
      額穆齊 為 宣皇后
  ↓↑
ーーーーー
 ヌルハチ(弩爾哈赤
      清の初代皇帝
      称号は満洲語でゲンギェン・ハン
       モンゴル語でクンドゥレン・ハーン
      廟号は太祖
      諡号は高皇帝
      明の文献では童奴兒哈赤
            佟奴兒哈赤
      朝鮮の文献では老乙可赤
             奴兒哈赤
      清の文献では弩爾哈齊
            弩爾哈奇
 と記載・・・
ーーーーー
  ↓↑
 皇太極(ホンタイジ)
 清(後金)の第2代皇帝
 称号は満州語でスレ・ハン(Sure han)
    モンゴル語でセチェン・ハーン
 皇太極(ホンタイジ)は皇太子、黄台吉とも表記
 「ホンタイジ」=皇太子・王・福王
         君主号の一種・・・・?
 王朝 後金→清
 在位期間
 1626年10月20日・・・日本の
  ~        ↓↑
 1643年9月21日    ↓↑
 ↓↑        寛永三年で元号期間は、
           1624年~1645年
           干支年は「丙寅」年
           日本は「寛永三年」
           皇紀2286年
           中国は明国の
           天啓六年
           後金は
           天命十一年
           朝鮮は
           李氏朝鮮の
           仁祖四年
           寛永年間の天皇は
           後水尾天皇
           明正天皇
           後光明天皇
           江戸幕府将軍は
 ↓↑        徳川家光
 1643年9月21日・・・ 癸未年
 ↓↑        寛永二十年・・・・・20=念
           ニュートン誕生
           天海=南光坊=智楽院
 ↓↑        諡号は慈眼大師・・・死亡
 都城 盛京(Mukden)
 姓・諱
 愛新覚羅-皇太極(ホンタイジ)
 蒙文尊称 セチェン・ハーン
 満州語 hong taiji
 諡号
 文皇帝(genggiyen šu hūwangdi)・・・文稿訂?
 追号(諡号)
 ↓↑
 応天
 興国
 弘徳
 彰武
 ?温
 仁聖
 睿孝
 敬敏
 昭定
 隆道
 顕功
 文皇帝
  ↓↑
 廟号 太宗
 生年 万暦二十年十月二十五日・・・・万の暦の弐拾
   (1592年11月28日)
     ~
 没年 崇徳八年八月九日
   (1643年9月21日)
 父 ヌルハチ(第八子)
 母 側福晋葉赫那拉氏(孝慈高皇后)
 皇后 ジェルジェル(孝端文皇后)
 陵墓 昭陵(eldengge munggan)
 年号 天聡(sure han)1627年~1636年
    崇徳(wesihun erdemungge)1636年~1643年
ーーーーー
 ・・・番外だが、「梁塵秘抄」が紛れ込んでいたので付録・・・「今様歌謡の集成。編者は後白河法皇。治承年間(1180年前後)」・・・「梁塵」は、「名人の歌で梁の塵も動いた」との説らしいが、ウタでコーリャンのチリがナゼ動くだか?・・・発見は「1911年(明治四十四年)、佐佐木信綱らによって巻第二、巻第一と口伝集巻第一の断片、口伝集の巻第十一から第十四が発見された」らしく、「佐佐木の校訂(刊行)による本が刊行」とは「万葉集」と同類の怪しい明治の「改竄」があった?・・・漢字に「々」の字が存在しないことを知り、以後は「佐佐木」と改めたとは・・・彼の業績には敬意を表するが・・・ボク的な脳ミソの妄想疑念にはマトワリ憑く・・・
 それに「梁(コウリャン)の塵(ちり・ジン)」は文字道理、理解できるが、ナニが「秘-抄」なんだか?・・・秘密は「紅高粱(紅いコーリャン)」のダレかの尿入りの酒なんかは呑みたくないが・・・企業秘密を知らなきゃぁ、旨いカモ・・・
 ウイッキペデアに掲載されていたので以上も以下も参照、参考にしたモノを添付した・・・
  ↓↑
 「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ」
 「舞え舞え蝸牛、舞はぬものならば、馬の子や牛の子に蹴させてん、踏破せてん、真に美しく舞うたらば、華の園まで遊ばせん」
 「東屋(あづまや)の妻とも終(つい)に成らざりけるもの故に、何とてむねを合せ初めけむ」
 「仏は常にいませども、現(うつつ)ならぬぞあわれなる、人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見え給ふ」
 ナニを云っているんだか・・・?
 ↓↑↓
 智証大師
 円珍(えんちん)・・・円の珍?
 弘仁五年三月十五日
 (814年4月8日)
   ~
  寛平三年十月二十九日
 (891年12月4日 )
 平安時代の天台宗の僧
 天台寺門宗の宗祖
 諡号は
 智証大師
 入唐八家
 (最澄・空海・常暁
  円行・円仁
  恵運・円珍
  宗叡)・・・円が三人?
          曼荼羅を描くのに
          幾何学も
          勉強したんダロウ・・・
 の 一人
 智証大師-円珍
 第5代天台座主
 三井寺(園城寺)を中興、
 天台 別院とし、
 初代
 寺門派の祖、
 天台寺門宗の宗祖
 ↓↑
 『梁塵秘抄』の歌に?・・・ナゼ、「梁の塵の秘抄」の中の
 ↓↑              歌なんだカナ・・・?
 大師の住所はどこどこぞ
 伝教慈覚は比叡の山
 横川の御廟とか
 智証大師は三井寺にな
 弘法大師は高野の御山に
 まだおはします
 ↓↑
 讃岐の国
 那珂郡
 金倉郷
 (香川県善通寺市金蔵寺町)に生まれ
 俗名は
 因支音広雄・・・・因支音-広雄・・・?
 父は
 宅成、
 母は
 空海の姪で
 佐伯直氏・・・・・佐伯(さえき)-直・・・?
 ↓↑
 新羅明神の示現・・・・ナゼ「新羅」なのか?
 承和13(846)年
 33歳
 比叡山の「比叡山一山」の真言学頭
 円珍の夢に山王明神(新羅明神)が現れ、
 中国唐に渡って仏法を求めるよう勧める
 仁寿(ジンジュ)三(853)年
 入唐求法の旅
 ↓↑
 仁寿三年=大中七年
     「尋樹・忍儒=犬儒」讃子務(念)?
 ↓↑  「台中・代中」失念?
      犬儒學派=キュニコス派、
     「cynic→cynical」の・・・皮肉?
      ディオゲネス
      ソクラテスの孫弟子
      シノペ生れで
      シノペの・・・「忍べ」?
      ディオゲネスとも呼ばれた
      犬儒派(キュニコス派)の思想家で
      犬のような生活を送り、
     「犬のディオゲネス」と言われた
      樽を住処にし、
     「酒樽のディオゲネス」とも
      両替商の
      ヒケシアスの子・・・比掛詞蛙素?
      制度、
      価値を変えよとの神託が下り
      彼 or 父が
      贋金を造り
      国外(ポリス外)に追放・・・
     「プラトンの雄鶏」で揶揄、
      思想はコスモポリタン
      蛸(章魚・タコ・octopus)
      の食中毒で、
      犬に足をかまれて、
      息を止める修行で
      死亡したとかの説・・・
     「ギリシャ語通訳=探偵小説のタイトル
     (シャーロック・ホームズ)」で
      七歳上の兄
      マイクロフトは
 ↓↑  「ディオゲネス・クラブ」の会員だった・・・人嫌い
 新羅商人の船で入唐・・・新羅の商人の船?
 七月一日
 「福州公験」を発給・・・福建省=榕城
             榕樹(ガジュマル・桑)の街
             通樑古榕樹は澎湖(台湾)
             客家=華僑の本拠地
             明清代には琉球館が設置
             琉球は独立王朝国家だった・・・
 円珍の従者
 僧豊智・・・・豊の智
 沙弥閑静・・・沙弥の閑静
 訳語丁満・・・訳語の丁の満
           丁=十干第四位・火の弟
             偶数
             壯年男子・男子年二十、成丁
             納稅兵役の義務者
             召し使の男・僕役
             馬丁・園丁
             魚の頭の骨=魚枕
             强し・さかん(壯)
             あたる(當・当)
             あふ(相値)
             くぎ(釘)
 物忠宗・・・・物の忠(中心)の宗
 経生的良・・・経を生かし的(あてる)に良し
 伯阿古満・・・伯阿(ハクア)の古満?
 大全吉・・・・大全(ダイゼン)の吉
 ら七人。
 福州公験(41歳)
 九月十四日
 福州都督府より「公験」下付
 三月十九日
 越州都督府から「過所」下付
    長安へ向かう
 四月
 蘇州へ・・・絹織物の産地、養蚕業の地
 ↓↑    上海(申)に隣接
 ↓↑
 天安二年(858年)・・・天安門事件は何時?
 唐商人の船で帰国
 ↓↑
 六年間にわたる在唐
 天台山国清寺に・・・国の清の寺(字・治・時)
 日本からの留学僧のために
 止観堂(天台日本国大徳僧院)を建立
 中国各地を遍歴
 長安で
 青竜寺
 法全和尚から
 「両部-大教-阿闍梨位-潅頂法」
 密教奥旨を伝授
 法全は秘蔵していた
 「五部心観」を円珍に付与・・・白描図像
ーーーーー
 ・・・息を止めてドウする?・・・「止観(シカン)」する・・・史観・・・

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