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コジキジゲン

たえる=耐・堪・絶・仔える・断える・・・

2018-09-15 22:44:01 | 古事記字源

 ・・・「稀勢の里 寛(ゆたか・1986年7月3日=丙寅-甲午-戊申・空亡=寅卯)は、茨城県牛久市出身(出生地は兵庫県芦屋市)で田子ノ浦部屋(入門時は鳴戸部屋)」・・・土俵で・・・「たえる=耐・堪・絶・仔える・断える」・・・「忍耐・耐久」は「抵抗力」・・・「がまん=我慢・我満」・・・「つらい=辛い・貫井・貫意」・・・ジシンにタエル耐える・・・タエレナイ人びともいる・・・老人、子供、幼児、障害者・・・「仔(イ+子)えられない=人の子はタエラレナイが人間以外の動物の子供」は「仔(た)える」・・・?
ーーーーー
 「仔(たえ)る=イ+子」⇔「怺(こら)える=忄(心)+永」
  ↓↑
 仔供の出産・・・陣痛(甚痛)に耐える、怺(こら)える
  ↓↑
 「耐える(苦しいこと、つらいこと、嫌なことをじっと我慢する)」
 「任にたえる(まかせられた役目を我慢してなんとか成し遂げる)」
 「忍耐力・耐久力・抵抗力」
 「細かい・小さい」
 「動物の子=(仔牛・仔豚・仔鹿・仔犬)」
  ↓↑
 「堪(た)える=堪忍・甚大=堪(こら)える=こらえる=怺(こら)える=忄(心+永)」・・・
 「怺(こらえる)」が、ナゼ「心(忄)」が「永い」のか・・・「立身の弁は永遠の心情(プチぶる根性orエゴ)」である?・・・我慢、忍耐の延長・・・「怺(こらえる)」・・・許しを乞う、懇願・・・
 「長い=異体字は镸・杖の形象?」ではなく、髪の、鬚の長さの象形だろう・・・「権威者、指揮者、老人(年長者)を支える杖の長さ⇔時間・空間⇔モノの有限の幅・枠・区切り・長短が比較でき、ハカれるモノ」・・・「永い=異体字は咏・𠘷・𣱵・泳・泳河川の水の流れ⇔永続・永遠・永劫・永久・永逝 ・永眠⇔無限・動的連続性」・・・永久機関・・・
 「水=異体字は沝・𣸕・氵・⽔・氺」・・・「水⇔川の本流+支流」
 「ステントグラフト」・・・血管の欠陥、欠管・・・欠巻・・・血管の機能不全・・・血栓・・・結線・・・
 「怺(こら)える=忄(心)+永」・・・心臓から延びる「循環機能動脈-毛細管-静脈-血管」と「血液」・・・
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 「諸行無常」=ショギョウ・ムジョウ=「所業・所行・初行」+「無情・無上・霧状・夢情・六条」・・・「憲法6条 (憲法)・憲法6条 天皇の任命権[憲法第6条] ・天皇は、国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する・天皇は、内閣の指名に基づいて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する」・・・
 「日本国憲法 第6条=天皇による内閣総理大臣・最高裁判所長官の任命について規定する」
 「日本国憲法 第6条=日本国憲法の第1 章・天皇にある条文の一・天皇による内閣総理大臣・最高裁判所長官の任命について規定」・・・
 「第六条 第1項=天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。第2項 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する」・・・行灯=アンドン=行燈・・・昼行灯・・・唐音・・・
 役人=役行者・・・行基
 訳人=訳業者・・・行規・行記・経記
    薬業者・・・行気・堯記・暁軌
    堯(尭・ギョウ)=中国神話の君主・姓は伊祁(イキ)
             名は放勲(ホウクン)
             陶、 次いで唐に封建されたので
             陶唐氏・舜へ権力禅譲
 役行者=エンのギョウジャ
 ↓↑ =エンアンシャ=延安者=中国陝西省北部の都市
            渭水(イスイ)盆地とオルドスを結ぶ
            軍事上の要地・旧称、膚施 (フシ)
 ↓↑         延安=イェンアン・盂攻鬼方
 役行者=役 小角(えん の おづの=おづぬ・おつの)
     舒明天皇六年(634年)伝
     ~
     大宝元年六月七日( 701年7月16日)伝
     呪術者
     役-優婆塞(えんの うばそく・日本霊異記)
       優婆塞=在家仏教信者・・・維摩
         =優しい婆の要塞?
     神変大菩薩(じんべんだいぼさつ
           光格天皇が
           寛政十一年(1799)・・・官制壱拾壱念?
           役行者に贈った諡号)
     禅師
     山伏の元祖
     姓は君
     姓は役公(えだちノきみ)
     名は小角(おづぬ)・・・「続日本紀」
     修験道の開祖
     加茂-役君(賀茂-役君)とも呼ばれる
    「役民」を管掌した一族であったために
    「役」の字をもって「氏」とした
     役民=律令制下の租税の一種、
        無償労働にかり出された者
     事跡記事
    「文武天皇三年五月丁丑・699年5月24日
     役君小角、伊豆島ニ流サル。
     初メ小角、葛城山ニ住シ、呪術ヲ以テ称サル。
     外ノ従五位下
     韓国連廣足(からくにのむらじ ひろたり)焉ヲ
     師ト為ス、後、
     其ノ能ヲ害(そね)ミ、
     讒(ザン)スルニ妖惑ヲ以テス。
     故ニ遠島ニ配セラル。
     世ニ相イ伝エ言ク。
     小角、能ク鬼神ヲ役使シ、
     水ヲ汲ミ、薪ヲ採セ、
     若シ命ヲ用ヒザレバ
     即チ呪ヲ以テ之ヲ縛ス」
     ↓↑
    「陰陽道+神仙術+密教
     を日本固有の山岳宗教に取り入れ
     独自の修験道を確立
     吉野金峰山(きんぶせん)や
     大峰山(おおみねさん)
     他多くの山を開いた
     新羅や唐に往来したとする伝承・・・
     終焉も
     唐、もしくは虚空に飛び去った・・・」
     唐=から=虚(から)=空(から)の「重語」だろう・・・
     虚空蔵菩薩=無限虚空に智慧と功徳、福徳を有する菩薩
     修験道の系譜
     役行者〜1.義学(覚)〜2.義元(賢)〜3.義真
        〜4.寿元(彦山開山)〜5.芳元(五代山伏)
        〜6.助音〜7.黒珍(羽黒山)〜8.日代
        〜9.日円(天台 熊野社)
        〜10.長円(天台 法華行者)十代山伏》
        〜11.円珍(智証大師 天台寺門派祖)
 ↓↑
 行基=ギョウキ・アンキ・・・暗記・暗鬼・安危・安企?
    天智天皇七年(668年)
    ~
    天平二十一年二月二日(749年2月23日)
    ↓↑
 河内国大鳥郡(大阪府堺市西区家原寺町)
 父・高志才智・・・高句麗・高麗
 母・蜂田古爾比売
 の長子として誕生
 天武天皇十一年(682年)・・・壱拾壱撚
 15歳で大官大寺で
 得度、出家し
 法行と称した
 持統天皇五年(691年)
 24歳で戒師の
 高宮寺
 徳光禅師のもと受戒
 飛鳥寺、薬師寺で
 法相宗を主として教学を学び
 名を
 行基と改めた
 教師
 道昭は、入唐して
 玄奘の教えを受けた
 大宝四年(704年)
 生家を
 家原寺に改め、
 母と大和の
 佐紀堂で暮らす
 40歳で生駒山の
 草野仙房に母親と移り修行
 43歳で母を亡くし3年間喪に臥す
  ↓↑
 「知識結」とも呼ばれる
 新しい形の
 僧俗混合の宗教集団を形成
 近畿地方を中心に
 貧民救済・治水・架橋などの
 社会事業に活動
 行基が開基した寺院は
 『続日本紀』で40余処
 興融寺の鎌倉時代中期の顕彰碑では49院
 小規模な修行と布教の為の拠点・・・
 養老元年(717年)4月23日
 詔をもって
 「小僧の行基と弟子たちが、
  道路に乱れ出てみだりに罪福を説いて、
  家々を説教して回り、
  偽りの聖の道と称して人民を妖惑している」
 と、新しい宗教集団を寺の外での活動を禁じた
 「僧尼令」に違反するとされ弾圧を受けた
 天平二年(730年)九月
 平城京の東の丘陵(天地院)で
 妖言を吐き
 数千人から多い時には1万人を集めて説教し
 民衆を惑わしているとされた(続日本紀)
 行基とその集団の活動が大きくなっていき
 指導により墾田開発や社会事業が進展
 朝廷が恐れていた
 「反政府」的なものではないと判断し
 天平三年(731年)に弾圧を緩め
 翌年
 河内国の
 狭山池の築造に
 行基の技術力や農民動員の力量を利用
 天平八年(736年)
 インド出身の僧
 菩提僊那が
 チャンパ王国出身の僧
 仏哲
 唐の僧
 道璿とともに来日
 彼らは九州の大宰府に赴き
 行基に迎えられて平城京に入京し
 大安寺に住し、時服
 天平十年(738年)
 朝廷より
 「行基大徳」の諡号が授けられた
 最初の律令法典
 「大宝律令」の注釈書などに記録
 三世一身法が施行され
 灌漑事業などをはじめ、多くの行基の事業は
 権力側に入れられた
 聖武天皇が接近し
 740年(天平十二年)
 聖武天皇に依頼され
 大仏建立に協力
 天平十三年(741年)三月
 聖武天皇が
 恭仁京郊外の
 泉橋院で行基と会見
 同十五年(743年)
 東大寺の大仏像造営の勧進に起用
 天平十七年(745年)
 仏教界、最高位である
 「大僧正」の位を贈られた(続日本紀)
 天平二十一年(749年)
 喜光寺(菅原寺)で81歳で入滅
 生駒市の
 往生院で火葬後
 竹林寺に遺骨が納められ多宝塔を立て墓所
 行基は「文殊菩薩の化身」とも言われた
 天平勝宝四年(752年)
 菩提僊那
 聖武上皇の命により
 東大寺大仏開眼供養の導師を勤めた
 宝亀四年(773年)
 ↓↑
 行基は
 寺と僧侶を広く仏法の教えを説き人々より篤く崇敬され
 行基集団を形成
 道場や寺院を49院、溜池15窪、溝と堀9筋、架橋6所
 国家機関と朝廷が定めそれ以外の直接の民衆への
 仏教の布教活動を禁じた時代に
 禁を破り畿内(近畿)を中心に
 民衆や豪族など階層を問わず
 困窮者のための布施屋9所等の設立
 朝廷からは度々弾圧や禁圧
 逆境を跳ね返し
 大僧正(行基が日本で最初)として
 聖武天皇により
 奈良の大仏(東大寺)造立の実質上の責任者として招聘
 この功績により
 東大寺の「四聖」の一人に数えられている
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