人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

平和を与えてくださるキリスト

2019年04月14日 | お気に入りの言葉

   こう話していると、イエスが彼らの中にお立ちになった。そして「やすかれ」と言われた。―ルカ二四・三六―  

   今日のみことばはイエスが私たちを理解してくださっていたことを、明らかに示しています。

  人が平和を求める心ほど切実なものはありません。私どもは争いの世界、戦いの世界に住んでいます。

  人類の歴史は、本来は戦争の歴史であります。そして、戦争という点から考えれば、世界の状態はただ悪化するばかりです。 最近の世界大戦は、かつて見なかったほどの広範囲におよぶ戦争で、世界中の国々が、直接あるいは間接に戦争に参加しました。

  私たちのこの世界に戦争が絶えないということは、何も不思議なことではありません。 なぜかと言えば、人間の心ほど、戦意にもえているものはないのだから。

  私たちの家庭内における「争い」を考えてごらんなさい。 夫と妻とのいさかい。武装したままの休戦状態にある夫婦もたくさんあるし、しのぎをけずって、戦っている夫婦もあります。

  兄弟姉妹間の「争い」を考えて見ましょう。「兄弟姉妹の愛情は、遺言裁判所までつづく」と言う古いことわざがありますが、これは考えさせられる言葉です。  

 隣人間の「争い」はどうでしょうか。争いの原因となるものは、まず、実につまらない小さなもの、たとえば、ひよことか、やぎとか、あるいはかきねといったようなものです。 そうして、このために私たちは友情を失い、敵意をいだき、口論し、ついには最高裁判所にまでも足を運んで行くのであります。

  たいていの人は、なんらかの形で戦いをまじえています。しかしその戦いはおおむね人の性質と教育によって、異なっているものです。  

 ごくおだやかな人でさえも、頭脳や心の内面的な戦いであるとは言え、争いに加わっています。いったい人が、頭の中で他人を攻撃していない時間というのは、どのくらいあるでしょうか。 私たちは、ねたみという毒をぬりつけられたきりのように鋭い思いをふりまわして、他の人たちに、むごたらしくも傷をおわせているのです。

  そうです。私たちは皆、私たちの心に平和を与えてくださるキリストがほんとうに必要であります。

  O・ハレスビー著 「みことばの糧・365日の黙想」より

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