映画 ご(誤)鑑賞日記

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母さんがどんなに僕を嫌いでも(2018年)

2019-06-19 | 【か】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv64869/

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 幼い頃から、美しい母・光子(吉田羊)のことが大好きだったタイジ(太賀)。しかし、家の中にいるときの光子はいつも情緒不安定で、タイジの行動にイラつき、容赦なく手を上げるのだった。

 そんななか、夫との離婚問題が浮上し、タイジの存在が不利になると考えた光子は、9歳のタイジを児童保護施設へ入れてしまう。1年後。良い条件で離婚した光子は、タイジとその姉・貴子を連れ、新しい家で暮らし始めるが、そこでもまた不安定な生活を送ることになる。

 17歳になったタイジは、ある日、光子から酷い言葉と暴力を受けたことをきっかけに、家を出ることを決意。ただ日々を生きていくだけのなか、タイジは幼い頃に唯一自分の味方をしてくれた工場の婆ちゃん(木野花)と再会、自分への強く優しい想いに心を動かされるのだった。努力を重ね、やがて一流企業の営業職に就いたタイジは、社会人劇団にも入り、金持ちで華やかだが毒舌家のキミツ(森崎ウィン)と出会う。そんな彼に戸惑いながらも、次第に打ち解けていくタイジは、会社の同僚・カナ(秋月三佳)やその恋人・大将(白石隼也)とも距離を縮めていくのであった。大人になって初めて人と心を通わせる幸せを感じたタイジは、友人たちの言葉から、自分が今も母を好きでいることに気付き、再び母と向き合うことを考え始める。

 そんなある日、長らく絶縁状態だった光子から連絡を受けたタイジは、光子の再婚相手の葬儀に出席するが、光子から冷たくあしらわれてしまう。だが自分から変わることを決めたタイジは、食事を作るため光子の家へ通い、もっと母のことを知ろうと叔母のもとを訪ねる。そこで、母の幼い頃の苦労を聞かされたタイジだったが、母が亡き夫の残した莫大な借金を背負っていることを知る。その借金を巡り、光子とタイジは口論。そしてまたも光子はタイジを拒絶するが……。

=====ここまで。

 コミックエッセイの映画化だそうな。もちろん、原作未読。

 

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 親子のゴタゴタ系は割と見てしまうので、これもついつい手を伸ばしてしまったけれど、いろいろ??なところがありすぎな上に、中盤で気持ち的に大コケしてしまって、もうあとはどーでもええわ、、、という感じだった。だから、別にわざわざ感想を書くまでもないかなぁ、という気もしたが、思うところあって書いておくことにしました。

 ちなみに、本作をお好きな方は以下お読みにならないでください。

 

◆この母親はマジで息子が嫌いなの。

 虐待という要素を除いても、この母親は、私からすれば異星人レベルに理解不能な思考回路である。

 例えば、離婚が成立して豪邸を手に入れたから、施設から帰ってきたタイジを待ち構えて一緒に連れて行く。大嫌いで産まなきゃ良かったとまで言っているタイジをだ。「アンタ連れてかないわけにいかないでしょ!!」とか言っているんだけど、なんで?? 施設にムリヤリ入れておいてそのセリフは何?? そして、包丁を突き付けて怪我させたりとか、、、意味不明。

 かと思うと、長らく音信不通だったタイジに、ある日突然電話してきて、「(再婚相手の)お通夜に出て。こっちの親戚誰もいなくてカッコ悪いから」などと言ってくる。毛嫌いしている息子にわざわざ電話してきて、自分にとっては短いながらも貴重な時間を共有できた最愛の男の喪の席に、その大嫌いな息子を座らせる、、、とか。

 他にもイロイロあるけど、、、多分、実際にこういう出来事があったんだろうけど、エピソードをただ切り貼りしただけでつなぎ目に気を配っていないので、なんかもう、支離滅裂なんだよね。人間は複雑な生き物だ、つったって、そういう問題じゃないでしょ、これは。

 一つだけ言えるのは、この母親はホントにタイジのことが嫌いだったんだな、ってこと。終盤で和解を臭わせるシーンがあるが、あれは母親が体力的に弱っていたから、もう息子を追っ払うのも面倒くさかっただけだと思う。あとは、せいぜい多少の罪悪感かな。

 それ以外のことは、全面的にこの母親の行動が謎です。

 

◆経験者の傷に塩を塗る無神経極まりない映画。

 それでもまあ、中盤過ぎくらいまではどうにか見ることが出来ていた。一気に萎えたのは、タイジに“おともだち”が言ったセリフだ。

 「気付いた人間から変われ。親に変わって欲しければ、まず自分が変われ」

 セリフ的には、もう少しソフトな言い回しだったけど、これはねぇ、虐待を受けた人にはある意味タブーに近い言葉です。これで良い方向に向かう人はいるかも知れないけれども、被害者に対して“加害者を受け容れろ”と言っているようなもんだからね。これは、私的には絶対にナシです。

 このセリフは、あくまで対等な人間関係において、話の通じる相手に対して有効なのであって、自分を虐待する親を対象にしたものとしては、サイアクです。

 親に虐待される子供は、十分、自責の念に苛まれているわけよ。自分が悪いから親を怒らせているんだ、、、ってね。もう何百回も思わされているのよ。その上でまだ、親との関係性において自分に何か責務があると思わされるのは、あまりにも酷な話。

 この映画を見た被虐待経験者が、ヘンに自分を追い詰めるような思考にならないことを願うばかり。もっと言えば、 「私が変わればあの親が変わってくれるかも」などという期待を持たせる非常に罪な映画である。親の虐待に苦しんでいる人がゴマンといる中で、こんなセリフをばらまくなんて、無責任だとさえ思うねぇ。

 本作を見て無邪気に「あなたが変われば親も反省するかもよ」などと、被虐待経験者にアドバイスなんぞすることは、もの凄く深刻なことをしてしまっているのだということだけは言っておきたい。

 こういう親は、“変わらない”と思っておいた方が良い。変わって欲しいと期待すればするほど、被虐待者の傷は深くなり、回復が遅れるだけだ。だから、「まずお前が変われ」などというセリフは無視すれば良い。

 レアな成功エピソードを大げさに三流感動映画に仕立てて、多くの傷ついた実体験者の傷口にさらに塩を塗るようなことをするな、と言いたい。あ、これは原作に対してのことではなく、映画に対してね。原作は読んでいないので知りません。

 ……というわけで、は1コです。ゼロでは出演者に対し、あまりに失礼だと思うので。  

 

 

 

 

 

見たことを後悔する数少ない作品となりました。 

 

 

 

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