映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

セールスマンの死(1951年)

2022-02-06 | 【せ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv4893/


 長くセールスマンとして働いてきたウィリー・ローマン(フレドリック・マーチ)は、歳をとって運転も覚束なくなってきた。そんなウィリーの身体を心配する妻リンダ(ミルドレッド・ダンノック)であったが、ローマン家では、まだ家や家財のローンが残っている。

 出張から戻ったウィリーをリンダが労っていたところ、彼らの2人の息子が帰ってくる。放浪の旅をしていたプータローの長男ビフ(ケヴィン・マッカーシー)と、女好き二男のハッピィ(キャメロン・ミッチェル)。この2人の息子たちは、ウィリーの期待に背き、不甲斐なさ全開である。ウィリーは2人が帰ってくるなり、ビフに罵声を浴びせ、家の中は険悪に、、、。

 父親の一方的な期待に反発し、不甲斐なさに自己嫌悪を抱きながらも現状から脱しきれない息子と、我を顧みず、息子たちの人生で自分の人生をリベンジしようとする父親の、哀しい親子の鬱物語。


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 4月に、本作の基となった舞台が、主演・段田安則氏で上演されるとのこと。少し前に風間杜夫でも上演されていたみたいだけど、段田さんは割と好きな役者さんなので見てみたいと思い、チケットも無事ゲットできたので、まずは映画から見てみることに。聞きしに勝る鬱映画で、これは気分が落ち込んでいるときには見ない方が良い映画です。


◆何で自分ばっかり、、、

 本作は、現在シーンに、過去の回想シーンが頻繁に挟まる。といって、時系列がグチャグチャというわけではないので、見ていて別に混乱するとか分かりにくいということはないのだが、ネットで本作についての感想をチラホラ見てみたら、ウィリーは認知症だと書いている人が複数いて驚いた。……確かに、身体は衰えたという設定だが、認知症ということではないと思うのだけど、、、。

 それはともかく。

 セールスマン=営業マン。営業ってなくてはならない職種なんだが、なかなかキャリア形成という側面は難しい職種だと思う。何年やっても専門職とは言えないというか。それは、50年代のアメリカでも同じだったようで、若い社長に、ウィリーが「歳でしんどい……」ってことで事務職へ異動を願い出たところ、にべもなく却下され、クビを言い渡されてしまう。

 長年セールスマンをやってきて、会社に貢献してきたという自負の強いウィリーにしてみれば、こんな扱われ方、歳の取り方は不本意に違いない。だから、2人の息子の人生で、自分の人生のままならさを回収したくなるのも、まぁ、、、、分からんではない。息子たちが立派になったのを見れば、自分の苦労も報われる、ということだろう。

 しかし、そうは問屋が卸さないのが人生でして、、、。

 ウィリーみたいな男性優位思想の男は多い、、、という感想もいくつか目にしたが、男性優位思想もあるけど、根本的には“自分と向き合えない人”であって、こういう人は男女問わずそこらへんにいっぱいいる。自分と向き合う勇気がないのだよね。だから、必然的に自信もない。けど、プライドだけはものすごく高い。自信がないから、自分の価値観を、自分より弱い者に強制して支配することで、自分の承認欲求を満たそうと必死になる。必死になればなるほど、自分が支配しているはずの人間に背かれ、遂には逆襲される。

 ウィリーが家族のために頑張ってセールスマンとして働いてきたことが彼の望む形で報われなかったのは、別に息子たちのせいではない。息子たちがどう生きるかを決めるのは息子たち自身なので、セールスマンとして頑張ってきた“のに”息子たちが不甲斐ない、というのは、一見まっとうな文言かと思うが、ウィリーがセールスマンとして頑張ってきたことと息子たちの生き方に因果関係はないのだから、“のに”という接続詞は正しくない。

 しかしまあ、、、実際は子育てはものすごく大変だろうから、正論で済むほど単純じゃない、、、ってのが親の理屈なんだろう。ちょっと前に某全国紙で、「親ガチャ」という言葉に関連して家族とは何かという特集が組まれており、評論家の東浩紀がインタビューで「よく『子は親を選べない』と言いますが、哲学的には『親は子を選べない』ことの方が重要です」と言っていた。「哲学的には」なんてエクスキューズして小難しく言えば免責されるとでも思っているのかも知らんが、失礼ながら東氏も人間としてウィリーと同根だと思う。東氏のことはよく知らんけど、彼のTwitterを時々見る範囲で、その物言いというか、思想は好きじゃない。前述の発言も驚きはしなかったけど。

 ウィリーの最大の問題は、自分“ばっかし”苦労したという意識に凝り固まっており、自分の言動が息子たちに辛い思いをさせて苦労させたということに全く気付いていないこと。ウィリーが苦労したのは、主に自分のせいであって、それなのに、その苦労の報いを息子たちから回収しようとするからモメるのだ。自分の問題は自力で解決してよ、ってことよ、子供から言わせてもらえば。


◆必ず後悔する人・ウィリー

 ウィリー自身も、息子たちも、あれもこれも上手くいかず八方塞がりとなり、ついに長男ビフに現実を突き付けられて反撃される。そこでようやくウィリーは、自分に非があったのか??となるのだが、彼の気の毒なところは、それで人生全てが否定されてしまった、、、と思ってしまうところ。

 で、ついにちょっとおかしくなっちゃって、夜中に庭で種まきを始めたりとか……。

 私の母親もそうだが、私に何かネガティブな指摘をされると、「自分のことを全否定された」と思い込んで激高するんだよね。別に全否定なんかしていないのに、全否定されたと思っちゃう。二進法的思考回路。何でも白か黒かでしかモノを考えられない。こういう人がいると、周囲が大変なんだよね、ホントに。

 途中で、ときどきベンという名の、ウィリーの兄とされる男が回想シーンで出てくるんだけど、ベンはリスクのある人生を選んで金持ちになった、という設定で、言ってみればベンはウィリーの理想の姿を体現している存在なのだ。

 でもさ。ウィリーみたいな人って、どんな人生でも“必ず後悔する人”だと思うなー。満たされないことばかりに目が向いてしまう人。物事を引き算でしか見られない人。私は常々、世の中には“必ず後悔する人”と“絶対後悔しない人”の2種類しかいないと感じているんだけど、ウィリーは前者だろう、間違いなく。そうやって、たら、れば、を妄想することで自分をかろうじて保っているのだから。

 他力本願というか、他罰的な思考って、苦しいと思うなぁ。学生時代の友人が、むか~し、何か思い通りにならないことがあったとき「人のせいにする方が楽だ」と言っていた。自分は悪くないと思えるからだそうだ。私の姉も大昔「親の言うとおりにしていれば、もし何かあっても親のせいにできるから楽じゃん」と、友人と似たようなことを言っていた(ちなみに、友人も姉も、私よりもゼンゼン優秀です)。でも、本当に“楽”だろうか。

 そして、友人・姉ともによく言うセリフが「あの時、〇〇だったら~」的なこと。しょっちゅう後悔するのって、楽じゃないんじゃない??

 まあ、こういうことを言うと、自己責任論か! とか言われちゃうかもだけど、自己責任論とは違うんですよね、、、。むしろ、他罰的な思考こそ、自己責任論と親和性が高いのだが、、、それを書くと長くなるのでここではやめときます。

 ウィリー役のフレドリック・マーチが鬼気迫る演技で、とにかく素晴らしかった。回想シーンに入るときの、ちょっと遠くを見る表情とか、実に切ない。最期も悲劇的。あれは私は事故だと思ったんだけど、自殺と解釈している人が多いみたい。

 果たして、4月の舞台で、段田さんはどんなウィリーを演じてくれるのか。楽しみ。


 

 

 

 

 

 

 

 

アーサー・ミラー(DDLの義父)の戯曲も読んでみようと思います。

 

 

 

 

 

 

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