窓を開けますか

毎日、楽しんでますか?
とりあえず『リフォーム・インテリア』(仕事です)
と『子育て』について発信します。

泣き寝入りしないで

2007-03-07 12:51:35 | フリーランス
友人のブログを読んで、直メールしようかと思ったのだが、
同じような立場の人も、たくさんいてるのでは・・
と、記事にするコトにした。

彼女のブログを紹介していいのかどうか、
わからないので、現段階ではTBは控える事にする。

会社からの理不尽な仕打ちに、
泣き寝入りした人も多いのではないだろうか。

私の場合、『私が会社を辞めた理由 =その5=
のシリーズが途中になっているのだが、
退職した会社から、独立した後、
2回、嫌がらせを受けた。

2回目の『怪文書』は、記事にしたが、
その時は、『とことん戦わない』方を選んだ。

相談した弁護士から、
「この文章で、何かを起こすのはむずかしい」
と、アドバイスされたからだ。

何らかの知恵が働いている文章で、
巧妙に、訴訟等が起こせないようになっている、と言われた。

つまり、この文章だけで、
「名誉毀損」や「不法行為」による「損害賠償」は、
求められないという事だった。

かなり傷つき、怒りも感じていたのだが、
落ち着いて考えると・・

私にダメージを与えようとしたのが、
失敗どころか、
逆に、会社のイメージを落としていると思った。

天に向かって、ツバを吐いた・・って感じ。

この件に関して私が出した結論は、『無視する』だった。


だが、1回目の件は、とことん戦った。

退職後、3ヶ月後に退職金の通知が来たのだが、
50%カットされていたのだ。

理由を問い合わせしたら、

『お客さんに会社の悪い噂を流した』
『社長の名誉を毀損した』という返答だった。

いわゆる逆恨みですか・・
(長くなるので、今回は割愛するが)
社長の私的な感情であり、不当なものだと考えた。

夫も激怒していたのだが、
二人で、この件については『とことん』戦うコトにした。

無料相談窓口に、教えてもらった、
『労働局総務部企画室』へ夫と出かけて行った。

この時、相談に載ってくれた男性は、
ベテランの刑事という感じだった・・

浅黒い肌に少しかすれた声、
夏の終わりの暑い日だったので、
カッターシャツの袖を、めくり上げていた。
ポケットには、マイルドセブンが入っていたのを、
何故だか、鮮明に覚えている。

私の話を全て聞いてから・・

「お金の問題では、ないでしょ?・・
長年、しかも第一線で会社に貢献してきた、
kirikaさんの、プライドですよね?」
と、言われた。

この言葉で、治まらない腹のムシの正体がわかった。
そう・・私の「プライド」だったのだ。


そこから、長い戦いが始まった・・・

その日の内に『労働基準監督署』に行った。

就業規則の退職金減額の規定が、明確になっているか確認し、
『根拠』がなければ、未払いの指導をする、
という事になった。

労働基準監督署に、就業規則の最新版の提出がなかった為、
後日、私が確認しに行く事になった。

会社に行く・・と考えるだけで、
吐き気を感じるくらいの嫌悪感があったが、
行かなければ、前に進めない。
夫の付き添いを断り、一人で行って来た。

退職金の支給を減額する場合の規定

(1) 懲戒免職
(2) 退職後、支給日までの間において、在職中の行為により、
   懲戒解雇に相当する事由が発見された者。
と、明記されていた。

労働基準監督署にて、申告の手続きをとった。

とりあえず、言った言わないになっても仕方がないので、
争点を、『在職中の行為にあたらないのでは、ないか』にした。

ところが、会社の返答は恐ろしいモノだった。

『退職金を支払うまでは、在職中とみなします』

『社長が、ある顧客からkirikaさんが、
会社や社長の悪口を言っていると、直接聞いたので、
他の顧客や取引先にもいっているのではないかと判断した』

以上の理由から、
『残額の支払いについては考えていない』だった。

その後の再三の、
労働基準監督署からの指導に対しても、
出張を理由にしたり、
弁護士・社労士と相談したいので、待って欲しい・・
と、答えをズルズル引き延ばした。

そして10月の終わりに、やっと、

『残額については、一切支払うつもりはない』という、
短い文書を提出してきた。

弁護士に相談の上、判例もあるので、
『自分の方が正しい』と確信した。

また、『悪い噂を流したという事で、現状被害はないが、
今後あれば、民事訴訟も考えている』
と、口頭にて主張したそうだ。

それ以外にも、会社の自慢や、
自分はTVに出た事があるなど、
ベラベラしゃべって、帰っていったらしい。

「行政の指導を拒否するって、よくある事なんですか?」
と、労働基準監督署の担当の人に尋ねたら、

「・・・ほとんど、そういう事はないです」との答えだった。

おもわず、「自分がルールだぁ!って勘違いしてますよね?」
と言ったら、苦笑していた。

さて、どうするか・・
ほとんどナイという『行政の指導』を拒否した場合、
次は、どうすればいいのかを確認した。

すると、処罰して欲しいと望めば、『労働基準法違反』で、
『告訴』する事も可能だと、教えてもらった。
すでに、11月になっていた。

そして、12月。
弁護士の無料相談に行き、
『あっせん』『民事訴訟』も含め、相談した。

で、私と夫が出した結論は、告訴。
年明けに手続きをした。

告訴の準備が、また大変だった。
検察庁に提出する為の、調書を作成する為に、
数回、労働基準監督署へ行った。

今回の件が、いかに不当かを表現するために、
在職中の実績、退職の経緯、その後の対応・・など、
かなり詳しい内容だった。

改めて、調書になり読み返してみると、
やはり、どうしても許せないという気持ちになった。

元々、『人』を大切にしない風土のある会社だったが、
社長には、
特別な権力があるのだ、と勘違いしている。

雇用者のプライドを踏みにじったら、どうなるか・・
とことん戦うつもりだった。

私の調書が仕上がり、
次はコレを元に、会社の調査が始まる事になった。

そして、2~3ヶ月後だっただろうか・・
会社から一枚の紙が、送られて来た。

そこには、
『残額の支払いと、法定遅延金の額』が書いてあった。
もちろん、一言の詫びの言葉もない。

告訴は困る・・と、
イヤイヤ、手続きをしたのだろう。

すでに、一年がたとうとしていた。

長かった・・・

告訴の取り下げは、しなかった。
だって、『ごめんなさい』って言ってないし、
『いいよ~』とは、言えないでしょう(笑)

年末ギリギリに、検察庁から『不起訴』の知らせが届いたが、
私と夫は、そこで止める事にした。

私が、ここまで戦えたのは、
夫と友人が支えてくれたからだと、感謝している。
そして、いい勉強になった、と思っている。

どう戦うか・・は、
人それぞれだと思うし、ケースにより異なるだろう。

私の場合、1回目は『とことん』、
2回目は『無視』だったが、
どちらも、泣き寝入りしたとは思っていない。

プライドや、家族など、
誰にでも譲れないコトがあると思う。

それがもし侵された時、私はまた戦うだろう。

私は友人に、泣き寝入りはしないで・・と伝えたい。

私が会社を辞めた理由 =その5=

2007-02-10 13:32:16 | フリーランス
妊娠が発覚してからの話。

社長は、フリーズしてしまったが、
産休&育休までに、やっておかなくてはならないコトが山積み。

まず、部門長の替わりだが、
社長室のコーディネーターの女性が引継ぐ事になった。
彼女は、モデルハウスやインテリアの講師等ベテランだったが、
リフォームの経験は、ほとんどなかった。
マネージメント以外にリフォームの実務も引継ぐ必要があった。

他部門で過去、妊娠して働いてる人が何人かいてたが、
営業の仕事を降りたり、軽減したりで、
事務の仕事をメインで働く事が多かった。

私は、特に支障はなく同じように実務をこなした。
ただ、何があるかわからないので(初めての経験だし・・)
物件は、必ずジョイントにした。
その分、数字は調整したと思う。

仕事中は自分が妊婦だというコトを、すっかり忘れていた。
帰宅後、ぐったりソファーに寝転んだりしていたが、
特につわりも、ひどくなかったと思う。

安定期に入ってすぐに、マタニティビクスのクラスにも入り、
通勤の自転車は、徒歩に切り換えたので、
毎日往復40分位、歩いていた。
体重の増加も問題なく、定期検査でもひっかからなかった。

そして、まわりに気を使わせないように、
いわゆるジャンパースカート等のマタニティ服は、着なかった。
パンツに、オーバーブラウスが多かったが、
見た目も、妊婦っぽくはなかったと思う。

実際、お客さんにも、あえて伝えてなかったのだが、
完工後に話すと、驚いたりしていた。

妊婦という事で、仕事に支障をきたしてはいけないと、
無理をしていたところも、多かったかもしれない。

部下のクレーム処理で、現地で長時間立ちっぱなしだった後は、
さすがに、足が浮腫んだ。
あと、ショールームを案内していた時に、ひどい腹痛が起き、
お客さんには、見えない所で、
しばらく座り込んだりした事もあったっけ・・

お腹の中のキリカには、ホント申し訳なかったと思う。
さすがに、バスタブの中で大きなお腹を見ると思い出し(笑)
毎日、お腹をさすりながら、
何故だか『雨ふりクマの子』の歌を歌っていた。

ピカピカに健康な妊婦だったのだが、
一度、前置胎盤が原因で、出血した事があった。
主治医に「一週間、自宅安静」を告げられ、
進行中の物件、他、仕事の事が頭を過り、
思わず、
「どうしても、休まなければいけませんか?」と聞いてしまった。

すると、私の目をじっと見つめ、
「そうやって、無理をして流産した人を、私は何人も見てきました」
と、言われた。

これには、さすがにショックを受け、
仕事は何とか段取りを付けて、おとなしく安静にしていた。

今回の一連の記事を書くにあたって、
昔のメモを探してみたのだが、すっかり忘れてたひどい話が出て来た。

話が前後するが、妊娠がわかって数ヶ月後の、
上期の終わりに、管理部長(経理部長も兼ねている女性)から、

「成果も上がっていないし、
妊娠で思うように仕事ができない上で、
今もらってるサラリーについて、どう考えるか」と聞かれたのだ。

ま、自分で、よう聞かない社長の差し金なのか、
一旦出すつもりだった( 昨年の私の実績に否応無しに )サラリーが、
惜しくなったのだろう。
なんて、せこい話なんだろう。

それに対して、
「去年の成果が今年の年俸。」
「今年成果が出せなければ、来年下げればいい」
「上期の成果で下期見直すというのは、今まで聞いた事がない」
(過去全て、年間だった)
「他、年俸の人も半期で見直しているのか?具体的な評価基準は?」
等、質問も交えて話したが、返答もなく、
その後、何の説明も話し合いもなく、いきなり給与を減額された。

しかし、その時点で、私には戦う余力(気力?)は、なかった。

けれども、私は育休後復職するつもりでいてた。
それは、やはり指名してくれる顧客がいてたからだと思う。

ぎりぎりまで働いたので、産休に入るのは12月になった。
毎年、年末年始のご挨拶にカレンダーを用意していたので、
産休に入る事を手紙に書き、時間が許す限り訪問した。
みんな祝福して下さり、とてもうれしかった。

やっと、産休に入った時、一番ほっとしたのは夫かもしれない (笑)
ただ、私も疲れがどっと出た。
かなり、気が張っていたのだろう。

ベビーグッズを買いに行ったり、友達に会ったり、
残りのマタニティライフを楽しんだ。

産休&育休後に、辞めてしまった人が多く、
週一のパートに来てる人が一人だけいてたが、
フルタイムの復帰は、前例がなかった。
会社も、私の復帰には半信半疑だっただろう。

つづく・・・・

私が会社を辞めた理由 =その4=

2007-02-09 16:07:22 | フリーランス
ちょっと、先回の補足&寄り道(?)
目標数字を達成する為に、どうしたのか・・?の話。

いつかリフォームをしたいと考えている人には、
参考になるかもしれないが、
リフォーム会社にも、それぞれのカラーがあり、
どんなリフォームがしたいかによって、選ぶ会社が違ってくる。

例えば、イチゴを買いに行く時、
安売りのスーパー、こだわりの専門店、デパートe.t.c..
どこで買うのかによって、値段も質も違うのと同じ。

私は、客層を3つに分類していた。

まず、必要最低限のコトができれば、少しでも安い方がいい!という、
値段にこだわる『値段客』
こんなに安い~!!をアピールしている、
リフォーム屋さんが適しているかもしれない。
他社の動向も知る為に、チラシ等を集めたりしていたが、
これって、スーパーのチラシ?と見間違えそうなのもあった。

そして、高くてもいいからプランにこだわりたい『プラン客』
ハウスメーカーのリフォーム会社(女性設計士が売りだったりする)
設計事務所、有名リフォーム会社e.t.c...

最後に、上記の中間層。
予算はあるが、プランにもこだわりたい・・というお客さん。
実際は、どちらか寄りにはなると思うが、
最も多い客層だろう。

私達がターゲットとして考えていたのは、
『中間層のプラン客』だった。

薄利多売で『値段客』をターゲットにするつもりは毛頭ないし、
そんな人数、システムでもなかった。

そう、その時は、前部門長の後に、
もう一人のスタッフも辞めてしまい、
工務以外は、3人のコーディネーター&営業体制だったのだ。

余談になるが・・・
彼女が辞めた時、私はかなりショックを受けた。
過去何人もの退職者が出たが( やはりリフォームの仕事はハード?)
初めて、辞めないで・・と説得したりした。

もし私の仕事が世襲制なら、跡継ぎにしたいという位、
入れ込んでいたのだ(勝手に・・・)
しかし、決心は固く、
彼女は、リフォーム業界から足を洗ってしまった(笑)
そして、一年後に知ったのだが・・
もう一人の女性スタッフも辞めたいと考えていたのだが、
あまりにも私がショックを受けていたので、
言い出せなくて一年間続けてくれたそうだ(なんと・・!)

もちろん、補充も試みたが、
ズブの素人を育てる余裕なんてないし、
仕事ができる経験者なんて、来てくれる訳なかった。

さて、3人でどうするか・・・
私は『粗利』に注力するコトにした。
と言っても、もちろんボッタクル訳ではない(笑)

ただ、100万円の利益が必要だとして、
粗利率が20%だったら、必要な売上高は500万円だが、
10%だったら、1,000万円稼がなくてはならない。
なんせ3人ですし、リフォームは手間ヒマかかりますし・・(汗)

業界裏話になるが、
リフォームの場合、受注時と完工時では粗利が異なるのだ。
販売の場合は、余程の事がない限り同じ数字だが、
リフォームは、違う。

何故か?
工事中に予定外のロスコストが発生するのだ。

開けてびっくり、何があるかわからない・・・
そういう時の為の費用は多少、予算に組んでおくし、
事前に想定できる事は、お客さんにも伝えておいて、
発生時、追加契約を結ぶ事もある。

しかし、ほとんどは、担当者のミスが原因かもしれない。
見積漏れ、発注ミス、プランの不備、e.t.c...
その度に、利益は目減りしていく。
ましてや、クレームで完工時に値引きなんてあったら、
とんでもない利益しか残らない。

逆に、何かあった時の為の予算を使わなければ、
完工の粗利は、受注時より上がるのだ。

=余談=
長年、リフォーム部門が赤字だったのは、
ココに抜本的な対策を、打たなかったからだと思う。
私が関わるようになってから、
完工粗利の数字が明確になったのだが、
結局この事が原因で、
前部門長が不祥事を起こすという哀しい結果にもなった。

仕事ができないのは、わかっていたが、
いい人だったので、信頼していたし好きだった。
その分、『はき違えてるプライド』『部下の置き去り』
に、激しい怒りを感じた。

さてさて、もう一つの受注時の粗利。
適正価格で契約してもらう為には、
お客さんに納得してもらえる内容のリフォームが、
提示できなくてはならない。

リフォームは、
パーツでは確認できるが、全体像を事前に体感する事ができない。

規模にもよるが、かなり高額な契約金額になる。
しかも、毎日の生活にかかわる大切な場所。
おまけに、簡単にはやり直せない。

これだけの条件が揃えば、お客さんも慎重に考える。
ご紹介以外は、相見積は当たり前で、
多い時には、3~5社競合先があった。

その競合に勝つ為には、
いかにお客さんに、満足してもらうかだと思う。
充分なコンサルティングを重ね、
間取り、収納、設備計画e.t.c..をプランし、
予算にも合うよう、工夫する。

かなり細かい打ち合わせをするので、
現場も複雑になり、手間ヒマかかるのだが(笑)、
完工後の満足度は確実に高くなる。

そしてそれが、リピートやご紹介に繋がるという、
うれしい結果にもなった。

まとめると、
お客さんに満足頂ける内容のリフォームで、
他社との差別化を図るコトにより、競合に勝つ。
そして、適正な受注時粗利で契約。

次に、ミスをなくしてロスコストを減らし、
完工時粗利を上げる。

そう、『技術とまごころ』を込めた仕事を心がけ、
質の高いリフォームを目指した。

結果、売上は達成しなかったが、粗利の目標は達成した。

つづく・・・

私が会社を辞めた理由 =その3=

2007-02-07 16:47:02 | フリーランス
私の入社時の条件は、
『管理職は、やりたくない』だった。

前の会社ではグループ長だったのだが、
管理職として使う『労力&時間』を、本来の仕事だけに使いたかった。

すでにベテラン扱いだったのだが、所詮『井の中の蛙』
リフォームの技術に、磨きをかけたかった。
そして、私はこれっぽっちも、出世したいと思わなかったのだ。

けれども、しばらくしてから、流れでNO.2にはなってしまった(泣)

例の毎年の年収の話し合いでのコト。
前年度の実績数字を元に、希望の年収を交渉したが、

『部門として数字を上げていない』
『下が育っていない』と、ケンモホロロ。

そう、いくら個人で数字を上げても、部門の赤字は解消できなかった。
(しかし、話が違うよなぁ~、会社ってそんなもん??)

=余談=
私は、お金が欲しい~!というより、
『サラリー=評価』と考えていたので、
会社に正しく評価してほしかったのだと思う。
ちなみに、入社時20%ダウンした年収を元に戻すのに、
3年かかった・・・

さて会社の売上は、
先代からの家具インテリアショップがメインで、
他部門は、苦しい状況だった。
『儲かってない部門』と、言われる度にケッタクソ悪く
( しかも、リフォームの『リ』の字も知らないヤツらに )
結局、マネージメントに参画してしまったのだ。

そして事件は、10年目に起こった。
部門長の不祥事が発覚。
しかし、替わりがいないと・・処分も何となく保留状態。

私はさすがにNO.1には、なるつもりはなかったので、
どうするか、かなり迷った。
自分が今抜けたら、ガタガタになるのは確実。
結局、一緒に頑張って来た部下達を、見捨てる事はできなかった。

部門長になる事を社長に告げると、心底ほっとしていた。
私の入社時の条件は、さすがに覚えていたみたいだ。
その後、前部門長は解雇となった。

それから、
『リフォーム部門を黒字にして、みんなで日の目を見よう!』
という気持ちに、拍車がかかる。

部門ごとに会計をし、
数字を明らかにするシステムだったのだが、
幸い『数字』には強かったので、
データーを睨みながら、シュミレーションを重ねたり、
目標を達成する為の、数字の組み立てを見直したり、と奮闘。

しかし、この『計算式』で、どうすれば儲けられるねん~~!!
って感じ・・だった。

売上から仕入れを引いて残る、粗利。
その利益から引かれる数字(お金)が、あるわあるわ・・・

人件費、交通費、福利厚生費、光熱費e.t.c...(これは当たり前)
あと、各部門でシェアするのだが、
本社費(事務や社長、専務など稼がない人の人件費等)
家賃(広いショップだったので、べらぼうに高い)
燃料費、通信費、消耗品費、e.t.c..
各部門でのシェアの仕方も、正しいのか?という疑問があったが、
『ロイヤリティ費』だったっけ?
会社の名前を使って仕事をしている、費用まで引かれた。(しかも大金!)
これには、絶句・・・

小さな事務所が一つあれば、
すぐに黒字にしてみせるのに、と思ってたっけ・・・
(あ、今やってるし・・・)

とにかく、利益を出す為に、一丸となって頑張った。
それは、自分達のプライドの為だった気がする。

その頃の私は、
マネージメント(部門長)、
引き合いを取る為の開発営業(企画)のリーダー。
そして、リフォームの仕事では一番ノルマが高かった(稼ぎ頭)
夫曰く、
「監督兼コーチで、四番バッターのエースピッチャーやな」だった(笑)

今から考えると、よく体を壊さなかったなぁと思う。
ま、相変わらずコワイモノシラズの私は、
部門長になってからは、増々社長に本音をぶつけ、
(彼は前の所長と違い、そんな私を楽しめるタイプとは正反対だったが)
戦闘態勢全開 (ぼっ!)

会社なので、実績(数字)を上げなければ、
認められないのはわかる。
販売業とは異なるリフォームの大変さが、
どうしても、わかってもらえないジレンマ。

例え儲からなくても、
ステイタスとして、リフォーム部門は続けたかったのだろう。
ほとんど、私にお任せの放し飼い状態だったのだが(笑)
リフォームのコトを、もっと理解してくれ~~!と、
ストレスはピークだった。
やっぱり、管理職は大変~~(実感)

そして、結果が出せた。
みんなのプライドをかけた戦いは、過去最高の実績となり、
目標も達成できた。
この時の打ち上げのビールのうまかったコト~~!

今度ばかりは、年収も私の希望に近い形( 値切られた )で交渉成立。
おまけに、会社の経営に参画しないかという話まで来た。
(会社に対して魅力を感じてなかったし、手一杯なので断ったが)

そんな時、なんと妊娠しました。
もう、諦めていたので、驚いたのなんの。
うれしかったなぁ~~~。

社長に報告したら、フリーズしてた。
部門の子は、みんな喜んでくれたが、
他部門の子が、思わず「リフォーム部門はどうなるんですか?」

そうそう、、ソレよね・・

つづく・・・

私が会社を辞めた理由 =その2=

2007-02-06 15:59:47 | フリーランス
二つ目の会社の話。
結局、この会社で12年近く働いたが、
辞めた後に独立したので、最後の会社となった。

次の会社も決めずに、退職を決意したのだが、
辞める事を聞いた取引先から、声がかかった。
オーダー家具を作ってもらっていた会社なのだが、
リフォームの部門もあるらしい。

ま、一度話を聞いてみよう、、と軽い気持ちで行ったのだが、
社長の熱心な口説きに、入社する事になってしまった(笑)

元々、家具インテリアを販売していたお店で、
社長が二代目に替わってから、
リフォームや、コントラクト部門も立ち上げ事業を拡大。

素人の集団で始めたリフォームは、
それはそれは、恐ろしかったそうだ。(もちろん後で知ったのだが・・)
仕事を取れば取るほど、赤字になる・・(ひぇ~)
その上、クレームの嵐で大変なコトになったみたいだ。

立ち上げてから2~3年は、たってただろうか・・
現場が監理できる、工務の経験者を採用し、
少しづつ、経験も積んでマシにはなってきたのだろうが、
リフォームの実績のあるコーディネーターが、
ノドから手が出るほど、欲しかったと思う。

その口車に、マンマと乗ってしまった私もワタシだが、
『リフォーム』や、『コーディネーター』に対して、
何て、熱~い思いを持っているのだろう!と共感してしまった(苦笑)

条件が特に良かったわけでもなく、年収は、ダウン。
ただ、毎年各自の実績に対して、話し合って見直すとの事だった。

すぐにでも、来て欲しいという勢いで、
結局、辞める会社の有給も消化せず、
退職の日も現場で遅くなったりと、バタバタだった。

けれども、リフォームの仕事が、またできるのがうれしかった。
(この時、確か29才)
今回は0からのスタートではないが、
課題は山積み・・・(そういう星の元・・なのか?)

実務をこなしながら、
まずポートフォリオを作成し、
システムの見直し、新人の育成、開発営業、e.t.c...忙しかった。

最初は、前の会社と同じように、
営業とジョイントして仕事をしていたのだが、
それでは、思うように全体の数字が伸びないのと、
そのうち、全部自分でできるよになったので、
男性の営業マンと同じ仕事をこなした。

* 現調 
訪問し、コンサルティングと採寸&撮影。

* プラン・見積・プレゼン
物件により、2~3プラン。
最初の見積は概算で出し、プランが固まってから正式に見積。
何社も相見積がある場合は、仮契約を結んでから進む。

* 契約
図面、見積等で詳細確認の上、契約。
工期、支払い条件等も確認する。

* 工事準備
クロスやフローリング等、詳細の仕様決め。
施工図面・工程表の作成。
職人の手配・建材や設備等の発注。

* 現場確認
工務がいてるので、毎日は行かないが、
墨出し、他ポイントはチェック。
現場はナマモノなので、完工まで気が抜けない。

* 引渡し
完工の検査をして、残・手直し工事があれば速やかに手配。

* 顧客のフォロー
完工後も、長いお付き合い。
メンテナンスに対応できるよう、資料は全て保管。
ご紹介やリピートが頂けた時は、うれしい。

ざっと、こんな感じ・・

書き出すと大変そうだが、
実際、一人でする方が物件を全て把握でき、やりやすかった。
また、お客さんにとっても、担当が一人の方が親切だと思う。

入社して、二年目位で結婚した。
夫は、『妻の仕事に理解がある』うんぬんを通り越したレベルで、
私が成功すれば喜び、応援してくれた。
そう、結婚で仕事のペースは落ちなかった・・どころか、
増々、忙しくなった。

何だか長~くなりそうなので、数回に分けるコトにする。

つづく・・・

私が会社を辞めた理由 =その1=

2007-02-02 16:37:54 | フリーランス
まず、一つ目の会社を辞めた理由。

最初は、某ハウスメーカーのリフォーム会社に、
コーディネーター「一期生」として入社。
かれこれ、20年位前の話になる。

「コーディネーターって何でんねん?」
という営業マン相手に、実績も経験もなかった私は、
『絶対、必要な仕事だ~!』という情熱だけで、
熱く、突っ走った。

同期は二人いたが、
一人(経験者)は、やってられないとすぐに辞めてしまい、
もう一人は、結婚退職した。
私は、諦めなかった。

まだ、仕事も充分できないくせに、
営業マン達の、
『提供する側が最優先』のやり方に、がまんできなかった。

調べもしないで、「できません」と即答したり、
キッチンは、カタログを渡すだけ、
収納計画なんて、自分で考えてね・・って感じで、
コンサルティングの、「コ」の字もない。

それは、ノルマをこなすのが精一杯で、
面倒くさい事は、極力やりたくないというのと、
実際、知識もなく(私もなかったが・・)
得ようとも、していなかったのだと思う。

そのうち何とか実績もでき、営業会議でプレゼンを重ねた。

『コーディネーターとジョイントすると、
こんなにメリットがある!!』と、アピール。

コンサルティング、プラン、プレゼン、
契約後の仕様決めe.t.c..
面倒くさい事は、すべてやる→ 効率的

お客さんのやりたいコトを形にする訳だから、
契約率も高く、単価も上がった→ ノルマの達成

営業とのジョイントで、仕事をしていたので、
まず、彼らから声が掛からないと、始まらない。

ジョイントするメリットがないと、連れてかないでしょ。
一回か二回くらいは、その頃まだ若かったし(笑)
連れて行ってもらえたが、続かないと意味がない。

徐々に営業からの需要が高まり、展開する事ができた。

私は、本社と同じビルにある事業所に転勤になり、
そこでも、実績を重ね「必要性」をアピールしていった。

今から考えれば、稚拙なプラン(その頃のお客さん、ごめんなさい)
だったかもしれないが、
なんせ、ホラ、誰もやってなかった事だし(笑)

お客さんに喜んでもらった経験が、自信となり、
使命感と合わせて、コワイモノ知らずの勢いだった。

そして、各事業所共、
コーディネーターの採用が進み、4事業所で25名位までに増えた。

アシスタントは別として、みんな転職組(&年上)
今でも仲良くしてる人が、2人いてるが、
いや~~、個性的な人が多かったねぇ。
気ぃも強いが、頑張り屋で、
野心と向上心に、あふれていたように思う。

私も二十代のウチに、
ベースになる資格は、取ろうと考えていたが、
忙しい中、ほとんどの人が資格にもチャレンジしていた。

仕事は、ホント、ハードだった。
夜の訪問も多かったのだが、事業所に戻るのが夜中になったり、
契約のアポがあれば、熱が出てても行ってたなぁ。
グループ長だったので、中間管理職として戦うコトも多かった。

見積、契約、現場の段取りと監理は、営業がするのだが、
それ以外は、すべてやっていた。

営業マンとのジョイントの中で、課題も多かったが、
仲間ができたのが、うれしかった。

コーディネーター達で、
改装事例や情報を掲載した、販促ツールとしての雑誌を作ったり、
新入社員のインテリア研修を企画運営したり、
社内の全国大会では、賞をもらったりと、
充実した毎日だった。

ところが・・・
五年目の春に、大どんでん返しが起こった。

『コーディネーターグループの解散』

本社のトップが替わり、
「そんな稼げる集団がいるのなら、営業にしたらいい」
というコトになったのだ。

私が所属していた事業所の所長は、反対してくれたのだが、
「力が及ばなかった・・」と、悲壮な顔で謝ってくれた。

けれど私はもう、気持ちが元に戻らなかった。

ツルの一声で、今まで積み上げて来たモノが、
ダルマ落としのように、崩れていく。
そんな会社のシステムに、嫌気がさした。

営業とジョイントしてたからこそ、
ソフトの提案に注力でき、
お客さんに満足してもらえたのだと思う。
会社はCSを連呼していたが、建前と本音は、大違いだ。

何より、今までみんなで力を合わせ、0から作り上げて来た、
「コーディネーター」が消えてしまうのが、哀しかった。

次の会社を探す前に、辞める事を決意した私は、
すぐに、所長に話をした。

所長は、本当に私の事を、かわいがってくれた。
よく、飲みにも連れて行ってくれたのだが、
コワイモノ知らずの私が、
常に本音でしゃべるのを、おもしろがってくれた。

ある時、
「kirikaさんが、男やったらよかったなぁ。
どんどん、上にあがっていけるのにな・・」と言われ、

「男や、女や言うてはるようでは、ダメです」
と、誉められてるくせに、たしなめたりしてた(笑)

所長は、本社には『解散』した事にして、
今まで通りの形で、仕事をしたらいい、と提案してくれた。
営業マン達も、異存はないし協力してくれるという。

ありがたい話だが、性格上できない(苦笑)

所長を心から信頼していた私は、こんな質問をした。
「所長は、本当に私が残った方が、いいと思いますか?」

すると、しばらく沈黙した後、
「辞めた方がいいと思う。」と、言ってくれた。

うれしかった。
この言葉を、私は忘れられない。

営業会議で、私の退職の報告があった後、
オドロイタ営業マンに囲まれ、質問攻め。
「次は、どこに行くんですか?」
「もう、決めたんですか?」と、口々に言われたので、

「・・・誰か一人くらい、結婚ですか?って聞いてよ」
と苦笑してしまった。

つづく・・

あべこべ

2007-01-12 13:19:09 | フリーランス
言い訳になるが、去年は本当に忙しく、
顧客に連絡ができなかった。

春には、年内工事の予定が一杯になり、
うれしい悲鳴を上げた。
小さな工事は、隙間に入れていったが(笑)

連絡を取って、何か依頼を受けても、
すぐには、対応できそうになかったのも、
理由の一つだった。

年賀状は出せたので、
元気に仕事も続けているコトは、お伝えできたと思うが、、

特に会いたい人達がいてた。

顧客に70才以上の方も多いのだが、一人暮らしの女性が二人いてる。
同じマンションにお住まいで、
ご紹介頂き、リフォームをした。

Sさんは、ご主人が亡くなられ、お子さんはいない。
いつもおしゃれで、明るく、おしゃべりが絶品~!

飽きさせないし、聞き上手で、おまけにユーモアがあるのだ。
タダモノではないと、睨んでいたが(笑)
なんと、元祖?新地の売れっ子ホステスさんだった。

かれこれ、50年くらい前、、?
本にしたいくらいの、波瀾万丈の人生で、
つい、聞き入ってしまう。

Tさんは、Sさんのご紹介で知り合ったのだが、
最初は、ちょっとこわい感じだった、、(笑)
が、距離が縮まったあとは、こちらも毎回おしゃべりを楽しんだ。

子供が大好きで、保育士になりたかったそうなのだが、
毎回、キリカにおみやげを用意してくれた。
フローリング工事から始まり、
キッチン、ウォークインクロゼットと、
三回もリフォームして下さった。

いつだったか、三人でおしゃべりしてる時、
Sさんが、
「Kirikaが電話してくれても、誰も出えへんかったら、
うちら、白骨死体になってるかもしれへんなぁ」
と、ケラケラ笑いながら言った。

ひぇ~~~~~!時々、確認しなくては、、、(笑)
と、思っていたのだ。

年始のご挨拶も兼ねて、会いに行くことにした。
ハンズで、てぬぐいを購入。
華やかな柄がたくさんあり、
一人づつ顔を思い浮かべながら選ぶのも、楽しかった。

このマンションには、
ご紹介数珠繋ぎで、顧客が7件住んでいる。
すべて65才以上の方。

Hさんは、行く度に晩のおかずや、野菜を持たせてくれた。
Fさんは、おしゃべりが止まらず、よく奥さんに叱られていたなぁ。
Nさんは、契約の日をすっかり忘れて、
病院へ行ってしまってたっけ、、、、(笑)
奥さんが、私が自転車で転んだのを聞いて、
わざわざ会社まで、湿布を持って来てくださったのも、忘れられない。

思い出が、とても書ききれないが、
みんな元気にしてはるやろか、、、、

とりあえず、SさんとTさんに電話した。

Sさんとは、ランチを、
Tさんは、あいにく外出予定だったが、5時なら大丈夫と、
会えるコトになった。

二人から、
「いや~、ほんま久しぶりやね。
どうしてたん?、、、心配しててんで。
他の人に聞いても、連絡ないって言うし、、、
元気にしてたん?」
と、言われた。

あべこべやん、、、

屋台のリフォーム屋さん

2006-05-02 13:03:21 | フリーランス
独立して、今月で丸二年が過ぎた。
確定申告は、Kくん(夫の友人の税理士)がやってくれてるのだが、
今回、私の仕事の形態を、
会社にしないか?という話が出たそうだ。

五月から会社法(だったっけ?)が変わり、
有限会社がなくなるそうだ。
その前に会社にした方が、手続き等も簡単なのだろう。

会社にするメリットとして、
信用ができるので、会社相手でも仕事がスムーズ。
借り入れもしやすく、事業が拡大できる。
経費で使える金額が増える。e.t.c...

せっかくアドバイスしてくれた、Kくんには悪いが、
私には全くソノ気がない。

夫とその話をしている時、
チエーン展開したとたん、
味が落ちるラーメン屋さんの例を出したら、、、

夫も頷きながら、某有名ラーメンチェーン店の話を始めた。
京都出身なので、屋台の時から知っていたそうだ。
おもしろい味!と、口コミで有名になり、
やがて屋台では捌ききれなくなり、店を出した。
二号店くらいでやめておけばよかったものを、
その後大々的に、チェーン展開した。

ウチの近所にも店があるのだが、
一度食べたら、二度と食べたいとは思わない(笑)

そう、私は自分の仕事の『質』を落としたくない。

長期のスタンスで考えれば、
そろそろ、現場を離れて仕事ができる形態に、
変えていかなくては、ならないのかもしれないが、、、
なんせ、現場が好きだし(笑)

今から誰かを育てて、自分のレベルまでにするなんて、
考えただけで、軽くホワイトアウトしてしまう。
それに、もう人材育成は充分です、、って感じ。
雇用契約を結ぶ事によって、新たな責任を負うのもやりたくない。

この、やりたくないコトを無理にしなくていいのは、
独立した大きなメリットだと思う。

だから、私は今まで通り、
一軒一軒のお客さんと、コミュニケーションとりながら、
手作りリフォームを提供していきたい。

そんな、屋台形式が気に入っている。

夫が笑いながら、
「行列のできるリフォーム屋台やな。」と言った。

そう、ありがたいコトに年内の仕事の予約は、ほぼ目一杯。
ちょとしたリフォームなら、大丈夫だが、
大掛かりなリフォームは、来年まで無理だと思う。

きめ細かく対応したいので、現場のピークを重ねたくない。
もし、待って頂くケースが出たら申し訳ないが、
やはり、自分が納得のいく仕事を提供したいと思う。

自分が譲れないコトを通すために、
戦わなくていいのが、会社員時代とは違う。

もちろん、不安定などデメリットもあるが、
二年目を迎え、独立してよかったとつくづく思う。

怪文書・その後

2005-09-29 16:28:39 | フリーランス
先輩のHさんの紹介で、弁護士のT先生にお会いした。
怪文書』ついての結論は、
「この文章で、何か起こすのはむずかしい」だった。

専門家から見ると、
何らかの知恵が働いている文章で、
巧妙に、訴訟等が起こせないようになっているそうだ。
つまり、この文章だけで、「名誉毀損」や
「不法行為」による「損害賠償」は、求められないという事だ。

かなり傷つき、怒りも感じていたので、
何らかの「形」で、落とし前をつけたいと、考えていた。
この結論は、ショックだった。

「品のない文章やから、見る人が見たらわかるんちゃうかな」
「kirikaさんにダメージを与えようとしたのかも知れへんけど、失敗してるでしょ」
と、T先生が言われた。

確かに、そうかもしれない。
方向性が決まるまでと、顧客のフォローは保留にしてたのだが、
先日、偶然にお会いした顧客がおっしゃった。

「あんなハガキを出すなんて、もう会社としてやばいんちゃう?
kirikaさんに、脅威を感じてるって事やろ、、」

T先生は、「変に関わらない方が、いいと思う」とも言われ、
「そんな、レベルの低い人のところまで、自分も下がっていって戦わなくてもいいんちゃう?」
「無駄な訴訟に、時間とお金をかけるより、顧客に力を注いだ方がいいよ」
など、アドバイスして下さった。

Hさんが、T先生をご紹介下さった時の、、、

『大事な事は、「泣き寝入り」でも「しぶしぶ」でもなく、
「よっしゃ!これで納得したろやないか!」
と、kirikaさんが、感じれるようになる事だと思います』

というメールを思い出した。

自分の気持ちと折り合いをつけるのには、もう少し時間が必要だと思う。
もう一度、みんながくれた、たくさんのメッセージを読み返しながら、
気持ちを整理し、納得のいく答えを見つけたい。

怪文書

2005-08-26 16:21:14 | フリーランス
昨年5月に退職した会社が、顧客に「怪文書」の様なハガキを出した。

まるで、私が勝手に顧客リストを持ち出し、
その件で、顧客や会社に、迷惑をかけているようにとれる内容だ。

どこまで、嫌がらせをすれば、気がすむのだろう。

『退職を思いとどまるように、説得されたが、断って退職した』
『退職後の委託契約について、社長の思うようにいかなかった』

以上、二つの理由だと思うのだが、
退職金の支給額は、50%カットされた。

退職を決めた時、会社には何の未練もなかったが、
顧客の事が、心残りだった。
長いお付き合いだし、
育休後不安な気持ちで復帰した時も、待ってて下さったように、
リピートや紹介を頂き、大変ありがたく、感謝した。

『顧客から、リピートや紹介の指名があったら、委託契約をし、物件対応をする』

という、委託契約の話になったが、

条件は、

「顧客や取引先に、会社を退職した事は、話さない」
「引き合いがきても、他のスタッフで対応しきれない物件のみ、依頼する」

という、内容だった。

「いつ電話しても、私がいないのでは、顧客に迷惑がかかる」
「指名の仕事を、私が受けない理由は、どうするの?」

納得いく返答などなく、とりあえずその形で、進んだ。

黙って、顧客リストを持ち出す事は、私にはできなかった。

結局、そんな不自然な形では、お互い仕事がやりにくく、
マネージメントの先生が間にはいってくださり、
「円満退職」「独立開業」を提案してくれた。

なかなか、会社から返事が来ない中、また、リピートの話が来て、
しぶしぶ、了承という形になった。

『独立開業』『退職の件を伝える』『リストをもらってDMを出す』

など、その時、口頭だが了解をもらった。

そして、『担当を替えて、会社と契約するか』『私と契約するか』
お客さんに選んでもらう事になった。

たぶん社長は、『お客さんは「会社」を選び、私に仕事は流れない』
と考えていたのだろう。
私の今までの実績は、『会社の看板』があったからだと、、
実際、違う結果となり、感情を害したとのだと思う。

それにしても、ひどい内容のハガキだ。
教えて下さった、顧客の方も『気分が悪い』と憤慨されていた。

どういう神経でこんな事ができるのか、私には理解できない。

かなり、傷つき、心が弱ってしまった、、、、
しかし、このまま、泣き寝入りはしないつもりだ。

どう対処するか、思案している。