氣楽亭 日乗

大阪生まれで奈良県広陵町の長閑で氣楽な田舎暮らしの氣功師が氣ままに綴る懐かしい昭和の年代記です。

オート三輪

2005-12-15 10:51:13 | 懐かしい思い出
昭和20年代後半から30年代初めに「オート三輪」(バタコ、バタバタ)が街を駆けていました。
初期の「オート三輪」は前がオートバイで後ろに荷台を付けた簡易な乗り物です。

雨天や暑さ寒さに弱い為に風防が付きやがて幌の天井が造られた。
フロントウインドにガラスが入れられドア(帆布製)も付きます。

そしてボンネットや天井、ドアが金属製に変えられ丈夫に成りました。
しかし運転手はオートバイのように真ん中に座りバーハンドル(丸くないハンドル)で床はシャーシー剥きだしで地面が見える。
スピードが出て無くても恐ろしかった。

其の頃の「オート三輪」の製造メーカーはダイハツ、マツダくらいしか残っていません。
消えてしまった懐かしい名前は「ジャイアント」「くろがね」「オリエント」「アキツ」「サンカー」・・・他にも沢山有ります。

「ダイハツ」のオーナーメント(エンブレム)は「大阪城」でとても好きでした。
「ダイハツ」大阪発動機は今でもトヨタの系列ですが小型車部門で健在です。

「ダイハツ」はやがてあの有名な「ミゼット」を発売する。
しかし初期の「ミゼット」は未だバーハンドルでした。
やがて居住性、運転性に優れた丸ハンドルにモデルチェンジします。
軽三輪ですが助手席にも乗れました。
雨降りも濡れませんし冬の寒さにもヒーターが有ります。
しかし夏の暑さを凌ぐにはクーラーは有りませんので三角窓を開けて足元のベンチレーターを開放し排気ガス混じりの風を受けるだけでした。

大型の「オート三輪」も大活躍しています。
ロングボディの13尺(荷台が約3.9m)なんて言う長い荷台を持つ車種まで有りました。
しかし長いボデーに前輪が一つしか無い「オート三輪」は操縦性や安定性が悪くカーブでの横転事故は絶えません。

汚い話ですが昔の家では水洗トイレは極わずかでほとんどが汲み取りトイレです。
バキュームカーが出来るまでは清掃局が個別に肥タゴと柄杓で汲み取りをしていました。
汲み取った汚わいを天秤棒で担ぎ「オート三輪」の荷台に据え付けた木製の汚わい槽に溜めて浄化センターまで運んでいたのです。

或る日の事ですが小学校の帰りに商店街の交差点で清掃局の「オート三輪」が接触事故を起こして横転している所へ通りかかりました・・・
商店街の道路一面は黄土色の汚わいの海で凄まじい悪臭に包まれている。
商店では店先の陳列台や品物を慌てて片付け汚わいが店内へ入らないように大騒動です。
救急車やパトカーが来ましたが手の付けようも有りません。
通行止めになり片付くまでが大変だった懐かしい出来事の思い出です。
この商店街はバス通りに面していて京阪土居駅までの2車線を車が往還する賑やかな場所に有る・・・
汚い思い出話で御無礼しました。

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2 コメント

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日本のクラシックカー (のり坊)
2005-12-17 15:21:56
「ダイハツ」とは、「大阪発動機」だったのですか!

 ミゼットもいいかたちでした。ああいうのが動態保存してくれてればなあ!バーハンドル!



 メーカも余力、余裕、それより文化を創って伝えてゆくという思想がないのですね。皆錆びて早く無くなってしまえと思ってメーカは世に出しているのでしょうか?残しておく価値も無い、おんなじようなクルマばかり、会社員だから作っているのでしょうか。

 日本のクラシックカーパレード見たいのですが、夢の話でしょうね。
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クラッシックカー (氣楽亭)
2005-12-17 15:56:05
>日本のクラシックカーパレード見たいのですが、夢の話でしょうね。



シャーシーの有る旧車はレストアが可能ですが・・・モノコック・ボディの旧車はレストア出来ないので残せません。

オート三輪はレストアしている愛好家がいらっしゃるようです・・・
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