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中国公安部はアンチ習近平の牙城だった。なかなか手を出せなかった 周永康派の残党を『整理』、ようやく習近平は公安部に基盤(宮崎正弘国際情勢解題)

2022-06-30 | 中国の歴史・中国情勢

6月14日、中国共産党常務委員会は公安部長に王小洪を起用すると発表した。

王は習近平が福建省時代からの側近。21年に公安省内党組織のトップに就いており今回の人事は閣僚ポストに格上げされたという政治力学的な意味を持つ。公安系を習派が全面的に掌握したという政治宣伝でもある。

過去十年、公安部は反習近平の牙城と見られ、なかなか手を出せなかった。不穏な空気が支配していたため、時間をかけての追撃となり、人事で締め付けて、嘗て公安系を牛耳った周永康人脈を完全に排除した。

つまり軍に続いて、公安系を習近平は時間をかけて、執拗な権力闘争をへて、主導権を握ったのである。

王小洪は、習が福州市党委書記だった1990年代に、同市公安局副局長。習指導部発足後に北京市公安局長、2016年から公安次官を務めていた。権力中枢を見張っていたのである。北京でクーデターを未然に防ぐには、警備担当と公安の掌握が独裁者にとっては第一の重点課題だ。

周近平が公安系にメスを入れるのは軍事委員会を掌握できたという自信が背景にあり、目の上の瘤だった周永康系の残党=孫力軍次官や傅政華・前司法相らを規律違反などで摘発した。

中国外務部でもロシア通として、有力な次官が更迭され、閑職へ追いやられた。楽玉成外交部次官は国家ラジオテレビ総局の副局長に就くと発表があった。かれは王毅外相の後継と見られただけに中国外交への位置づけに変更が生じたことが予想できる。

というのも習の命令通りに新彊ウィグル自治区で住民への苛烈な弾圧を繰り返した陳全国が、出世階段から転げ落ちて閑職へ追いやられ、政治中枢から排除された。

上海ロックダウンは習近平のゼロコロナ路線を忠実に守ったのに、李強上海特別市党委書記も次の昇進が望み薄となった。

陳も李も、習路線の体現者であり、王毅外相とて、「戦狼外交」を忠実に展開してきたのであり、突然の路線変更で、陳全国と李強はスケープゴーツにされたことになる。それは習執行部が、意外に国際的な評価も気にしているということだろう。王毅外相は来期で退任する。

中国公安部幹部がつぎつぎと失脚しはじめたのは2020年5月からだった。

孟健柱(政法委書記)が突如拘束された。かれこそは周永康の残党退治で辣腕をふるったのだ。その「功績」がチャラにされた。前後してパリの「インターポール」に派遣されていた孟宏偉が北京に呼び戻されて失脚。海航集団社長がアルプスで墜落死した謎が噛んでいると言われたが、真相は謎のままである。

つぎに司法部長(法務大臣)のポストにあった溥政華が規律違反で失脚。かれは豪華ナイトクラブ「天上人間」手入れで勇名をとどろかせた。

また孫力軍は医学出身で、武漢コロナ対策では武漢に派遣されて陣頭指揮をとった。このときの疫病対策の情報を米国へ漏らしたのではないかと言われた。

関連して重慶市副市長兼務公安局長の登恢林が拘束された。かれは孫力軍に近く、2012年に重慶市書記だった薄煕来の失脚の後に重慶に乗り込んだ孫政才は共青団のホープ視されたが、突然、汚職で失脚し、そのあとに習近平の茶坊主・陳敏爾が重慶市書記として乗り込んだ。

つまり一連の公安系幹部の失脚を眺めると、薄煕来─周永康─孟健柱の旧ラインを根こそぎ左遷もしくは失脚させ習への忠誠組と代替させたという権力闘争の推移が鮮明になった。


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