東アジア歴史文化研究会

日本人の素晴らしい伝統と文化を再発見しよう
歴史の書き換えはすでに始まっている

戦後日本はコミュニストがつくった コミンテルンと昭和史の真相(歴史の書き換えが始まった)

2018-11-03 | 歴史の書き換え

(中西輝政氏の内容を参照にしました)

戦後GHQの占領統治下で、進歩主義という美名のもとに進歩的改革の看板を掲げて日本をさんざん荒し回って引き上げていったニューディーラーの罪状について、さらに詳しく調べてみたいと思います。

コミンテルンの謀略によって日本の近代史が大きな歪曲をうけたのは4回あったということです。

第一に、張作霖爆殺事件(と「田中上奏文」)のとき、つまり昭和3年(1928年)前後、あるいは盧溝橋事件が拡大されるときにコミンテルンの謀略があったということです。

それ以前、大正12年関東大震災が起こってから、各国の救援団がぞくぞく日本に入ってきました。その中にコミンテルンの秘密機関「ミュンツェンベルグ・トラスト」などが、モスクワや日本共産党とはまったく別系統の対日秘密工作組織として共産主義とは気づかれずに入ってきました。それから急速に影響力を増して、大正15年の時点でコミンテルンの秘密宣伝部が日本の新聞、雑誌19のメディアをコントロール下においたことが明らかになっています。大正末期、日本に治安維持法がなくてはならないほど急速な赤化が始まったわけです。

大正7年には、「東大新人会」が吉野作造の指導下で始まり、大正13、4年頃になると新人会はほとんどマルクス主義団体となり、尾崎秀実、野坂参三などたくさんの共産主義者を輩出し、満鉄調査部や朝日新聞などに送り込まれていきました。いわゆる共産主義の脅威とは、一言で言うと国家の中枢に隠れ共産主義者や多くのスパイが送り込まれることです。治安維持法でこれらを摘発しようと努力しましたが、この法律はスパイ取り締まりに逆効果でした。

第二が、盧溝橋事件以後の尾崎秀実などの流れです。コミンテルンの指令に従って、政府の不拡大方針を覆し、事変を意図的に泥沼化させ、蒋介石との和平交渉を次々と裏工作で挫折させていくわけです。モスクワだけではなく、中国共産党の影響力が日本の中枢に相当入っていたことです。尾崎の人脈はゾルゲを除けばほとんど中国共産党(延安)とつながっていました。中国共産党を司令塔とする東アジア革命路線に基づく新しい国際ネットワークがあらわれ、スターリンと毛沢東の棲み分けがはじまり、次第に中国共産党の影響力が強くなっていくわけです。

第三は戦後すぐのことです。GHQのコミンテルン・メンバーのことですが、初期の占領政策があれほど突出して左傾向だったのは、GHQ内の急進的ニューディーラーたちがたくさんいたからです。彼らはコミンテルンないしはソ連諜報部の本格的なスパイ、工作員であったことが、1990年代後半から進んだヴェノナ文書の精査によってはっきりわかってきました。少なくても昭和23年までのGHQはコミンテルンコネクションの人脈がほとんど動かしていたのです。一番の人物は何と言ってもハーバート・ノーマンです。

※ハーバート・ノーマン(1909~57)、日本育ちのカナダ人外交官。丸山真男、都留重人などと交流。GHQ、とりわけ民政局に多大な思想的影響力を与え、自身も日本共産党員の釈放や戦犯容疑者の摘発を担当した。


コミンテルン憲法

ノーマンは、イギリス留学時代にコミンテルンに参加し、秘密工作員としてカナダ外務省に入り、戦後ラティモアの推薦でマッカーサーの特別の信頼を得て日本にやってきました。ノーマンが日本に来て最初にやったことは、アメリカ共産党員であった都留重人と再会し、鈴木安蔵というマルクス主義憲法学者を探し出したことです。鈴木に「憲法研究会」をつくらせました。鈴木と憲法研究会は、実はノーマンによってオーガナイズされたコミンテルン工作組織の一端だったわけです。

特に重要なのはノーマンが一番重視した憲法第一条です。憲法第一条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって」と、ここまではGHQ案、その後条文に極東委員会から修正案が出され、「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」を加えました。「国民主権」を謳っているような憲法は日本だけです。その部分の挿入句を入れたのはソ連でした。ソ連の意を受けて動いたのがノーマンだったのです。

なぜこの「国民の総意」を入れたのか。それは「国民の総意」を口実にいつでも天皇制度を廃止できるようにしておく、というのが1920年以来スターリンの対日戦略だったからです。現行の日本国憲法はGHQ憲法というより、コミンテルン憲法だといっても過言ではありません。


チナミンテルン(中国共産党人脈)と日中国交正常化

やがて、コミンテルンの謀略に気づき、GHQ情報部長ウィロビーの努力やマッカーシズムの「赤狩り」の効果もあってコミンテルン人脈が次々と追放され、冷戦構造の中で日米安保条約体制に入っていきます。

第四に、昭和30年代から日中国交回復運動が始まります。中心となったのは近衛内閣の書記官長、戦後社会党左派の指導者となった風見章、あるいは西園寺公一などです。彼らは尾崎秀実らマルクス主義者の巣窟であった近衛内閣の昭和研究会人脈です(これらを中西輝政氏はチナミンテルン、中国共産党人脈と呼んでいます)。

日中国交回復運動と称して日本社会の中に着々と工作拠点をつくっていきます。そして、昭和47年日中国交正常化、台湾との断行に至ります。これは中国共産党(中共)が戦前から一貫して日本の知識人、マスコミを駆使して対日工作を続けた成果で、国交正常化以後もさらに活発化し、近年ではODAや歴史問題で中国の立場を代弁する勢力を日本国内に着々とつくっていきました。

主要新聞の編集委員にアプローチし、中国の言う日中友好の意見を掲載させ、各地に中国語学校をつくって日本人に中国の言う歴史認識をうえつけさせていく。中国共産党の対日工作は戦前戦後一貫しているのです。


都留重人

ハーバート・ノーマンの正体と都留重人

戦前、ハーバート大学で都留の同僚だったポール・バランという人物がいます。この人物はコミンテルン人脈の一人とされ、占領軍を代表して、誰を戦犯にするかという戦犯調書を取った人物で、木戸幸一を救うために近衛文麿を東京湾の軍艦に拉致して死刑になると脅して、自殺に追い込んだ取調官です。ノーマンとその背後にいた内大臣木戸幸一の義理の甥でもあり、木戸と同居していた都留重人が、極秘裏にノーマンと協力して、その筋書きを書いたのではないか、と工藤美代子さんが『われ巣鴨に出頭せず』に書いています。『近衛文麿黙して語らず』の著者鳥居民氏も同じことをテーマにしています。

ノーマンと都留が近衛抹殺を企てたのは木戸を救う目的とともに、近衛が共産主義の脅威をマッカーサーに吹き込んだことが大きいとされています。都留重人は八高のとき反帝同盟というコミンテルン組織に入り、治安維持法で捕まり、大学進学できなくなってしまい、それでハーバード大学に留学し、ノーマンと知り合いになります。都留はハル・ノートを書いたハリー・ホワイトとも長く交流していました。当時ハーバード大学はコミンテルンとチナミンテルンの巣窟でした。都留はアメリカ共産党に入党しただけではなく、シナ事変に対する反戦集会を石垣綾子らとアメリカでやっていました。

真珠湾攻撃の後、交換船でアメリカから日本に帰ってきますが、帰ってきた日本人の多くがアメリカ共産党員でした。アメリカから日本に帰ってくる途中、東アフリカのロレンソ・マルケス港で都留とノーマンは監視員の目を盗んで密会し、都留はアメリカにある自分の下宿の鍵を渡して秘密文書の処理を頼むわけです。1957年アメリカ議会の聴聞会で都留は自分が言い逃れるためにノーマンに不利な発言をしたので、その数日後ノーマンは自殺したとされています。しかし、知りすぎたノーマンはコミンテルンの手で暗殺された、と言っている人もいます。


ノーマン工作員説を受け入れない日本

アグネス・スメドレー(コミンテルンの秘密工作員)の『中国は戦う』『中国の歌声』、エドガー・スノーの『中国の赤い星』、ノーマンの『日本における近代国家の成立』などちょうど日中戦争が始まった、同じ頃に出されています。これらは中国共産党宣伝活動の一環でもあったのです。

ノーマンの『日本における近代国家の成立』は、日本はどうしようもない国なので、コミンテルンの「三二テーゼ」で示された日本革命に向けた「半封建的軍国主義社会」、「天皇制打倒こそが日本革命への不可欠の道」、財閥や重臣たちが「半封建制の上に資本主義的搾取をしている」という認識から書かれています。そのような人間がGHQの司令塔となっていたわけです。

丸山真男、桑原武夫、都留重人らはノーマンのイギリス知識人的感性に同調し、感化されていたことは間違いないことです。ノーマンは1930年代ケンブリッジ大学に留学、そこでコミンテルンにリクルートされています。ノーマンは日本に生まれたというだけで日本にことさら関心があったわけではないが、満州事変後のコミンテルンの指導で日本研究をするように仕向けられ、工作員としての訓練を受けたようです。

しかし、日本の岩波書店をはじめ出版界は、そのようなイギリス発、アメリカ発のノーマン=スパイ説を日本国内に入らないように、ここ数十年ブロックしてきました。近年ヴェノナ文書が公開されていますが、戦後の左翼的イデオロギーにとって都合が悪いので、排除する構造が今でも日本のマスコミ、出版界、学界にはびこっています。


マッカーシーの赤狩り(マッカーシズム)は正しかった

ヴェノナ文書を解読していた米陸軍超秘密暗号解読機構からFBIに流れた情報をマッカーシーは情報源に赤狩りをしていました。アメリカにいるソ連のスパイがモスクワにおくっている無電を傍受解読した資料です。ヒスやローゼンバーグがスパイであったことは手に取るようにわかっていました。もしそれを公開したらアメリカはソ連との冷戦を戦えない、情報戦に勝てないので、ソ連側に暗号解読している事実を知られまいとして、マッカーシーを犠牲にし秘密を守ったのです。

暗号解読は二十世紀の歴史を劇的に動かしてきました。ヴェノナ文書の解読は極めて信頼性の高い資料となります。最近、イギリスでもコミンテルンの秘密通信の傍受解読記録「マスク」文書が出てきています。また、旧ソ連が崩壊し、エリツィン時代に旧ソ連、コミンテルンの膨大な資料が公開されています。重要なのはそのような文書の公開によって昭和史を大きく書き換えられるであろうということです。

※ヴェノナ文書
アメリカ陸軍省内の特殊情報部が、1943年以降極秘裏に解読してきたソ連情報部暗号の暗号内容を1995年から公開、その文書をいう。そこには、アメリカ政府の中枢にいかに深くソ連の工作活動が浸透していたかが明らかにされている。ルーズベルト政権では常勤スタッフだけで二百数十名、正規職員以外で三百人近くのソ連の工作員あるいはスパイ、エージェントがいたことがわかった。

ヴェノナ文書はインターネットで誰でも閲覧できる。しかし、日本にかかわる重要な部分はいまだに未公開である。おそらくそれを公開すると日本の侵略戦争が否定され(侵略国家として断罪した東京裁判史観が崩壊)、自衛のための戦争であったことが証明されてしまうであろう。それはすでにマッカーサーがアメリカの上院で証言していることであるが、アメリカのルーズベルトとソ連のスターリンがいかに日本を挑発し、戦争せざるを得ないように謀略のかぎりをつくしたこと、そしてその侵略に対する罪意識を植えつけてきたことが鮮明になる。そうなればアメリカの正義は崩壊してしまうのである。公開するわけにはいかないだろう。(私見)
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