東アジア歴史文化研究会

日本人の素晴らしい伝統と文化を再発見しよう
歴史の書き換えはすでに始まっている

ペリー浦賀来寇から僅か15年で明治元年となった(加瀬英明コラム)

2018-12-02 | 日本の素晴らしい文化
アメリカ、ヨーロッパにおいて、かつて日本文化への関心がこれほど高まったことはない。

私は昭和40(1965)年に、東京放送(TBS)が出資して、『エンサイクロペディア・ブリタニカ』(大英百科事典)の最初の外国語版の『ブリタニカ国際大百科事典』(全21巻)を編集して出版した時に、初代の編集長をつとめた。

編集の最盛期には、翻訳、縮訳と、新しい項目をつくるために、200人以上が携わった。当時、もとのブリタニカ百科事典といえば、欧米を世界の中心としていたから、額田王(ぬかたのおおきみ)、和泉式部も、義経も、二宮尊徳も、平田篤胤も、日本で自動車をつくっていることも、載っていなかった。そこで、日本とアジアの新しい項目を、加えなければならなかった。

“日本の時代”が目前にある

今日の世界をあの時と較べると、隔世という言葉が当て嵌まる。私はアメリカの大学に留学したが、アメリカ国民の日本への関心は低いものだった。大多数のアメリカ人にとって、日本と中国と朝鮮の区別がつかなかった。

この半世紀あまりに、日本国民の営々たる努力によって、世界における日本の存在が、あのころには想像できなかったほど、大きなものに変わった。当時を振り返えると、感慨深い。

今年は、明治維新150周年に当たる。年表をみると、ペリー提督が率いる黒船艦隊が浦賀に来寇したのが、嘉永6(1853)年だった。日本は僅かその15年後に、「御一新」と呼ばれる明治維新を行うことによって、明治元年を迎えた。

『オランダ風説書』は世界への窓だった

イギリスが中国に阿片戦争を仕掛けたのが、天保10(1840)年だったが、ペリーが来冠する13年前のことだった。

幕府も諸藩も、長崎に入港するオランダ船から入手した、海外の最新の情報をまとめた『オランダ風説書』によって、詳細な情報を手に入れていた。

ペリー艦隊が搭載していた砲の射程が、3500メートルもあるのに対して、わが砲は家康の時代から変わっておらず、射程が4、500メートルしかなく、日本の古い砲が火玉しか発射することができないのに、ペリーの砲身のなかに螺旋が施されて、威力がある炸裂弾を撃つことも知っていた。

阿片戦争から明治元年までの28年間を振り返ると、戦後の日本の目覚ましい経済復興をもたらした、驚嘆に価いするエネルギーをみる思いがする。

島崎藤村の『夜明け前』といえば、幕末の木曽路の宿場町の生活を、克明に描いた長編小説だ。

山深い木曽路にある宿場が舞台となっており、庄屋の青年である青山半蔵が主人公である。半蔵は家業に励しむかたわら、賀茂真淵(かものまぶち)、本居宣長(もとおりのりなが)、平田篤胤(ひらたあつたね)をはじめとする江戸時代の国学者の著作を学んで、日本の行く末を真剣に憂いていた。

『夜明け前』を読むと、幕末の日本をよく理解することができる。あの時の日本には、半蔵のような青年が、全国のどこにでも存在していた。江戸時代に入って生まれた国学と、半蔵のような国民が、未曽有の国難に見舞われた日本を救ったのだった。

天皇家が日本を守った

だが、あの時の日本を護ったのは、天皇の存在だった。

もし、幕末に天皇家が存在しておらず、徳川家しかなかったとしたら、日本は洋夷に対してまとまって団結することがなく、独立を全うできなかったはずだ。

来年4月に、平成が31年で終わる。このあいだに、中国、北朝鮮からの脅威が募るなど、日本を取り巻く国際環境が、いやおうなしに緊迫するようになった。平成のこれまでの30年は、阿片戦争から明治元年までの28年より長い。

それにもかかわらず、日本はこの30年のあいだ、泰平の深い眠りから醒めずに、72年前にアメリカの占領軍が、銃剣を突きつけることによって強要した『日本国憲法』を改めることができずに、眠り続けてきた。いまだに護憲派が強い力を持っている。

幕末には、どこにでも青山半蔵のような国民がいたというのに、どうして国を守る気概気力を失って、腑甲斐ない国になってしまったのだろうか。

アメリカの軍事保護による一国平和主義

アメリカによって与えられた「新憲法」のもとで、日本は徳川期の一国平和主義——鎖国の繭(まゆ)のなかに、ふたたび閉じ籠ってしまってきた。

国際環境がいっそう厳しさを増してゆくなかで、一国平和主義の繭(まゆ)を一日も早く破って、成虫になって羽搏(はばた)かなければ、この国が亡びてしまおう。

明治維新150周年を、ただ祝うだけであってはならない。

日本は150年前に世界の現実に適応することによって、独立を守ることができたのだった。

いま、安倍政権がようやく現行憲法のごく一部を改正しようと、眦(まなじり)を決して乗り出した。  

アメリカは日本占領が始まった翌年に、日本を未来永劫にわたって自立できない国に変えるために、『日本国憲法』を強要したのだった。

現憲法の改正ではなく、修正を

憲法第95条で、「改正」という言葉を用いているから仕方がないが、私は親しい国会議員に、改正を呼び掛ける時に「改正」ではなく、「修正」という言葉を使ってほしいと訴えている。「改正」というと、現行憲法を全面的に書き改めようとしている、誤解を与える。

いま、日本が直面する国際環境が、きわめて困難なものとなっているために、憲法のごく一部だけを修正することが、求められている。「修正」といったほうが、多くの国民の理解をえられると思う。

このかたわら、このところ日本文化への共感が全世界にわたって、ひろまるようになっている。

幕末から明治にかけて、ジャポニズムと呼ばれたが、浮世絵を中心にして日本の美術がヨーロッパ、アメリカの芸術に大きな影響をおよぼした。日本文化に関心が集まるのは、それ以来のことだ。

だが、かつてのジャポニズムが、視覚に限られていたのに対して、今回の日本文化の高波は、食文化から精神のありかたにまでわたっており、はるかに深いものがある。

和食の流行は、和食が自然と一体になっていることから、健康志向によって支えられているが、日本が発明したスマートフォンのエモジや、ポケモンなどのアニメが世界を風靡しているのは、万物に霊(アニマ)が宿っているという、日本の八百万千万(やおろずちょろず)の神々信仰にもとずいている。いま、西洋では独善的な一神教が、揺らぐようになっている。

この3、40年あまり、西洋においても自然と共生するエコロジーが、人類を守り、救うと信じられるようになっているが、エコロジーこそ神道の心である。

在日外交団長と対談「神道が世界を救う」

マンリオ・カデロ・サンマリノ共和国駐日大使は、在日外交団長をつとめているが、神道に魅せられて、これまで全国にわたって100近い神社を参拝してきた。大使は和を重んじ、自然を敬う神道の心こそが、抗争と流血が絶えることがない世界を救うことになると、信じている。

私はカデロ大使と、『神道が世界を救う』(勉誠出版新書)という対談本を、9月に刊行した。

日本には150ヶ国以上の外国大使が駐箚(ちゅうさつ)しているが、20人あまりの大使が日本語に堪能だ。日本語ができる大使や、日本に在住する外国人からこの対談本によって、日本人をつくっている文化と、日本の生きかたや、心をはじめてよく理解できるようになったと、感謝されている。
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