東アジア歴史文化研究会

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『日本占領と「敗戦革命」の危機』江崎道朗著(PHP新書) トルーマン政権内部でも占領政策をめぐっての確執があった 最後にウィークジャパン派が敗退して日本の共産化が回避された秘話

2018-08-14 | 歴史の真実
あわや、日本にも全体主義国家に転落する危機が現実にあった。敗戦と戦後の秘話である。

日本が北朝鮮や中国の全体主義体制のように「地獄」に陥落し、愛に満ちた日本社会を破壊し、大切な人間性を踏みにじり、独裁権力のために個人を犠牲にする。

そうした自由のない社会を画策する動きがあった。国際的な謀略組織コミンテルンが潜り込ませた工作員達が、FDR政権を引き継いだトルーマン政権に陣取り、しかもGHQに浸透していたのだ。

その経過は百も承知してきたが、本書の特徴は新しい観点で現代史を見直したこと、もう一つは「ヴェノナ文書」など新資料がふんだんに駆使され、より迫真性に富むことである。

そもそも共産主義は、まともな軍事力で敵を薙ぎ倒すなどという正攻法を用いない。もっとも卑劣な手段を講じて国家を簒奪するのだ。

それは「(1)自国政府の敗北を助成する(2)帝国主義戦争を自己崩壊の内乱戦たらしめること(3)民主的な方法による正義の平和は到底不可能なるがゆえに、戦争を通じてプロレタリア革命を遂行すること」だと江崎氏は解説する。

つまりコミンテルンの戦略とは、第一に日米英を戦わせる。第二にとくに、米国を用いて、日本を敗北させ、第三に日本を混乱させながら共産革命政権を樹立し、『戦争は手段、目的は革命』と実行するのだ。

日本を全体主義国家に転落させ、共産主義の独裁権力をもって人間を支配し、日本人をロボット化させて、革命の奴隷とすることにコミンテルンの目的があった。

だからルーズベルト政権にはおよそ300名のコミンテルンの工作員が紛れ込み、対日強硬外交にアメリカを誤導し、真珠湾攻撃を誘発し、戦争後は日本に共産革命政権を樹立することにあった。
 
しかし米国政権にはコミンテルンの謀略を見抜き、反対した勢力があった。FDR政権内部、そして敗戦後日本を占領したGHQの内部でウィークジャパン派とストロングジャパン派の死闘が繰り広げられていた。

このGHQの内部抗争に関しては林房雄が『緑の日本列島』や『池田勇人』で、最初に指摘したが、日本の論壇はとくに注目もしなかった経緯がある。

コミンテルンが最初に手をつけたのは日米和平交渉の妨害だった。暗号通信を読み取り、徹底的に妨害したのだ。
 
これも多くの証言や資料が戦後でてきたため、おおよその全貌が明らかとなったが、「ヴェノナ文書」の公開により、より確定的な、強い証拠が揃ったのである。

驚くべきは大東亜戦争の開戦から僅か三ヶ月して、アメリカでは日本の戦後処理を検討する特別チームが組織化されていたことである。
 
もっと驚くべき事実を江崎氏はさりげなく挿入する。

「OSSは、全米の俊秀を集めた頭脳集団であったのだが、多数の共産主義者が深く浸透していた。共産主義者の浸透に警戒していたにもかかわらず入り込まれた、というわけではない。共産主義者を積極的に迎え入れたのだ」(92p)

OSSとはCIAの前身である。なんとCIAは誕生時に、反共ではなく、容共だったとは! 

敗戦の土壇場のポツダム宣言受諾交渉は、複雑な駆け引きが秘密裏に展開されていた。この経緯も殆ど知られていない。

無条件降伏、天皇制解体というのが当初のアメリカの占領計画だったのだ。

ウィークジャパン派(ヒスやハル、ホワイトら)とストロングジャパン派(グルー国務次官等)の死闘は、この天皇制解体が是か否かをめぐるもので、圧倒的に共産主義側が強く、トルーマン大統領も、この基本線で固まりかけていた。

ヒス、ホワイトらウィークジャパン派の陰謀を粉々に砕いたのは、結果的に日本軍の鬼神も涙するほどの死闘だった。

ペリリュウ島でアンガゥル島で、硫黄島で、沖縄で。日本のあまりにも強靱な反撃と死をも恐れぬ民間防衛とによって、アメリカ兵の犠牲は鰻登りとなった。アメリカは怯んだ。日本の軍人の強さに怯懦が生まれ、ストロングジャパン派の勢いが増す。

他方、北海道も盗もうとするソ連軍を食い止めたのは占守島の死闘だった。ソ連軍に多大な犠牲を与え、これによって日本は南北に分断された朝鮮半島のような国家分裂という悲劇、全体主義国家への転落を食い止めることが出来たのだ。

同時にトルーマンが目撃していたのは、味方の筈だったソ連軍が東欧に電光石火と軍を進め、1944年二月から十二月にかけてバルト三国、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアが、そしてバルカン半島でもユーゴスラビアとアルバニアが次々と共産化されてしまったという『あり得ない現実』だった。

ソ連に対するアメリカの認識は激変した。もう一つ重要な要素は、昭和天皇のインテリジェンスだったことを江崎道朗氏は適格に指摘する。

すなわち陸軍参謀本部からあがってくる情報いがいのルートを昭和天皇はお持ちだった。その決定的な情報がアフガニスタンとダブリンの在外公館からとどき、参謀本部を通さずに天皇陛下にもたらされた。

トルーマンは、無条件降伏から有条件に転換し、天皇制を守護する方針に切り替えていたことを昭和天皇は事前に掴んでおられたのである。

そのうえで「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」、「進んでマイクに立つ」と仰せになり、またマッカーサーとの会見では、この身はどうなろうとも日本民族の滅亡を避けるという断固たる決意を示されるに到った。

共産革命を目前と計測した日本の共産主義者らが企んだゼネストはマッカーサー命令で回避された。日本の共産革命は不成功に終わり、全体主義国家への転落は、こうして回避できたのである。

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