花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

退院後の自主リハビリ

2010年03月13日 16時15分00秒 | リハビリ・健康管理
リハビリについてです。


私がしばしば閲覧させていただき、何時も大変啓発されている お二方(脳卒中後遺症の方

と作業療法士さん)のブログに、最近、長島巨人軍名誉監督の右手についてそれぞれ投稿が

ありました。 

長島氏はTVに登場するときには、何時も右手をポケットに入れていますが、両氏のブログ

は、いずれも、’外見から長島氏の全体的な回復度合いから判断すると、右手をポケットに

入れていることは、不自然であり、違和感を感じるし、非常に危険である’という内容で、

“不自由ながらもある程度動くのではないか(随意性)”という指摘もなされています。



気になったので、長島氏が登場していた昨年2月にNHKで放映された「戦うリハビリ Ⅱ」の

ビデオを改めて見て見ました。 ここでは冒頭にリハビリしている長島氏が登場しますが、

右手は療法士が支えているので、残念ながら右手の状態は分かりませんでしたが、全く弛緩

した(動かない)状態では無いように感じました。

確かに、杖なしで歩き、さらに、しっかりとバランスのとれた体の動きなどから見ると、可

成り回復されていると思われますので、右手が全く動かないことはないのではないかと思っ

てしまいますが、真相はどうなのでしょうか???



さて、私は今年の2月の医師の定期診察の時に、退院後の自主リハビリの内容と、現在の体

の状況をまとめた手紙を医師に渡しました。

要するに、‘退院後自主リハビリしているが、やはり専門家である療法士の定期的な指導が

必要と思うので、検討していただきたい’という内容です。


私が昨年1月にリハビリ病院を退院するときに一番心配だったことは、‘退院後はリハビリ

は全く個人まかせになってしまうので、我流になりやすく、癖などがつき、回復が思うよう

に進まなくなる懸念があること’でした。 1年間自主リハビリをしてきてこの思いを強く

感じています。


(医師に提出した手紙の抜粋)

インターネットで、脳卒中後遺症を持つ人のメーリングリストや体験記、ブログなどを読む

と、リハビリを続けていると、発症から数年経過してからも、大幅な回復(手や足が動くよ

うになった、歩けるようになった、装具や杖が不要になった、ゴルフが出来るようになった

等々)が数多く報告されています。

私も、「脳の可塑性」により、麻痺や痺れが軽減し、装具や杖から解放される日が来ること

を信じて、リハビリを続けて行きたいと思っています。

インターネットなどでは、自主リハビリは自己流に陥りやすいので、可能ならば時々療法士

にリハビリ指導を受けることが必要との意見が多く述べられていますし、私も同様に思って

います。 

病院で(退院後2~3ヶ月毎に診察に訪れている)外来の患者に対して、現在の医師による

‘総合的な診察・指導’とあわせて、年に1~2回程度でも‘療法士の細かなリハビリ指

導’が受けられるようなシステムを作っていただければ、非常に有益と考えていますが、い

かがでしょうか? (療法士にとっても、退院患者の退院後の回復状況のフォローという意

味でも重要と思われますが)



(花熟里)
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「kokoro no tomo (心の友)」

2010年03月12日 09時45分21秒 | インドネシア
こころの友 インドネシア(2)

「kokoro no tomo (心の友)」


インドネシアで最も有名で口ずさまれている日本の歌は、五輪真弓 の「心の友」です。

私がインドネシアに駐在していた時に、会社のインドネシア人スタッフから「心の友」を知

っているかと聞かれましたが、五輪真弓の名前は知っていましたが、心の友という曲は恥ず

かしながら全く知らず、スタッフに教えて貰った経験があります。

心の友は、日本で1982年にリリースされた「潮騒」というアルバムの中に入っており、

シングルでは発売されていないためにあまり知られておらず、私と同じ経験をした駐在員が

多いと思います。



1982年に日本での五輪真弓のコンサートで、この心の友を聞いたインドネシアのラジオ

局の人が大変気に入り、インドネシアで放送したところ、全土に広まっていき、1985年

にはインドネシアで大ヒットとなりました。このために、翌86年に五輪真弓が、首都ジャ

カルタ中心部にある「コンベンションホール」でリサイタルを開いたところ、数万人が押し

かけ熱狂したそうです。このコンベンションホールは、インドネシアでもトップ歌手しかリ

サイタルを開けないところで、心の友がいかに好かれているかが分ります。 ほぼ同じ時期

にインドネシア女性歌手 ディアン ピエセスハンの歌う「一人でいたくない(TAK INGIN

SENDIRI) 」という曲が空前の大ミリオンセラーとなりましたが、心の友の大ヒットが関係

しているのではないかとも言われています。 「TAK INGIN SENDIRI」は、恋人と別れた女

性の心を切々と歌い上げたバラードです。



五輪真弓は2005年8月に、スマトラ沖地震(2004年12月)のチャリティーシン

グルCD 「kokoro no tomo 」を発売しています。このCDでは、アレンジを

父がインドネシア人、母が日本人という音楽家が担当しており、曲の後半のところは、イン

ドネシアのガムラン音楽をイメージさせます。



ではなぜ五輪真弓の「心の友」がインドネシア人に好かれるのかということですが、会社の

インドネシア人スタッフによると、①メロディがインドネシアの歌に似ている(特に有名な

歌手である ニア ダニアティ や クリスダヤンティ の歌に似ている)、 ②歌いやす

い、を上げています。 他方、①透き通った感じの声質、②アコースティックピアノ中心の

アレンジ、③シンプルだがメロディアスな曲調、 が好かれている理由と分析しているもの

もあります。


インドネシア人がよく知っているその他の日本の歌としては、「上を向いて歩こう」「乾

杯」「四季の歌」で、若い人には宇多田ヒカルの「First Love」が人気があるとのことで

す。 

(2008年記) 〆




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「目では遠いが 心では近い」

2010年03月07日 16時00分32秒 | インドネシア
こころの友 インドネシア(1)


「目では遠いが 心では近い」


私は、脳卒中の後遺症で左半身麻痺になりなにかと不自由ですが、ネットを通じて多くの

同病の方が日々リハビリを行い、また、多くの方が社会復帰されているのを知り、大いに力

づけられましたので、私もなにか伝えられたらと思うようになり、ブログをはじめることに

しました。


リハビリのことに限らず、日々のこと、今までの人生の中で経験してきたことなどを少しづ

つ書いて見たいと思います。


まずインドネシアに駐在した時のことです。


私は1996年から2003年までインドネシアに駐在しました。

インドネシアは、きわめて魅力に富んだ文化と伝統を有する国で、2億人強の人々が暮らし

ています。 日本固有の文化を忘れさり、西欧の文明にドップリと浸かっている日本人とは

違って、250の部族が各々の伝統的な生活様式を守っているインドネシアに日本では忘れ

ていたものを感じます。とはいっても、西欧文明の波はインドネシアの人々にも押し寄せて

おり、生活等式は変化しつつあることは否めません。



インドネシアには「Jauh di Mata , Dekat di Hati 」という言葉があります。 

直訳すると「目では遠いが、心では近い」となります。要するに離れるもの日々に疎しの逆

で、遠く離れていても心が通じ合っている という意味です。 私の気持ちとピッタリで

す。「こころの友 インドネシア」として、帰国後3年くらい経った頃から 私がインドネ

シア滞在中に体験したこと、見聞きしたことを中心に、日本人と“ウマがあう”インドネシ

アと人々”のことを書き留めておきましたので、 少しずつ紹介してみたいと思います。


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