花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

『サザンカ(山茶花)の花と「童謡:たき火」』

2012年12月27日 16時28分31秒 | 自然
八重の白い花を始め様々な色のサザンカの花が見事です。

















“ツバキ科ツバキ属の常緑広葉樹。原産国:日本。学名も英名もサザンカ。 日本では四国の太平洋岸、九州の南半分から沖縄県の西表島にかけて生育する。台湾、中国、インドネシアなどに分布。花の少ない時期(11月~2月頃)に咲く貴重な花。花の色は赤、ピンク、白等。 花径は5~7cm。 サザンカは、花びらが1枚ずつ散る。ツバキは春に咲き、花びらが全部一緒に散る。 カンツバキ(寒椿)は、サザンカとツバキ との交雑園芸品。”



童謡:「たきび」

かきねの かきねの まがりかど
たき火だ たき火だ おちばたき
あたろうか あたろうよ
きたかぜ ぴいぷう  ふいている


さざんか さざんか 咲いた道
たき火だ たき火だ おちばたき
あたろうか あたろうよ
しもやけ お手々が もうかゆい


こがらし こがらし さむいみち
たき火だ たき火だ おちばたき
あたろうか あたろうよ
そうだん しながら あるいてく



<日野の歴史と民俗 138号(広報ひの)>

―「童謡たきび」誕生70年― 

日野市で後半生を過した詩人巽聖歌(たつみせいか1905〜73)の作品の中で、最も有名な童謡「たきび」は、昭和16年9月JOAK(現在のNHK)ラジオ「幼児の時間―うたのおけいこ」で放送するために依頼されて作られました。当時住んでいた中野区上高田の落ち葉炊きの風景を歌ったものです。作品の舞台といわれる上高田の鈴木家は、いまも当時のままの景観を残してくれていて、「たきびの歌発祥の地」という看板が立てられています。

作曲者の渡辺茂(1912〜2002年)は、国公立小学校で教鞭をとる傍ら、作曲家として活躍しました。「たきび」は29歳の時の作品で、渡辺茂にとっても第1作目の作品でした。代表作には、「ふしぎなポケット」「あくしゅでこんにちは」などがあり、聖歌の作品でも「めだかのくに」「キャベツのおやまに」などを作曲しています。「たきび」が今日まで愛されてきたことについては、渡辺の軽快なメロディーによるところも大きく、聖歌も「たきびは、曲がよかったんだよ」と語っています。

当初は、12月9日から3日間放送される予定でしたが、前日の12月8日に日米開戦を迎えてしまったため、戦時特別番組が組まれ、放送は2日間で打ち切られてしまいました。
当時の新聞をみると、ラジオの番組欄に午前10時から「幼児の時間」という番組があり、「うたのおけいこ」が放送される日があったことがわかります。12月9日のラジオ欄には、「うたのおけいこ」のみしか記載がありませんが、10日のラジオ欄には「うたのおけいこ「たきび(2)」」とあり、2日間放送が行なわれたことが分かります。放送予定だった11日には幼児の時間は「すすめ軍艦旗」という内容になっていて、「たきび」の放送はなかったようです。さらに、軍部からは、「たきびは攻撃目標になる」「落ち葉も貴重な資源、風呂ぐらいは焚ける」とクレームがいたということで、その後は放送できなくなってしまいました。

「たきび」の歌の放送再開は、戦後の昭和24年12月、やはり「幼児の時間―うたのおけいこ」でした。全国放送で行われ、軽快なリズムとともに各地に広まりました。巽聖歌が日野に転居してきたのは昭和23年10月ですから、「たきび」の巽聖歌として名声が広まったのは、日野に来てからのことだったわけです。
ただ、戦争中にも、東京高等女子師範学校で教鞭をとっていた戸倉ハルさんが考案した「たきびおゆうぎ」があり、戸倉先生に指導を受けた幼稚園の先生たちによって子どもたちに伝えられていたという事実があり、まったく歌われていなかったわけではないようです。子どもたちはとても喜んで「たきびおゆうぎ」をやっていたということですが、聖歌がこの事実を知っていたかどうかはわかりません。

「たきび」は、やがて小学校の音楽の教科書(1年生きせつのうた)に掲載されるようになりますが、消防署から「たきびを奨励するような歌は、防火教育上いかがなものか」というクレームがついたということです。「たきび」と同じ年に生まれた聖歌の長女やよひさんは、文部省の関係者が自宅に来て対策を協議していたことを覚えているそうです。やがて、挿絵に付添いの大人と水の入ったバケツを描くことで、この問題を解決しました。これは、現在に至るまで踏襲されています。

聖歌は、生前「たきび」を自らの代表作とは思っていないと語っていますが、作品を分析してみると、原風景としてこだわったふるさと岩手の「家垣根(いぐね)→垣根」、北国の人ならではの「北風ピープー」という表現、好んで使ったという「相談」という言葉など、巽聖歌の作品のエッセンスが豊富に取り入れられている作品であることがわかります。

聖歌の友人たちから「巽は死しても、たきびは死せず」といわれていたという逸話がありますが、平成23年12月たきびは誕生70年を迎えました。聖歌の没年(68歳)を越えて愛されつづけている「童謡たきび」は、今となってはやはり、巽聖歌の代表作といっていいでしょう。

平成18年に文化庁が選定した「親子で歌いつごう日本の歌百選」の中にも選ばれ、平成22年1月からは、JR中央線豊田駅の発着メロディーにもなっています。
現在では、ダイオキシンや煙の問題でたきびそのものが自由にできなくなってしまいましたが、かつてのわたし達の暮らしに「たきび」が身近な存在だったことを知らせる童謡としても、大切な歌となりました。



(2012年12月27日  花熟里)
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