花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

「政府は東南アジア諸国軽視を恥じよ!」

2011年06月17日 17時51分13秒 | インドネシア

―― 来日したインドネシア人看護師のその後 ――

6月1日付けの朝日新聞ネット版によれば、日本とインドネシアとのEPA(経済連携連協

定)にもとづいて、2008年に来日した第一陣(104人)の内、今年3月の国家試験に合格で

きなかった78人(合格は2010年3月に2人、2011年3月に13人で計15人。途中での帰国者は

11人。)の内、68人については、3年間の滞在期限を1年延長することを決定したと報じら

れています。さらに、次のことが記載されています。


滞在延長の閣議決定は2011年3月になされていましたが、滞在延長への具体的な条件(国

家試験300点満点中102点以上の者)などが決定され、候補生の勤務先(研修策)に通知さ

れたのは、なんと6月になってからです。 対象となるのは68人で、期限延長の条件を満

たせない人(国家試験で101点以下)は10人。 この68人の中で、25人は、厚生労働省の

事務手続きの遅れから、滞在が延長される条件をクリア―しながら、通知がないために国

家試験終了後に帰国してしまいました。


日本の看護師の国家資格を得ようと夢を持って来日したこれら25人の中の一人は次のよう

に話しています。 「延長の話を最初に聞いてから時間がたったのに、だれも詳しいこと

を教えてくれなかった。結局、私たちは必要とされていないと思う」

霞が関の官僚は人の心の痛みが全く理解できない人ばかりのようです。

「合格してもらう人を受け入れる制度であり、自信がある自身が無くなって帰るのはやむ

を得ない」(厚生労働省外国人雇用対策課)

政治も全く機能していません。政治家は形式的に閣議決定すれば後は全く知らぬ存ぜぬ

で、毎日不毛な政争に明け暮れています。きちんと東南アジア諸国のことに目配りをして

いる心ある政治家はいないのでしょうか。日本人として恥ずかしい限りです。



「EPA」という2国間の取り決めの条件変更(滞在期間の延長)を該当する人に速やか

に通知しなかったことは、国家間の信頼を裏切るものではないのでしょうか。 アメリ

カ・欧州諸国との間では、今回のような国家軽視(通知の遅れ)などは考えられないし、

官邸を含めて微に入り際に入り対応するのではないでしょうか。 政府が「東南アジア諸

国を軽視している」と見られても仕方がないと思われます。東南アジア諸国との信頼関係

強化が必要な時に、全くあきれてしまいます。



ところで、日本の看護師国家試験に今年3月に見事に合格したスワルティさんが、東日本

巨大震災の被災地に行きたいと訴えていたことは、本ブログでも紹介しています。

4月24~28日、勤務先の姫路赤十字病院の救護班(8人)の一員として、岩手県山田町の避

難所(県立山田高校)で診察巡回の付き添いをし、また、インドネシア人特有の“温か

さ、頬笑み、人なつこさ”などの持ち味を発揮して、被災者390人のひとり一人に声をか

け、時に抱き合いながら、又、日本人にもよく知られている母国の歌「ブンガワンソロ」

を歌って、被災者の心のケアを行いました。



インドネシア人をはじめ東南アジア諸国の人々は、我々日本人が失ってしまった『ぬくも

り』を持っていることを東南アジアに駐在した日本人の多くが実感し、駐在した国を第2

の故郷と思っているのです。 東日本大震災の被災地で求められていることの一つが、こ

の理屈抜きの『ぬくもり』なのではないかと思います。又、高齢化社会の日本で必要とさ

れるものこそ、この『ぬくもり』だと思います。


日本の政治家、官僚の皆さん。 目をしっかりと東南アジアに向けてください。日本が本

当の友人になれるのは、欧米諸国ではなく東南アジア諸国なのです。



以下毎日新聞記事(5月10日)

<390人に声かけ-姫路赤十字病院>

姫路赤十字病院(姫路市下手野1)のインドネシア人看護師で、先月下旬に赤十字医療救護班(8人)の一員として東日本大震災の被災地に派遣されたスワルティさん(32)が9日、記者会見して活動を報告した。主に被災者の心のケアを担当し、母国の民謡を披露するなどして励ましたという。
スワルティさんは経済連携協定(EPA)に基づく看護師候補として08年8月に来日。09年2月から姫路赤十字病院で看護助手として働きながら国家試験の勉強を続け、今年3月の試験で合格した。
04年12月のスマトラ島沖大地震では日本人医療スタッフの支援を受けながら、負傷者の救護活動に従事。今回の派遣では「日本への恩返し」との思いで赴いたという。
4月24~28日、岩手県山田町の避難所で医師や薬剤師らとともに活動した。家を失った約390人の一人一人に声をかけ、時に抱き合いながら心の傷を癒やした。日本人になじみの深いインドネシア民謡、ブンガワンソロも歌い、看護師志望の女子高校生には、言葉の壁を克服し、3度目の挑戦で難関を突破した体験談を話した。
現地では3度の食事や入浴は事足りていたものの、集団生活での人間関係の難しさを実感。津波の傷跡の残る現地の状況を問われると絶句し、涙声になった。スワルティさんは「とても勉強になった。これから日本語をもっと勉強して、心のケア専門の看護師になりたい」と話した。



(2011年6月17日 ☆きらきら星☆)

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