花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

「非常事態の今こそ『主君押し込め』が必要」

2011年03月29日 17時41分31秒 | ちょっと気になること

地震発生から早やくも18日目に入っています。 福島第ニ原子力発電所の放射線漏えい事

象が一向に収束する様子が見えず、日を追うごとに深刻な新たな課題が出てきています。

一部では、原発の心臓部である原子炉容器もヒビが入るなど、損傷しているのではないか

との報道もなされています。 もし、そうであれば、誠に深刻な事態になっているといわ

ざるを得ません。現場で命の危険を顧みずに、必死に食い止めるために作業をされている

東電並びに協力会社の皆さんの努力を見守るばかりです。 



こうした中、3月28日の東京新聞に「炉心溶融を震災当日予測」というショッキングな見

出しの記事が掲載されました。

この記事によると、大地震発生の11日午後10時に保安院は、福島第1原発の2号機につい

て、評価結果をまとめ、30分後には総理にも説明していたとのこと。 内容は、「炉内で

50分後に「炉心露出」が起き、12日午前0時50分には炉心溶融である「燃料溶融」

に至るとの予測を示し、午前3時20分には放射性物質を含んだ蒸気を排出する応急措置

「ベント」を行う予定で、対応に一刻を争う緊迫した事態だったと報告しています。


現場はこのような緊迫した状況であるにも関わらず、菅総理は翌12日に福島原発に視察を

行ったことにより、初期対応に忙殺されている現場の邪魔をしたのではないかと、視察直

後から指摘されていましたが、この東京新聞の記事でやはりと思わざるを得ません。菅総

理はこの視察を強弁で正当化していますが、現場が初動で騒然となっているところに、の

このこと出かけていく最高指揮官がどこにいるでしょうか?

また、東電本店に乗り込んで、社長を叱責し、挙句には3時間も居座ったことなど、とて

も正常な最高指揮官の行動とは思えません。 いずれのケースでも、職を賭してでも指揮

官に思い留まらせなかった側近(官房長官、閣僚、官邸スタッフ等)のだらしなさも問題

です。

意のままになる側近ばかりを登用し、耳の痛いことをズケズケと言う人材を遠ざけた結果

ですが、最大の被害者は福島県民であり日本国民です。



東電の原子力事象対応が遅いとか、情報の報告が遅いとか、 などど東電を叱責したり

(管総理)、不快感を示したり(枝野長官)して、政府は責任を東電だけに押し付けてい

ます。東電の責任が厳しく問われるのは言うまでもありませんが、内閣府には原子力安全

委員会、経済産業省には原子力安全・保安院があり、東電の原子力安全にかんし、箸の上

げ下げにいたるまで微に入り細に入り指導してきました。即ち、政府は東電と共に、当事

者なのです。東電だけに責任を負わせるのは、筋違いです。 



この危機を乗り切るには、挙国一致で当たらなければなりませんが、自民党の総裁に入閣

を電話で要請することでお茶を濁す菅総理では無理です。 本人はなんとしてでも総理の

座に居座るようですので、強引に引きずり下ろすしか方法がありません。



わが国には武家社会には、「主君押し込め」という制度がありました。 暗愚や凶暴な君

主により藩の運営に甚だしい支障が出てきた場合に、家老などの重臣たちが談合して、君

主を座敷牢に押し込め、新たな君主を立てるものです。

(下記のウイキペディアの記事参照)

現内閣では、家老(官房長官)や重臣(閣僚)たちが揃いも揃って、イエスマン ですの

で、家臣による主君押し込めは出来そうにありませんが、民主党内の良識派の人々が一致

して、総理辞任を迫っていただきたいと思いますし、場合によっては、民主党本部に

「押し込め」て頂きたいと思います。 そして、国家百年の大計のために、与野党が一致

して新たな宰相を押し立てて、危機に当たっていただきたいと願っています。



(ウイキペディアより転載)
主君に対する忠誠を絶対とする武家倫理が徐々に確立した江戸時代においては、少なくとも徳川将軍家では見られなくなったものの、非常の措置として行跡の悪い藩主を強制的に監禁する行為は慣行として残った。これはお家の存続を大事とするゆえに行われた行為でもある。もし暴政により被害が深刻化した場合、あるいは藩主の不行跡が幕府に発覚した場合は、領地を治める能力が無いとして転封や減封、最悪の場合は改易という処分を受けかねないためである。

手順は概ね決まっていた。藩主の行跡が悪い場合、家老らによって行いを改めるよう、諫言が行われる。このような諫言は、場合によっては藩主の怒りを買い、手討ちにされかねない危険な行為であったが、家臣としての義務であった。諫言が何度か行われ、それでも藩主の行いが改まらない場合、家老ら重臣が集まって協議が行われる。そこで押込もやむを得ずとの結論に至った場合、実行される。

あらかじめ目付クラス以上のある程度の身分有る者で、腕の立つ者、腕力強健な者を側に控えさせておき、家老一同が藩主の前に並び「お身持ち良ろしからず、暫くお慎みあるべし」と藩主に告げ、家臣が藩主の刀を取り上げ、座敷牢のような所へ強制的に監禁してしまう。藩主は数ヶ月に渡り監禁され、その間、家老ら重臣と面談を繰り返す。家老ら重臣により、藩主が十分に改心して今後の行いも改まるであろうと判断された場合、藩主は「誓約書」を書いて、元の地位に復帰する。「誓約書」には、行いを改めること、善政を施すこと、押込を行った家臣らに報復を行わないこと等が明記される。

監禁の後も、藩主に改悛の情が見えず、あるいは偽りの様子としか受け取られない場合、再び悪行や暴政を行う可能性が高いと判断された場合は、藩主は強制的に隠居させられ、藩主隠居の旨幕府に届け出、嫡子や兄弟の妥当な人物が藩主となる。
1660年(万治3年)の伊達綱宗の押込は幕府の承認と監督のもとで行われた。これは公儀公認の主君押込の嚆矢となる。一方で幕府の内諾を得ない押込が発覚した際は処分されることもあった。

また、必ずしも押込派に理があるケースだけではなく、単なる権力争いであった場合もある。あるいは水野忠辰や大関増業など、改革をなそうとする藩主が、既得権を維持せんとする重臣から「悪政」を咎められ、押込められる例も少なくなかった。一般に名君と評価される上杉鷹山も、一時は改革に反対する老臣から押込を受ける寸前まで追い込まれた事件もある(七家騒動)。



「保安院 炉心溶融 震災当日に予測」

東京新聞2011年3月28日 朝刊

経済産業省原子力安全・保安院が、震災当日の十一日夜、東京電力福島第一原発事故に関して、三時間以内の「炉心溶融」を予測していたことが二十七日、分かった。また翌十二日未明には放射性ヨウ素や高いレベルの放射線を検出、原子炉の圧力を低下させる応急措置をとる方針が決まったが、実現するまでに半日も要した。政府文書や複数の政府当局者の話で判明した。

溶融の前段である「炉心損傷」を示すヨウ素検出で、政府内専門家の間では危機感が高まり、応急措置の即時実施が迫られる局面だった。
しかし菅直人首相は十二日早朝、原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長と予定通り現地を視察。政府与党内からは、溶融の兆候が表れた非常時の視察敢行で、応急措置の実施を含めた政策決定に遅れが生じたとの見方も出ている。初動判断のミスで事態深刻化を招いた可能性があり、首相と班目氏の責任が問われそうだ。

政府原子力災害対策本部の文書によると、保安院は十一日午後十時に「福島第一(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」を策定。炉内への注水機能停止で五十分後に「炉心露出」が起き、十二日午前零時五十分には炉心溶融である「燃料溶融」に至るとの予測を示し、午前三時二十分には放射性物質を含んだ蒸気を排出する応急措置「ベント」を行うとしている。
保安院当局者は「最悪の事態を予測したもの」としている。評価結果は十一日午後十時半、首相に説明されていた。

この後、2号機の原子炉圧力容器内の水位が安定したが、十二日午前一時前には1号機の原子炉格納容器内の圧力が異常上昇。四時ごろには1号機の中央制御室で毎時一五○マイクロシーベルトのガンマ線、五時ごろには原発正門付近でヨウ素も検出された。
事態悪化を受け、東電幹部と班目氏らが協議し、1、2号機の炉内圧力を下げるため、ベントの必要性を確認、四時には保安院に実施を相談した。また菅首相は五時四十四分、原発の半径十キロ圏内からの退避を指示した。

だが東電がベント実施を政府に通報したのは、首相の視察終了後の八時半で、作業着手は九時四分。排出には二つの弁を開く必要があるが、備え付けの空気圧縮ボンベの不調で一つが開かなかった上、代替用の空気圧縮機の調達に約四時間を費やし、排出が行われたのは午後二時半だった。

与党関係者は「首相の視察でベント実施の手続きが遅れた」と言明。政府当局者は「ベントで現場の首相を被ばくさせられない」との判断が働き、現場作業にも影響が出たとの見方を示した。


(2011年3月29日  ☆きらきら星☆)
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