花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

「ブンガサクラ(さくらの花)」

2010年03月20日 13時47分14秒 | インドネシア
こころの友 インドネシア(3)

「ブンガサクラ(さくらの花)」


松任谷由実の曲に「スラバヤ通りの妹へ」というのがあります。スラバヤ通りはジャカルタ

市内にあるアンティークや雑貨を売る店がところ狭しと立ち並んでいる有名な通りで、別名

「泥棒市場通り」とも呼ばれています。会社で盗難にあった工具類は翌日にはスラバヤ通り

で売っているとのまことしやかな話を耳にします。幸いに我々の会社ではこういうことはあ

りませんでしたが。


1994年ジャカルタ郊外のボゴールで開催された「APEC首脳会議」に出席したアメリカの

クリントン大統領が、お忍びでスラバヤ通りに立ち寄ったことが欧米のマスコミで報道され

て以来、欧米人や日本人観光客が多くが訪れるようになりました。2005年に開催された

愛・地球博の最終日の音楽イベント「Love The Earth 」のステージで、松任谷由実がこ

の「スラバヤ通りの妹へ」などアジアを歌った19曲を熱唱し、“アジアは一つ”をアピー

ルしました。


インドネシアで活躍している日本人歌手と言えば、上田正樹 でしょう。(「悲しい色やね

ーOsaka Bay Blues」で有名です) 2000年にR&B歌手である レザ(Reza)とデ

ュエットで「日本語版:Forever Peace、インドネシア語版:Biar Menjyadi Kenangan

(思い出になるに任せよ)」を発売、ジャカルタのハードロックカフェでリリースパーティ

を開きました。同年10月にはインドネシアヒットチャート1位になりました。このアルバ

ムは日本とインドネシア同時に発売され、フジテレビがインドネシア・マレーシア・シンガ

ポールの各放送局と共同制作している新人歌手登竜門である「アジア・バグース」のスペシ

ャル番組でも両者が共演しましたので、ご存知の方がいると思います。  上田正樹は、

翌2001年には、インドネシア最大のレコード会社からソロアルバム「Hands of 

time」を発売しました。現在バリ島に住居を構えています。
 

年配者が好んでいる歌はやはり「愛国の花」でしょう。 従軍看護婦を歌った軍国主義の歌

として戦後の日本では疎まれてきましたが、ワルツ調のしっとりとした情感のあるすばらし

いメロディと思っています。「真白き富士の気高さを心の強い盾として」で始まるこの歌を

スカルノ大統領が大好きで、インドネシア語で「ブンガサクラ」(さくらの花)という題で

作詞し愛唱したと言われています。 スカルノ大統領作の歌詞の日本語訳は次のとおりで

す。

  
桜の花は 美しく      
そして輝いています   
日本のどこにでもある花
日本国民が誇りに思っている花      
インドネシアではジャスミンを  
国民が誇りに思っています       
これらの花は私たちのアジアを  
ひとつに繋ぎます

ジャスミンと桜は        
いずれも平和を望むしるしのようです  
ひとつのアジアに向かって    
平安 平和 理想に向かって
これらの花は私たちのアジアを  
ひとつに繋ぎます


逆に日本で知られているインドネシアの歌といえば、なんと言っても「ブンガワンソロ(ソ

ロ河の流れ)」でしょう。 1940年に作曲されましたが、インドネシアを代表する歌と

して国民に親しまれています。日本の軍政は1942年からはじまりますが、日本軍の兵士

が最も好んで口ずさんでいたインドネシアの歌がブンガワンソロといわれています。日本で

は1948年に松田トシが日本語の詩をつけて歌い、日本中で知られるようになりました。

作曲者のグサンが1994年に来日、東京と横浜でコンサートを開催した時には、インドネ

シアから復員した人が多くつめかけ、会場が満員の盛況になり、しかもコンサートの最後に

グサンが歌う「ブンガワンソロ」にあわせて客席の皆さんがインドネシア語で一緒に歌い、

大合唱になりました。


(2007年記:★☆きらきら星☆★)
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