山口県光市で1999年に母子を殺害したとして殺人や強姦(ごうかん)致死罪などに問われた当時18歳の大月被告(犯行時福田)(30)の差し戻し上告審で、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は、大月被告の上告を棄却する判決を言い渡した。広島高裁差し戻し控訴審(2008年4月)の死刑判決が確定する。
判決は、大月被告が差し戻し控訴審で一転、殺意を否認したことを「不合理な弁解」と指摘した。本村さんは「反省の情があれば死刑は下らなかった。残念だ。罪をかみしめ、それを乗り越えて受け入れてほしい」と複雑な思いをのぞかせた。
遺族の本村洋さん(35)は、霞が関の司法記者クラブで記者会見し「判決には大変満足しているが喜びの感情はない。厳粛な気持ちで受け止めなければならない」と、事件後の13年間を静かに振り返った。大月被告に対しては「罪をかみしめ、それを乗り越えて受け入れてほしい」と語った。
この事件は1999年に発生したのだから、13年近くが経過してやっと刑が確定するロングラン裁判となった。大月被告の犯罪時の年齢が仮に20歳以上であればここまで長引かなかっただろうが、今日の最高裁での判決でも4人中1人の裁判官が犯行時未成年に対する死刑適用に反対するなど見解が分かれた。
大月被告は犯行直後からその取り調べや友人に送った手紙などから、犯行を反省している態度を全く見せておらず遺族の感情を逆なでしていた。そして、大月被告の死刑回避に向けての弁護団が結成され、当時はまだ弁護士だった橋下氏(現、大阪市長)との論戦も白熱していた。大月被告の死刑回避だけを目的にした弁護団は、大月被告を洗脳し回避に向けてあらゆる方策を取っていたが、それも結果的に裁判官の心証を害したのではないだろうか?
大月被告の死刑を一貫して求めていた本村さん、それでも気丈に大月被告を避難非難すること無く、だが、死刑確定に対しての自分の意見ははっきりと述べていた。本村さんにとっては死刑確定は会見で語っていたように「勝利」では無い。また大月被告の死刑が確定しても、実際に刑が執行されない限りは本村さんの気持ちが和らぐことは無いでしょう。
[お断り]
私は楽天でブログを開設していた時から、「元少年」の実名を記してきた。それは、この凶悪事件を起こした「大月被告(旧姓福田)」の犯罪には弁解の余地は無く、幼い子供までをも殺害し自らの欲望だけを満たすために引き起こした犯罪であることから、もはや死刑判決は以前から当然だと個人的には判断して「福田被告」と記して来ました。しかも、既に週刊誌等で実名報道されていましたので...。
最新の画像[もっと見る]
- 映画『リベンジ・マッチ』を観て 10年前
- 映画『あなたを抱きしめる日まで』を観て 10年前
- 映画『ネブラスカ、ふたつの心をつなぐ旅』を観て 10年前
- 「モネ、風景をみる眼-19世紀フランス風景画の革新」を観賞して 10年前
- 映画『死霊のはらわた』を観て 11年前
- 映画『ジャッキー・コーガン』を観て 11年前
- 映画『ハッシュパピー、バスタブ島の少女』を観て 11年前
- 映画『図書館戦争』を観て 11年前
- 映画『藁の楯』を観て 11年前
- 映画『君と歩く世界』を観て 11年前