中国地方も梅雨入りしたようで、今日も1日、雨は降らずとも、うっとうしい曇り空であった。
そん中、自転車で近所を走っていた時のコト。
橋のたもとの緑地に、まだ死んで間もないと思われるカラスの死骸を見つけた。
・・あまりこの写真を載せるのは気乗りしなかったが・・。
ご愁傷様・・。
しかし、ガキの頃は結構田舎に住んでいたので、道路に飛び出して車に轢かれた犬やらネコやらイタチなんかの死骸を見かけながら通学していたものだが・・。
なんでこのカラスの死骸、わざわざ写真に撮ってブログに載せるような悪趣味なコトをしたかというと、理由は矢追純一だ。
あのUFO番組の特番なんかに必ず出てくる”あの”矢追さんだ。
だい~ぶ前に、テレビで「カラスの死骸を見かけたら僕にご一報ください!」と言っていたのだ。(誰か覚えてる人いません・・?)
要するに矢追さんは、あれだけ大きな鳥なのに、1度も死骸を見かけたコトはないのはおかしい!(きっとUFOに連れ去られて生体実験かなんかされてるに違いない!)
・・という感じで必死に訴えていたのだ。
まあ、アメリカで牛やら馬などの家畜が連れ去られ、全身の血を抜かれたり、内臓が取られたり、とても地球上の技術では不可能な状態で見つかったりするキャトル・ミューティレーションというUFOの仕業と思われる事件と、何らかの関わりがあるんじゃないか?・・というような意図で、そんな話をしていたのをなんとなく覚えていたからだ。
そんだけカラスの死骸が珍しいもんなら、ただ見かけたというだけでも信憑性ないかなあ・・と。
(もちろん、矢追さんの連絡先も知らんし、わざわざ知らせる気もないが・・)
しかし、意外にもカラスの死骸は、フツーに地べたに寝っ転がっていた・・。(笑)
実に、拍子抜けするくらいすんなりと・・。
古来より、人は闇を恐れてきた。
今のように電気もなかった時代、闇が支配する夜は、人が自由に活動できる時間帯ではなかった。
ケモノや、もっとワケのわからない抽象的な恐怖の感情が実態化したお化けや妖怪、鬼といった存在を人は作り出し、闇を恐れた。
もともと「鬼」は、闇をイミする「隠(おん)」がその語源だという説もあるという。
その闇を征服する戦いが、人が文明を手にする過程といっても過言ではない。
今、時代が移り、都市部では電気の光が消えるコトはなくなった。
どこにでもあるコンビニの灯りが一晩中こうこうと点いている。
そんな物理的な闇がなくなった現代でも、いまだに「学校の怪談」や「都市伝説」などが生み出され続けている。
UFOやUMA(Unidentified Mysterious Animal:未確認動物)なども、そうした類であるかもしれない。
まるで闇を恐れながらも、闇を求める指向性が人にはあるかのようだ。
結局、人の心の”闇”がなくならない限り、そうした闇は再生産され続けていくのだろうなあ・・。
それを信じていたからか、カラスの死体を見たことがないなとずっと思っていました。
しかし、私もカラスの死体を見たことがあります。
ある会社の運動場を借りに行ったときのことです。
その運動場は、しばらく使われておらず荒れ果てていました。
周りの木にはカラスの大群。そして、カラスの死体が2、3体落ちていました。
カラスは人前に死体をさらさないということを信じていた私は、カラスがここなら人目につかないと思いこの場所を選んだのかなと思いました。
結局、その運動場は借りませんでした。
ゾウも死期を悟ると群れから離れてゾウの墓場みたいなトコへ行く・・とか聞いたコトありますが・・。
なんにしろ、やはり、あまり気持ちいーもんじゃないですよね・・。