気功整体というものがある。
人の体には手を触れずに、いわゆる「気」によって体の悪いトコロを治す整体である。
(直接、手を触れる気功整体もあるようだが・・)
実際に受けたという人の話を聞くと、「まったく触らずにやるから、やってもらった気がしない」、「胡散臭い」という人もいるが、それ以上に「頚椎ヘルニアが治った」など、具体的に効果があった話もよく聞く。
自分自身、10年近く、人の体に触れる民間治療の現場にいながら感じるコトは、いわゆる「気」と呼ばれる、目には見えない”何か”が、明らかに存在している・・というコトだ。
1番分かりやすいのは、「もらう」という現象。
肩こりや腰痛の人を施術する側が、その症状をもらってしまう・・というコトが実際によくおこる。
自分は”もらいにくい”体質のようで、ありがたいコトにそうした経験はないが、同業者の友人などは、よく”もらって”しまい、ウチに来る。
肩こりや腰痛は、当然のコトながら、伝染する病気ではないので、これは西洋医学では説明出来ない。
東洋医学には「気」という概念があり、こうした現象も説明する便利な言葉のように用いられるが、目には見えないものであるだけに、いろんな人がいろんなコトを言ってるので、”わや”になりそうで、あまり深入りしたコトはなかった。
しかし、先日、古本屋で手にした遠藤喨及という人が書いた『気心道』という本は、非常にシンプルで分かりやすかった。
「タオ指圧」「気心道」を提唱・指導し、世界各地で活躍、著作も多いので聞いたコトがある人も多いだろう。
それによると、「気」とは、すべての生命ある存在に宿っている心身両面のエネルギーのコトで、「経絡」は気の流通するルートのコト。
経絡は、生きている間にだけ存在し、死ねば消失するため、解剖学的には存在しないが、すべての生命の営みは、経絡によって営まれる。
病気は、経絡を流通する気のエネルギーの不足(虚)と過剰(実)のゆがみによって起こる。
ゆがみというのは、経絡の虚実は病気の原因であると同時に、生命活動そのものでもあるため。
この経絡の虚実が自然現象のように刻々と変化している限りは健康なのだが、これが滞ったり、偏ったりするコトが問題なのである。
・・わりと今までの東洋医学で言われている当り前のコトのように聞こえるが、経絡が単なる肉体上の線ではなく、人間の心そのものであり、また同時にからだでもあるという観点が斬新であった。
生命が欲求を感じる時は、何かの経絡が「虚」になっている。
行動は経絡の「実」によってなされるが、それは気の不足した「虚」の経絡が促しており、その状態が続けば、「虚」の経絡は、奥に”邪気”が溜まって、シコリのような”虚のシコリ”になるという。
欲求という「虚」と行動という「実」・・というワケである。
人は誰しも、心の奥に「虚」を抱えて生きているのだと・・。
「虚」の経絡は、いわば、”心の飢餓感”のあらわれであり、共感しながら圧されるコトを切実に求めているという。
当然、施術者も本気で、切実な気持ちでないと、経絡も反応しないという。
よく言われる、施術者と患者の”相性”というのも、これなら説明がつく。
こうした仕事柄、「人間の体はモノじゃない!」というコトは、諸先輩方から、耳にタコが出来るほど聞かされてきたし、当然そのように扱ってきたつもりである。
しかし、本書でいう「人間の体は100%心だ!」という考え方は、自分自身にとってある種、新鮮なパラダイム・シフトをもたらしてくれた。
もっともっと、今まで以上に本気で、心を込めて、施術しないといけないなあ・・。
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