松江のお茶・製造直売『錦峰園製茶場』 野津家のブログ

松江のお茶&お米農家。

20代で農業を継ぎ、
3人の子供を育てながら
両親と共に農業に励んでいます。

有難い”法話”でした①

2020年01月11日 20時22分31秒 | 

父 綴ります。

新年が明けて2日目の夜11時過ぎ娘が、すでに寝てた私たちの部屋に来て『叔父さんが亡くなったって』。

1年半の病院生活で大分弱ってたけど、「お顔を見に来て下さい」という病院からの連絡で、大晦日に見舞い。

大慌てで駆けつけるも、既に、、、。

 

病院の処置・死亡診断書が整うのを待って、日が変わった午前1時半過ぎに。

嫁さんが運転する車で、私と分家の婿さんが抱いて連れて帰ってやりました。

深夜だったけど、お世話になろうとする”JAさん”に電話。(50分後にはドライアイスを持参して、、)

 

1月3日は9時前に、濃いい親戚が集まって、”お寺”・”葬儀場”・”火葬場”などの都合を調整作業を。

(年末年始に亡くなられた方が多いらしくて、さらに年明け3が日は葬儀をしない風習のため順番待ち状態。

 早くても9日(木)って。)

皆の都合も考えたりする中で、午後5時からの予定案を出して、”葬儀場”・”お寺”・”火葬場”を抑えることが。

その後も、隣近所の講中さんや、親戚に連絡。(何せ正月3が日中なので、言葉選びを慎重にして。)

 

4日には新聞に掲載してたので、近所の”亡くなった叔父の同級生さん2人”が香典を託づけに来宅されて応対。

昼前には、我が家の家族5人(孫娘達も)で庭の草取り作業を2時間。(きれいになりました)

夕方6時には、隣近所の講中さん方に役割分担などを相談いただきました。

 

5日は、ちょっと我が家で”年賀状書き”。

(眼が醒めて寝付かれない午前3時から5時までは、「叔父の思い出綴り文」をしたためました。)

 

6日は、”亡くなった叔父のアルバムから抜粋した写真”で、「メモリーボード」を作り上げました。

午後5時に、濃いい親族で「入棺」。

午後6時から、濃いい親族で「通夜」。

曹洞宗なので、”修証義”・”観音経”を集まった皆でお唱えして供養。

終わってから、菩提寺の「宝林寺の和尚さん」からの”法話”がありました。

『明日は火葬してお骨になられます。

 通夜の今夜は既に遺体となってても、心臓の鼓動は止まってても、耳は聞こえていると思います。

 今夜は皆さんで故人の生前の良かった思い出、あるいは文句でもいいです。

 食事をしながら、沢山話をしてあげてください。

 それが故人への供養になります。』

 

20代頃、葬儀に行った場面で、大きな声や笑い声で話してる大人に違和感をおぼえてました。

ちゃんと、しんみりしながら、送りの儀式一切を行なわなければいけないのに!。

”通夜”や”出棺”、”葬儀”の場面・場面でのみに出かけていたからか?。

でも亡くなった故人は、皆んな皆んなが、あれこれ言って偲んでくれることが、嬉しい!って感じてるのかな?

 

この歳になって、今更考えることではないかもしれませんが、、。

”とっても良い法話”でした。

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