父 綴ります。
翌日の日曜日に、もう壱ケ寺の寺総代を勤めてる、我が友人’傳くん’に相談をしました。
曰く、『いくばくかの経緯は耳にしていて、承知しているので、お寺の和尚に連絡して相談してあげるよ。』
さすがです!。
その結果。
上宇部尾町にある「宗洞宗・宝林寺」の住職さんの計らいのもとで、お寺の適地で”焚き上げ”お世話戴くことに!。
誰もが忌み嫌う’葬式’の道具の始末ですから・・。 本当は私も色々と考えて悩みました・・。
これに関わって、母に何かあった折には。 自身に災いみたいな事が起きたら。 もしや妻に。 家族か親戚に。・・
世間の陰口・評漂はきっと、『あぎゃんことをしなったからだわね。』・・
でも一方で、”誰かがチャンとすることをして置かなければ。悔いを先送りしてしまったら、後の者が迷惑する。”
*”尽くすべきことをチャンとした遣り方でやれば、’罰’はけっして降りかからない!。 ほっとく事こそが’罪’。*
っていう、私の親父が遣ってた’価値観’の方が、この歳をもらった今の私の身を突き動かしました。
結局、お寺のお坊さんと、二ケ寺の町内代表総代さん2人の都合が合致した25日(月)に実施することになりました。
前日には、”物”の状況を再確認した後に、関係の皆さんに相談した用意して置くべきものを準備しました。
お供えとして欠かせない般若湯。
火種とする藁束。 着火用のガストーチ。 担い棒を切るためのチェーンソーと鋸。 燃えカスを集める鉄製の塵取り。
そして、軽トラックの荷台に積んだ”物”が、寺に到着するまでに、後続車にそれと気づかれないようにするブルーシート。
当日は、家の仏壇に線香を上げて’事’の「事無き事」を拝みました。
妻には、お寺への「お布施一万円」と、清めの「塩」と、「線香」の束とを準備してもらってましたのでイザッ。
予定してた9時には、お堂の祭壇にお線香を上げて、鐘を叩いて両手を合わせて、御祈念。
「清めの清酒」を参加する4人で戴いた後、”棺台”や”葬儀の木製道具”に「塩清め」して軽トラに積載。シート掛け。
葬儀用品としてあった’カワラケ’数十個は、新聞紙に包んで。’市の燃やせるゴミ袋’の中に。
サッパリと片付いた、’お堂’横の場の扉を閉めて、まずまず!。
お寺に着くと、まずはお茶を戴きながらの”手順の流れ”をお聴きして。
指定していただいた”お炊き上げ”場所に着くと。
早速、積んできた道具一式・長物はチェーンソーでカットして積み上げました。やがて、本式な儀式が、、、。
まずは和尚さんが、”積み上げた葬儀に使ってた道具”に、
「”気”」を送り、呪詛のお経を唱えながら自身の身体に受け止める仕草。
その後、お経を唱えながら”炊き上げるべく積み上げた道具”の周りを、和尚さんに従って4人が後付いて、、。
線香を手に持って、お米を少しずつ撒いて、清水を挙げながら、、、三周しました。
そして、着火!。
昭和53年に作ったって書いてあった”棺台”。
平成が終わろうとする平成29年暮れに「無事お炊き上げ」してあげることが出来ました。
一時間ほどで燃え尽きましたが、 それを待ってたかのように、空から雨が降り始めましたョ、、、。
「忘れてました、ごめんなさい。」って、言い訳してしまちゃおうと考えたこともあったけど。
”今日のメンバーが揃ったからこそ、為すことが出来た!。”って改めて思いました。 感謝です。
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