死刑囚の刑執行が行われたようですね。
確定死刑囚3人の刑執行 2021年12月21日
人の命を奪ったのだから命を奪うことで被害者に報いるということなのでしょうが、刑執行のニュースに接すると、いつも「それが最善の方法だったか」と疑問も湧いてきます。
人を殺してはいけないと言いながら、死刑で人を殺すのだから。
私は、その罪が冤罪だったらどうする?と、いつも思ってしまいます。
「なら、他にどんな方法がある?」と聞かれても、他の方法も思いつかないのですが、しかし、死刑だけは賛成できないです。
どんな悪人であっても、殺してはいけないと思ってしまうのです。
オウム真理教の死刑囚などは、松本智津夫を死刑にすれば十分であったのではなかったかと今でも思っています。
だいたい人を懲らしめることが悪事を働いた人を反省させる最善の方法とも思えないです。
ただ虐めているだけのように私には思えます。
そういう悪事に手を染めてしまった人達も生まれながら悪人であったというわけではないでしょう。
育った環境、その後の生存環境によって悪に染まったとも言えると思います。
そんな人達を懲らしめて何が得られるというのでしょうか。
北風と太陽の話ではないですが、そんな人達こそ温かく接してあげる必要があるのではと言えば、甘いと言われるでしょうか。
私自身は大切に育てられましたが、その後、難聴が進んで、身内ではない人たちから心無い言葉を投げかけられることもあって、だんだん心が荒んできた一面もあります。
そんな私だからこそ、犯罪を犯してしまった人達に気持ちを寄せてしまうのかも知れないですが…。
完璧な人など、この世に存在しません。
皆、多かれ少なかれ罪を犯しながら生きているというのが、われわれ人間ではないでしょうか。
私は絶対正しい人間ですという人がいたら、私は、その人をこそ、もっとも嫌悪するかもしれません。
★人が人ころしてならぬと言ひながら人を殺すが死刑とふ刑
★人殺しせし人にこそ必要な愛ではないかと執行の日に
↓
それは、次のように書いてあるとおりです。
「義人はいない。ひとりもいない。
悟りのある人はいない。神を求める人はいない。
すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。
善を行なう人はいない。ひとりもいない。」
ローマ書3章10-12節
なるほど納得できる言葉ですね。
ご紹介ありがとうございました。
過去に冤罪で死刑になった人もいたかも
刑務所にいる輩は私達の税金で暮らしてる
それはどの国も同じだろうけど・・・
死刑になりたくて犯罪を犯す馬鹿もいるし
無期懲役と言っても模範囚はいつか外に出る
でも生きていけない
再犯して出戻る
もう、どっかの無人島に放置ってどう?って思っちゃう。
難しい問題ですよね。
死刑がなくなれば、殺人の抑止力がなくなるという人もいますし…。
過酷な刑罰を受けるのなら死刑にしてくれたほうがいいという人もいるでしょうし…。
が、やっぱり私は刑罰のためとはいっても人が人を殺すというのが釈然としません。
なんとか社会の為になるような役割が与えられないかと思ってしまいます。
こんばんは
いつも社会の問題意識をテーマにした
記事、同感しながら読ませて頂いています
今回の制度も江戸時代じゃあるまいし
保守的で残逆のまま、役人は何の矛盾も
感じないと言うのは、世の中もおかしく
なってきているのかも知れませんね
すみません。昨日は移動中でコメント返しが遅くなってしまいました。
コメントどうもありがとうございました。
私は未だに死刑制度が残っていることが腑に落ちないのです。
死刑にしなくても立ち直られる方策を考えればよいのにと、いつも思ってしまいます。
死刑は、あまりにも残酷です。
ただ、凶悪犯に注がれる税金の事を考えると流暢な事も言ってられない。
”大量殺戮を犯すのは優等な民”との白人至上の考えもあるが、どんな理由があろうと殺人は(まして大量殺戮は)許されるべきではない。
特に、大量殺戮や凶悪殺人に関しては死刑制度はなくすべきではない。
人間は完璧ではないし、種としても知性も限界がある。事実、凶悪犯は知能が高いとされる。
死刑というタガが外れたら、腐敗した法や検察や善良な庶民では対抗できない。正義と生存戦略から見ても死刑制度は存続すべきとは思う。
人殺しを殺す行為は矛盾にも思えるが、そもそも殺人自体が矛盾した行為だし、殺人を犯す脳の病いを研究する事の方が先決だと思う。
ビコさんが尊敬する人がビコさんの孫を殺したとしたら、その人を許せるだろうか?許せないとしても社会復帰を許すだろうか?
ヒッチコック映画じゃないけど、人が人を殺すという事はそんな単純な問題じゃないと俺は思う。
ただ私は、いくら凶悪犯であっても死刑は残酷すぎると思うのです。
確かに人を殺していますが、しかし、だからといって国が命ある人を殺すのは意味合いが違います。
死刑も残酷な人殺しであることには変わりないと私には思えます。
かと言って、適切な代打案も浮かばないのですけれども…。
江戸時代までは被害者親族による敵討ちがおおやけに認められていましたが、明治以降になって敵討ちが社会的に禁止され、その代わりとして国による死刑制度ができた、と理解しています。被害者心理の救済含めて考えていかなくてはならない難しい問題ですね。
嬉しかったです。
そう、被害者遺族の気持ちからすれば、犯人の命を奪いたくなる気持ちは十分理解できます。
が、オウム真理教被害者遺族である坂本沙知代さんは自分の息子一家を皆殺しした加害者達の処刑を喜んではおられませんでした。そういう遺族もおられることにも思いを寄せたいと思いました。