goo

「竹下村誌稿」を読む 31 大井川 20

(牛尾の「築切観音」(移設中)/昨年12月9日散歩中に撮影)

午後、釜谷まで散歩の足を伸ばした。約2時間半ほど。記録は明日とする。

夕方、牛尾のGさんが見える。牛尾の「築切観音」が移設されることになったが、碑文があるけれども謂れがよく判らない。何のためにどういうグループによって建てられたものか、解明できないものであろうかと、かなり難しい設問であった。碑文には、表に「大乗妙典 一字一石供養塔」とあり、側面と裏面に「明治三十二年旧七月佛縁日十八日」とあって、あとは地名人名が刻まれている。そして、別に白衣観世音の石像と、もう一体、茶色の石を刻んだ石仏一体があった。何とか調査して、少しでも分ることがあったら、また話題にしようと思う。

********************

「竹下村誌稿」の解読を続ける。

丙辰紀行
大井川は駿河と遠江との境なり。明日香川ならねど、霧雨ふれば、川瀬かわる事、たび/\なれば、東の山の岸を流れて、島田原の中にあることもあり。西の方に流れて金谷の山に添うこともあり。また一筋の大河となりて、大木、砂石を流す事もあり。あまたの枝流となりて、一里許りが間に分かるゝ事もあり。

※ 丙辰紀行(へいしんきこう)- 江戸時代の初期、林羅山が著した紀行文。

されば古えより徒扛輿梁にもなりがたき故に、往来の人馬、川の瀬を知らざれば、金谷に待つもあり。島田にとゞまるもあり。渡りかゝりて溺るゝもあり。辛(かろ)うじて、向うの岸に至るもあり。島田・金谷の民、おのが家はただよい流るゝとも、旅客の嚢(のう、財布)を貪る故に、洪水を悦ぶ売炭翁が単衣(ひとえ)にして年の寒きを待つが如し。河水の、家を流し田をそこなう故に、防鴨河使防葛野河使を置かれし、昔の事も思い出でざらんや。
※ 徒扛輿梁(とかんよりょう)- 歩いても、担いでも、輿でも、駕籠でも。
※ 売炭翁(ばいたんおう)- 唐の白居易の詩の題名。炭焼きの老人が苦労して焼いた炭を、宮中の役人に勅命だといって、ただ同然で買い取られてしまうことを詠じた風刺詩。売炭翁は単衣で過ごしながら、冬が寒いことを、炭がよく売れると喜んだという話を示す。
※ 防鴨河使(ぼうかし)- 平安初期に設置した、京鴨河の堤防修繕をつかさどった令外の官。
※ 防葛野河使(ぼうかどのかわし)- 平安初期に設置した、京桂川の管理をつかさどった令外の官。


  尋常掲厲必過腰
  叱馬呼奴魂欲銷
  来往就中何処苦
  無舟無筏復無橋


尋常(よのつね)掲厲、必ず腰を過ぐ。馬を叱し、奴(川越し人夫)を呼んで、魂消せんと欲す来往、中に就いて、何れの処か苦しき。舟無く、筏無くして、また橋無し。
※ 掲厲(けいれい)-「深厲浅掲」(しんれいせんけい)。川を渡るとき、深ければ着物を高くたくしあげ、浅ければ裾をからげて渡ることを示す。
※ 魂消せんと欲す(たましいしょうせんとほっす)-(魂が消えてなくなってしまうほどの思いをするという意味で)とても驚く。気絶するほどおびえる。
※ 来往(らいおう)- 往来。行き来。


読書:「門出の陽射し 父子十手捕物日記14」 鈴木英治 著
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 「竹下村誌稿... 島田市(旧金... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。
数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。