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博奕の話-駿河古文書会

(日除けに作ったゴーヤに立派な実が生った)

前回の駿河古文書会で、解読した文書の中に、ここに紹介しなかった文書が一紙残っていた。この文書は子供が博打に手を染めた事件の始末に関する文書である。以下へ読み下した文を示す。

     差上げ申す一札の事
一 同村吉左衛門跡忰三太郎と申す男子、十三歳に罷り成り申し候、しかるところに、右三太郎幼少に御座候ゆえ、他国者集り罷り有り候に付、段々御穿鑿御座候
向後、他国者は申すに及ばず、所の若者あつめ仕り、御法度の博奕など、堅く仕りまじく候、もちろんこの段、三太親子へ節々きっと申し付くべく候、拙者ども証人に罷り立ち候ゆえは、右の趣、少しも相背き候わば、当人並びに拙者どもまで、如何様の御科にも仰せ付けらるべく候、その為手形よって件の如し
  元禄十五年
    午ノ四月三日     本人   三太郎 印
            上田村組頭 五郎左衛門 印
             同所証人   平十郎 印
   海野弥五兵衛殿

※ 跡忰 - 跡継ぎの息子
※ 向後(こうご)- 今後
※ 博奕(ばくち)- 賽(さい)・花札・トランプなどを用い、金品をかけて勝負を争うこと。賭博(とばく)。ばくえき。
※ 手形 - 印形を押した証文・証明書


13歳の子供が博打で取り調べを受け、村役人たちが証人になって、本人を受けだしてきたものであろう。その際に提出した、再犯すると証人まで同罪になることを認めた証文である。江戸時代の文書を読んでいると、連帯責任を示す文書が多い。その最たるものは、五人組制度であろうか。ご近所5軒を五人組として管理し、その中で起ったことはすべて連帯責任として、相互に監視させる巧みな管理制度である。問題児がいると5軒の連帯責任になるので、久離とか勘当することで、親子の縁を切るとともに、五人組からも無縁とする方法が取れたが、久離とか勘当を受けると無宿人となって落ちてゆくことになる。

西欧では善悪の基に神との約束があり、どこにいても神に見られているから悪いことは出来ないと考えられている。日本では神の代わりに「世間様」があって、世間様に見られているから悪いことは出来ないと考える。つまり悪さをすると、世間様(直近が五人組)に迷惑が掛かると発想する。そこが道徳の規範となり、だから世間様から離れた「旅の恥はかき捨て」という感覚も生れる。この日本人の発想には江戸時代の巧みな民衆管理制度が根強く現代に影響していると思われる。

昔は町内の大人たちは子供たちが悪さをすると、誰の子であっても隔てなく叱った。これも元をたどれば五人組制度にぶち当たるのかもしれない。無縁社会といわれる現代と、五人組制度で縛られていた江戸時代のどちらが住みやすい社会なのだろうか。
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