平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
「富士日記」 38 (旧)八月十日(つづき)、十一日
よく見る花だが、小さい花なので、ここに取り上げるのは初めてだろう。
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「富士日記」の解読を続ける。
さて鶴瀬を立ちて、駒飼を過ぎ、笹子峠に掛れるほど、暑さも汗も、大方同じものから、水欲しみせぬぞ。さは云えど、秋の半ばのしるしなりける。峠に暫し憩いて行く駅は、黒野田と書いて、くろぬだとぞ云う。野をぬと読めることは、日本紀、萬葉集などの歌には珍らしからぬことなれど、上つ代のこととのみ、思いけるは、浅かりけり。
こゝを過れば、初雁里(はがり)というに出ず。東鑑に波加利(はがり)と云える所なりとぞ。時しもあれ、里の名いと面白ければ、
何時の世に 誰れ聞き初めて 名付けしむ
あら山中の はつかり(初狩)の里
里の名を我が身に知る人の有り気にもなしや。この沢の里を花咲と云えると聞けば、必ず萩の花なるべしと思い続けつゝ、山路分け行くに、
(原注 源氏、浮舟巻、
里の名を 我が身に知れば 山城の 宇治のわたりぞ いとど住み憂き)
日暮れにたれば、大月と云える駅に宿らむとて、聞かするに、甚く荒れたる家なるが、殊に昨日の水にて、この里中に懸れりける掛け樋、落ちたれば、湯の設けも難しと聞けど、猿橋まではいと遠ければ、術なくて、宿れる物柄、草の枕に異ならず。荒れたる軒端を見ても、里の名はしるかりけり。
※ 物柄(ものがら)- 物や人などの質。
※ 里の名 -「大月」は「大漬き」にもつながる。
※ しるかり - ぬかっている。
故郷の 軒漏る月は 秋ごとに
住み荒してぞ 澄み勝りける
と我れ、早う詠みしを、ふと思い出されたり。
※ 早う(はよう)- 早い時期。(かつて、詠んだことを)
十一日朝、とく宿りを立つに、空曇り、雨もいささか降れば、奥山の倣(なら)い、明日のほどはかくこそあらめと、蓑笠も取らで行くに、思いしに違わず、猿橋、犬目など過ぎる頃は、いとよく晴れたり。
かの来し折りに、鶴脛にて渡りし川も、水嵩勝りたりとて、舟にて渡りて、上野原、諏訪など、もと来し道を過ぎて、小仏峠(たむげ)に掛かれるは、苦しかれど、やゝ故郷の近付く嬉しさに慰めつゝ、
※ 鶴脛(つるはぎ)- 着物の裾が短くて、すねが鶴の脚のように長く現れていること。
峠に行き至れる比(ころ)は、申の半なれば、駒木野の関越えむ事、覚束なしなど云えど、関の此方(こなた)に宿りては、明日とく出で立ち難ければ、いざ例の益荒男心をとて、道連れとなりし人々語らいて、二里ばかりの坂路を、息も継がで、ただ下りに下りて、関路に近付きて、道来る人に聞けば、只今閉ざしたりというに、皆人あえなき心地す。
読書:「信義の雪 沼里藩留守居役忠勤控」鈴木英治 著
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