平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
盛りの花の日記 6 2月24日 初瀬
竹村尚規さん一行は、国学を学ぶ仲間同士で、お寺へ参るよりも、神社へ詣でることに目が向いている。初瀬でも名立たる長谷寺よりも、その近くの與喜山の天滿宮に詣でることの方がメインのようだ。しかし、「去年の秋もたび/\詣で」というのは、尚規さんは去年もこゝまで来たというのであろうか。
二十四日、所々拝まんとて、出たり。まず、與喜山の天滿宮に詣づ。この御宮は去年の秋もたび/\詣でゝ、おのれには、いとも/\かしこき故由のあれば、殊更に心入れて拝み奉る。折りしも梅の盛りなりければ、
※ 與喜山の天滿宮 - 初瀬の長谷寺の東、興喜山にある天滿宮。
※ 故由(ゆえよし)- いわれ。理由。来歴。
よき(與喜)山や 梅咲く頃は え違わず 辺りの杉も 匂ふ春なり
なお、度々詣づべき志しあれば、
色変えぬ この神垣の 杉むらを 我も常磐に 見るよしもがな
二本の杉というは、いにしえ(古)のにや
※ 二本の杉 - 源氏物語ゆかりの杉。
人ならば 古川の辺の 二(ふた)本の 過ぎ(杉)し昔の 事とはましを
かくて、観音堂の東の方なる、鐘楼に昇りて、鐘を見るに、文亀元年(1501)となん、彫(え)りたりける。こは、古へのは、如何にしたるならん。文亀はさのみ古しとも覚えぬをや。度々寺の焼けぬる事も、物に見ゆれば、それらの禍いに、ようせぬらん。さしも昔より、名高き鐘の音なるものを、いと口惜しくこそ。
※ えり(彫り)- 彫りを刻むこと。
※ さのみ - それほど。さほど。
さて、ところ/\見巡るに、すべて桜は、いまだ咲き染めぬほどなれど、何とかや、立ち帰らんことの、惜しまれて、
おはつせや 飽かぬ名残りの 惜しまれて 山分衣 立ちぞかねつる
※ おはつせ(小泊瀬)- 初瀬の異称。泊瀬。長谷。
※ 山分衣(やまわけごろも)- 山道を歩く時着る衣。山伏などの衣をいう。
元の宿りに帰りて、家主呼び出して、この山の花より、吉野の頃おいなど、詳しゅう問い聞くに、こゝの花は吉野よりは、いつも/\、五日六日も早く咲き侍れば、今年は弥生の三日四日の頃おいなん、咲き侍らんか。さらば、吉野は九日十日ばかりにてぞ侍らんと言えば、かねて思いしよりは、いたく遅き事よと、思いたどらるれど、この初瀬の花も、今しばしが程に、咲き出づべき気配にも見えねば、さも有りなんとぞ、思いなりぬる。
※ ころおい(頃おい)- ころ。その時分。
吉野の花はまだ先だと聞いて、その間に和歌山へ足を延そうと相談して決めた。旅の計画は案外自在に変更されるようだ。伊勢の鈴屋の大人というのは、本居宣長のこと。その宣長が「彼処」と書かれている。宣長が和歌山に出向いて滞在しているということなのだろうか。この先を読んで行けばそんな疑問もはっきりする。
さては、その間の日数の数多余れば、いずくへか、ものせん。よしや、咲かぬ程なりとも、まづ、とく吉野へ行かまし。又は都へ上りて、帰るさに、吉野へは至りやせましなど、とかくに言い合いて、時移るを、紀の国の和歌の浦こそ、誰も/\見まほしく思う所なれ。伊勢の鈴屋の大人も、かしこと聞けば、いざや今より行きてんと、一人が言うに、皆人同じ心に、それいとよかめりとて、木の国にと思い定めぬ。さらば、まづ奈良へものせんとて、未の時のばかり宿りを立ち出づ。
※ さ -(動詞の終止形に付いて)~する時、~する折り
※ 未の時 - 午後3時頃。
さて良きついでなれば、追分という所より、南へ行きて、忍坂村というに分け
入りて、舒明天皇の御陵に詣づ。かくて、また少し南へ行きて、崇峻天皇の御陵にも詣でぬ。されど、この崇峻の御(おん)は里人の教えしまゝに詣でつれば、まことのにや、定かならず。帰るさに、忍坂山口坐神社にも詣でつ。さて、今日来し道には、朝倉宮、列木宮などの跡ありと、かねて聞き置きつれば、尋ね見まほしかりつれど、傾く日足に心急がれて、え見ざりしぞ、口惜しき。はた海柘榴市という処も、金谷村というに、今なおありとぞ。かくて日は早く暮れ果てゝ、いと暗きに、たどる/\三輪に至る。
※ 日足(ひあし)- 太陽が東から西へ移っていく動き。
※ 海柘榴市(つばいち)- 奈良県桜井市金屋にあった古代の市。
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