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「竹下村誌稿」を読む 282 助郷 4

(秋祭りの子供屋台)

朝、雨が止んで、我が地区の秋祭りの子供屋台が回って来た。毎年の例で、僅かばかりの御祝儀を渡す。

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「竹下村誌稿」の解読を続ける。

元禄十年(1697)に至り、道中奉行より助郷高を改め、一万四千七十五石(定助郷高四千二百五石、大助郷高九千八百七十石)を金谷宿に付せられしと云う。この助郷の制たる命令書にもある如く、頗(すこぶ)る厳重にして、如何なる場合といえども、人馬の遅参不参を許さず、剰(あまつさ)え五人組帳にも助郷の一条を掲げて、誓詞を録進せしめし程のことなり。その条に曰く、

御公儀様より御出され候御条目の趣、在々町々とも急度相守り申すべく候。かつ又定助、大助の村々は、問屋方より人馬相触れ出し候わば、昼夜風雨の節も刻限の通り、急度相務め申すべく候。助郷人馬の儀に付、出入これ無き様に、立人馬、出人馬相互に、度々吟味仕り、町在証文取り替わし申すべく候御事。
※ 出入(でいり)-争いごと。もめごと。

とあり、もし遅参、不参などあれば、問屋場は馬追立、人足追立と称し、頻りに使丁を各助郷へ廻して、人馬の駆り出しに努め、少しも猶予を与えざる如き有様なり。しかも金谷宿に属する助郷人馬の如きは、東は有名の大井川あり、西は遠州箱根と称する小夜の中山の難所にて、その困苦名状すべからず。助郷村々の農民は正税以外の徭役たる助郷のために耕作の時を奪われ、特に遠隔の地に在りては、その困難一層甚だしきを以って、これを免れんとし、自然代銭を出して人馬の課役を代弁するに至れり。

当時交通の用具は公卿諸侯は乗り物(切棒、長棒)、庶民はおもに駕籠(宿駕籠、辻駕籠)を用いしを以って、何れの宿駅にも、所謂(いわゆる)雲助なるものありて、駕籠を舁(か)き、荷物の逓送を業とす。籠の外、馬丁の率ゆる駄馬に乗るものもありき。問屋場は助郷の代銭及び宿駅の地子(地子の事は駅路の条参照)を以って雲助を雇い、これを使役して荷物の逓送に当らしむ。この雲助は大抵無籍の徒にして、酒を呑み博奕に耽り、右手(めて)の旅客とみれば、不当の賃銭を貪り、酒手を強請すること多く、旅人の心配少なからざりしなり。
※ 逓送(ていそう)- 宿場などを次々に経由して送ること。
※ 右手の旅客(めてのりょきゃく)- 上客。(古来、右優位の暗黙の前提があった)
※ 強請(きょうせい)- むりに頼むこと。むりにせがんで求めること。ゆすること。
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